母危篤の報を聞き、10年ぶりに故郷の村に帰ってきた厄介者の男を中心に、村に起きる様々な波紋を淡々と描いた『右肩の天使』は、第1回東京フィルメックスにて上映された『井戸』『蜂の飛行』のジャムシェド・ウスモノフ監督の、単独長編デビュー作である。今回初来日したウスモノフ監督は、12月8日の上映後のティーチ・インに登場。タジキスタンの映画製作状況はソ連邦時代は年間20本程の長編と50本程の作品が作られていたが、ソ連が崩壊しタジキスタンという国になり、95年くらいから内戦が始まってからは、せいぜいで年間3・4本の製作がやっと。多くの映画人が職を失い、国外に流出して行く中で、ウスモノフ監督もタジキスタンを離れて活動している。今回の作品では欧州人のスタッフと共に、欧州人の人質事件等が多発しているような危険な状況下で撮られた作品だとのこと。しかし、そのトーンはあくまで静かだ。

Q.この映画の出発点は何処にあったのでしょうか?
——この質問はよく受けますが、いつも違う答えをしてます。映画というのは、一つではなく様々なことからアイデアを受けてます。ですから映画が何処から出てくるかと言えば、自分の中ならだけではなく、もしかしたらここにいる皆さんの中から始まっているのかもしれないし、映画は自分にとって血であり、肉であるわけで、どこから始まったかというのは、非常に難しい問題です。

Q.劇中、主人公が映写技師としてインド映画を上映している場面がありますが、タジキスタンではインド映画がよく見られているのでしょうか。
——残念ながら、現在タジキスタンではインド映画を観る事は全く出来ません。劇中の映画館は、撮影した村にセットを作ったものです。それで撮影の前に、そこで子供達や周囲の人々に映画を上映して見せたのですが、14歳くらいまでの子供達はスクリーンで映画を見るのは、ほとんどが初めての経験でした。私の子供の頃は、毎日のように映画館に行って、フェリーニ等の作品を子供料金で観てました。それに比すると、かわいそうな状況です。

Q.出ていた俳優が皆さん良かったですが、産業的には厳しいというタジキスタンでの俳優の状況は、どのような状況でしょうか?
——映画俳優という職業は既に無くなっておりますので、この映画の出演者もプロの俳優というわけでは無く、普通に暮らしている人たちから選んだものです。彼らは役を演じているのではなく、彼らが生きているところを撮ったつもりなのです。主人公の母親役は私の母であり、主人公は私の兄、そしてその子供は兄の実際の子供であります。
タジキスタンは都市も崩壊していて、俳優さんは苦しい生活をしています。彼らは例えばロシアに行っても、その多くは俳優として働けるわけではなく、この映画にも出てくるようなブラック・マーケットで働いていることが多いのです。

Q.劇中、主人公の母が村長に最期の願いをしに行く部分で、村長が開いていた書物はなんだったのでしょう。
——それはこの作品で一番の核心かもしれませんね。それが存在する、しないではなく、人の生死をも含めた運命が記された本というものを想像して作りました。
この場面は、母親が息子を助けようと奔走するものの結局全てうまくいかず、彼女が夢の中に逃避して行ったことを描いたものです。タジキスタンには、未だこういった神がかり的な幻想世界が未だ残ってるんですよ。

 なお、『右肩の天使』は第3回東京フィルメックス コンペティション部門において、審査員特別賞に輝いた。
(宮田晴夫)

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