“三億円強奪事件” 究極のタブーに挑む衝撃の問題作とフォーラム神保町がコラボ!

1968年12月10日に発生し、未解決のまま時効を迎え、「世紀の完全犯罪」と言われる”三億円強奪事件”。その事件の「触れてはいけない」闇の真相に迫るサスペンス大作「ロストクライム -閃光-」と、フォーラム神保町によるコラボ企画・”ただでは、すまない”トークセッションを下記の通り開催致しました。作家の宮崎学氏、精神科医の香山リカ氏、社会学者の宮台真司氏、そして本作品の原作「閃光」の著者 永瀬隼介氏 が、独自の視点とそれぞれの立場から、時代背景と犯人像、犯行の目的、事件の特異性に鋭く斬り込みます。

登壇者:宮崎学、香山リカ、宮台真司、永瀬隼介
場所:東京国際フォーラムD1

宮崎:未解決事件が起こると必ずお前ではないかと言われてはんしを送ってきました。今回の”3億円事件”が起こったのは1968年で、当時はイチゴ世代白書で、学生運動が盛んな時代でした。まさしく私も学生運動の渦中にいてかなりの衝撃を受けた事件でした。伊藤監督の手による作品を見せていただきまして懐かしく思い、そうだったなぁと沢山感ずるところがありました。

香山:私の仕事柄未解決事件があると犯人の心のうちはどうでしょうといったようなことを聞かれます。
“3億円事件”がおきた頃私はちょうど8歳ぐらいで犯罪が起こると社会の生んだ犯罪だとか、私のうちにも犯人がいるのではという風に自分で引き受けたりだとか、この作品のように社会の構造の中でなんでこういう事件が生まれたのかと考える視点があったのですが、最近はとんと個人の中に問題があって犯罪が起こっているのではないかと視点が多くなってきています。昔と今とでは重大な事件の捉え方が変わってきています。

宮台:3億円事件をモチーフにした映画が数本あって最近では「初恋」という作品があった。あの作品は、68年に起こった事件のバックグラウンドが家族関係にあると解釈されている。しかし私から見ると人間関係の距離感を68年に持ち込んでいるようにしか思えなかった。当時私は9歳で事件を鮮明に覚えていました。そして3億円の犯人に共感した覚えがあります。

永瀬:今まで3億円事件は犠牲者のいない事件だといわれてきたが、「閃光」を書くにあたって色々と調べるとその事件に人生を狂わされた犠牲者がいたのです。当時であれば3億円事件の犯人はヒーローとしてあげられていたが犠牲者となってしまった人々のことを描きたく「閃光」を執筆しました。

この後、3億円事件の犯人が単独犯、複数犯の2つの意見がわかれトークセッションはヒートアップ!!
宮崎:当時犯人とされた少年Sは自殺するようなタマではない。主犯格の犯人がいて知らないうちに手伝わされていたからこそ真相が明らかにならず未解決になってしまったんだろうと思う。

永瀬:私はこの原作を書いているということもありますが、やはり複数犯だと思います。事件の布石として夏に脅迫状が5通届き、爆発物を仕掛けるという脅迫もあった。白バイやシート、セドリックなどを1人で準備できるかといえば難しい。当時19歳の少年Sが実行犯であることは間違いないだろう。彼は事件の5日後に死んでしまったことが、警察の捜査志気を低下させ色々なミスが連発した。脅迫状の切手の唾液や脅迫電話の声が30代で少年Sではないことも判明している。あのときに少年Sを逮捕していれば誤認逮捕もなく本当に犠牲者は出なかったのではないかと私は思います。

あまりにも白熱したトークセッションのためあっという間の90分間であった。

映画『ロストクライム -閃光-』は7月3日の公開