長編コンペティション部門海外ノミネート12作品中の1作品である『少女マサンヘレス』。

1966年、南米ウルグアイ。
優秀な政治家・アウレリオを父に持つマサンヘレスは、7歳の時に母親を自殺で亡くした。
世の中は市民戦争で苦しんでいる。
彼女が生き残るためには、アウレリオの自分勝手な家族たちに順応して生活するしかなかった…。

混沌とした大人たちの社会を、少女の視点から見つめた作品。
その少女を中心に繰り広げられる家族の物語。

7月18日本映画祭にて、2回目の上映およびQ&Aを迎え、
Q&Aではベアトリス・フローレス・シルバ監督が登壇した。

〜Q&A〜

Q:本作はどういうテーマを描いた作品ですか。

「1960年〜70年のウルグアイの状況を描いた映画です。
 この時代は私が16歳の頃で、大きく国が変わった時代でした。
 穏やかだった国が、暴力的な国へと変わった時代を描いた作品です」

Q:監督はウルグアイからベルギーへと移住されたそうですが、その背景を教えてください。

「私は1982年にベルギーへと渡りました。この頃のウルグアイは不況の真っただ中にあり、みな悲惨な生活を送り、希望もない状態でした。私は音楽(ピアノ)を勉強している学生でした。
 ベルギーに発ったのは、私の子どもが生まれて2か月で、夫がベルギーの国籍を持っており、ベルギーの方が明るい未来が待っているのではないか、と思ったからです。数年後、ベルギーで国から援助をもらい、映画制作の勉強を始めました。ベルギーの人々はとても温かく迎えてくれたのです」

Q:アウレリオの息子・サンディアゴが家から逃げ出すときに、枕と青りんごを持っていましたが、その二つを持たせた理由はなんですか?

「特に象徴的な意味のあるものではありません。俳優に『絶望のどん底にある中で、とりあえず持ち出すものを手に取ってください』とお願いしたら、それが枕と青りんごでした。
 当時ゲリラ活動をしていた人の中には映画と同様、富裕層の人も含まれており、そのような人たちが無心に良い世界を望む想いが込められていたのではないでしょうか」

この質問が出たのは世界の中でも日本だけで、その上1回目のQ&Aでも出た質問だったそうで、「日本では枕はそんなに象徴的なものなんでしょうか?」と監督はとても興味深そうであった。

Q:映画には何度か決闘のシーンが出てきますが、ウルグアイには実際に決闘の習慣があったのですか。

「ウルグアイには1980年代まで決闘の習慣がありました。私の父も過去に2度決闘をした経験があります。相手はのちの大統領となった人です。しかし本作は自伝的なものではありません。使った素材は私がよく知っている事物を用いましたが」

Q:決闘は何を守るためにするものなのですか。

「名誉です。あなたがもしも他人から傷つけられたときは、決闘を申し込まなければなりません(笑)」

Q:劇中何度も登場人物たちが「パリへ行く」と言っていますが、この意味を教えてください。

「ヨーロッパはみんなの憧れであり、特にパリは世界中の人にとってロマンティックなものだからです。
 またフランスはウルグアイと関係の深い国であり、フランス語がそのままウルグアイで使われている言葉もたくさんあるくらいです」

Q:観客に注目してもらいたい点はどこですか。

「私の3人の息子が出演しているところです。息子たちに出演してもらったのは、母親が生きた時代を息子たちに知ってもらいたかったからです。
 一人はサンディアゴの小さい頃を、もう一人はデモをしている途中で階段から落ちて撃たれて殺されてしまう青年を、最後の一人は高校の校舎の上から手榴弾を投げ落とした青年を演じています」

(Report:菊田ひとみ)