5/26より新宿K’s cinemaにて公開のドキュメンタリー映画「孤独なツバメたち〜デカセギの子どもに生まれて〜」。5/23(水)、東京・荻窪のカフェ「六次元」で公開直前トークショーが行われました。
高校時代から10年以上海外生活を送ってきた中村真夕監督、そして最近は海外にも活動の枠を広げている岩井俊二監督をゲストにお招きし、フィクションとドキュメンタリーについて、そしてグローバリズムについて考えるトークショーを行いました。

———フィクションとドキュメンタリー、そして「物語」とは何かについて
中村:私は2006年「ハリヨの夏」という劇映画でデビューした後、TVのニュースの仕事などをしながら、日系ブラジル人の青年たちと出会い、もうすぐ公開となるドキュメンタリー「孤独なツバメたち」を作りました。岩井さんも、劇映画のほかにも最近公開された「friends after 3.11【劇場版】」などドキュメンタリーも作られています。フィクションとドキュメンタリー、岩井さんはどういう風に違いを感じていらっしゃいますか。
岩井:僕はドキュメンタリーを撮る考えは元々持ち合わせていなくて、フィクションを作るのが自分の仕事だと思っていたんですね。しかしフィクションは時間がかかる。そして3.11が起こり、「friends after 3.11【劇場版】」は即時性が要求される題材だと思ったので、自分の中には境はなく、題材によってドキュメンタリーがよければそちらで、という感じですね。
2、30年前は事件が起こるとすぐ映画になってましたよね。だんだんそれが自主規制の流れで作られなくなって、日本の中ではNGになってきた。自主規制だけでなく、ニュース・報道が「報道エンターテイメント」に形を変えていって、お役御免になって減衰していったように感じます。日本の映画はいろんなものに浸蝕されて、作られるジャンルが少なくなって来た。即時性は要求されてなくて、むしろ敬遠されている。
中村:私は3.11後、ニュースの現場にいた人間としては、ニュースというのは、本当に作られたものなんだということを感じました。まるで言論統制のように、使ってよい言葉、はっきり打ち出すメッセージが決まっている。誰かのシナリオ、これを信じなさいという物語がある。ニュース自体もフィクションだなぁと思いました。

———「スワロウテイル」と「孤独なツバメたち」移民の人たちを描く目線
中村:この「孤独なツバメたち」で描かれている青年たちと、「スワロウテイル」で描かれる移民の人々、すごく近いものを感じたのですが。
岩井:「スワロウテイル」は日本と、日本人の薄情を、敵対する関係として描きました。自分も反省したくて。移民の人たちを憧れの目線で描きました。当時日本はまるで病院のなかにいるようだと思った。無菌状態で手当てしてもらって、介護してもらって、それを当然と思っている。免疫力が落ちてしまっているんではないかと。彼らは日本人が失ってきたバイタリティを持っているように思えたんです。僕からしてみるととても羨ましかった。
日本人は、「日本は日本人のものだ」と思っている節がありますよね。しかし対他の国との1対1の関係になったときに、日本という国を形作っているギリギリの境界線のところが見えてこない。そこには在日外国人の人たちもたくさんいる。そういう人たちもふくめて日本なんだということが見えてこないですよね。
中村:私はこの映画をつくったときに強く思っていたのは、「彼らを被害者として描きたくない」ということ。みんなデカセギに来て良かったというんですよ。つらいことがあったから強くなれる。小さい頃から早く大人になることを求められて、それゆえに強いところと逆に脆いところがあるんですが、マイナスをプラスに転じる考え方はすごく魅力的でした。岩井さんがおっしゃったように、彼らは生きていく知恵を持っていて、学校では教えてくれない知識をたくさん持っている。どこででも生きられる強さと順応性の高さを持っている。でも自分のホームを求めているように感じました。どこへでも行けるけれど、どこへも行けない。

———移民の人々から日本人が学ぶもの
中村:日系ブラジル人の彼らは、いつ別れがくるか分からないから、別れを覚悟して生きている。だから家族や友達との絆も深いんですね。明日はもうないかもしれないと思って人と付き合ったり生きるということは、彼らから学んだことです。明日は来ないかもしれないというのは、震災後日本人はとくに思い知った部分でもありますよね。
岩井:我々が普段持っているありがたい生活・・・文明に毒されている我々が、全てを失って、それでも生きるんだというバイタリティを持ったところからが本番というか、人生の本当に面白いところだと思いますね。