映画『トラブゾン狂騒曲〜小さな村の大きなゴミ騒動〜』映画公開記念 “他人事ではない”トークショー第二弾 松江哲明さん
シアター・イメージフォーラムにて大ヒット上映中のファティ・アキン監督最新作『トラブゾン狂騒曲〜小さな村の大きなゴミ騒動〜』の公開を記念いたしまして、9月6日(金)19時の回上映後に、“他人事ではない”トークショー 第二弾として、松江哲明監督をお招きしてトークイベントを開催致しました。
遠いトルコの村のゴミ騒動、でも実は日本も同じ!?
数々のドキュメンタリー作品を手掛けられてきた松江監督に、本作について語っていただきました。
トーク登壇者
松江 哲明(まつえ てつあき)ドキュメンタリー監督
99年、日本映画学校(現・日本映画大学)卒業制作として監督した『あんにょんキムチ』が、
同年山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波特別賞」など多数受賞。
その後、『童貞。をプロデュース』『あんにょん由美香』『ライブテープ』など刺激的な作品をコンスタントに発表。
著書に『童貞。をプロファイル』『セルフ・ドキュメンタリー—映画監督・松江哲明ができるまで』など。
トーク内容
MC
ファティ・アキン監督作品はご覧になられてますか。
松江
『愛より強く』それより前の作品も観てますね。観るきっかけは妻がドイツ人で、ドイツのことを勉強しなければと思ったのですが、日本で上映しているドイツ映画はナチスものとか、『バーダー・マインホフ(理想の果てに)』とか、おっかない重い感じが多いんです。ドイツ映画というよりかはヨーロッパはフランスなどとの合作が多いですし、純粋な普通のドイツ人が出演しているドイツ映画、『グッバイ、レーニン!』などありますが、もっと皮膚感覚でグッとくる映画がないかなと思っていて、それでファティ・アキン監督作品を観るようになりました。
『愛より強く』が、ドイツに住むトルコ人の話で、ファティ・アキン監督自身もそうだし、そこが自分にもぴったりとハマりました。僕も在日コリアンじゃないですか。妻と出会ったときに、在日コリアンが日本でどんな存在で、どんな考え、生活なのかよくわかってなかったんですよ。でも「ドイツにいるトルコ系の人なのね」と理解してくれた。
それで僕も観るようになりました。
MC
ドキュメンタリーを撮られている松江さんから観て、本作はいかがでしたか。
松江
『トラブゾン狂騒曲』は撮らずにいられない映画というか、残しとかなくてはいけない、いま記録しないといけない映画ですね。そこの部分においては、劇映画を撮っている監督とかは関係ないですよね。それに今は小さいハンディカムがあるので、それができる時代。ハンディだと相手が油断するのがいいですよね。
大きいカメラで16MMとかフィルムで撮っていたら、1ロール10分弱ぐらいしか撮れない。今なら最初の10分は警戒していても、60分取れちゃうし、ハードディスクを繋げれば、延々と回していられる。
ドキュメンタリーの撮り方自体が変わってきているし、撮ることに躊躇する理由がないですよね。
MC
劇中で色々な問題が出てきますが、余りにずさんな感じですよね。
松江
「馬鹿じゃないの!」って思うよね。でもこれ笑い事ではなくて。今の日本ともリンクするし、いま日本で劇場公開されているのも、そういうことだと思います。世界中どこでもずさんですよ。机に座ってる人たちが決めたことというか、中央があって地方があって、決める人は現場は見ないし、またそれを伝える人がいて、「規則だ」とか「雨がふると思わなかった」とか、住んでる人からすると「何を言ってるんだ」、「何やっているのだ」という感じですよね。恐ろしい構造は変わらないですよ。
映画の見方は色々とありますが、1本の映画として、例えばユーモアを見つけたとかお国柄を見つけたりとか、10、15年前の僕が若い頃は「世界を知る」というのが、ミニシアター系の映画館で海外の映画を観るということだったんですが、僕の中で観方が変わりました。「世界を知る」プラス「当事者」として観ることが必要だなと。
『トラブゾン狂騒曲』も日本の問題とリンクして考える、「世界を知る」だとちょっと他人事のような感じで、それはそれで発見があって面白いのですが、「当事者」として観ると1本の映画からもっといろんなヒントを見つけなきゃいけない、作り手が意図していないところまでも読み解くような感じです。ここ最近は観方が変わってきました。この映画は当事者として観てほしいです。