絶賛公開中の青春群像劇『菊とギロチン』。このたび、下記の出演者および瀬々敬久監督を迎えたトークイベントをテアトル新宿にて開催いたしました。

■日時:2018年7月20日(金)19:40の回上映後
■場所:テアトル新宿 
■登壇者:渋川清彦さん、井浦新さん、大西信満さん、川瀬陽太さん、瀬々敬久監督

瀬々敬久監督の三十年越しの企画として、史実とフィクションが混ざり合ったストーリーの面白さ、熱量の半端なさが注目され、ぴあやFilmarksの初日満足度ランキングで見事第一位を獲得、大ヒット公開中の『菊とギロチン』。大正時代を舞台に、女相撲の力士たちと世界を変えることを夢見るギロチン社の青年たちが出会うという、史実から創造された青春群像劇だ。

上映直後、自然と拍手が沸き起こり静かな熱気に包まれるなか、トークイベントには<女相撲 玉岩興行>の親方・岩木玉三郎役を演じた渋川清彦、<在郷軍人分会会長>として女相撲ともギロチン社とも敵対する飯岡大五郎役を演じた大西信満、監督である瀬々敬久の3名に加え、当日に急遽参加が決まった、ギロチン社と共闘する実在の社会運動家・村木源次郎役を演じた井浦新、女相撲の興行主である坂田勘太郎役を演じた川瀬陽太も加わり、総勢5名が登壇した。他作品でも共演を重ね、気心の知れた間柄の彼らは、自らを「ギロチン中年部」と紹介し、終始リラックスした雰囲気のイベントとなった。

まず、本作のイベントに初参加となる井浦は「やっと『菊とギロチン』のイベントに参加することができて嬉しい。この映画をみて、僕は2回目のタイトルが出たときに暗闇のなかでガッツポーズをしました。映画のなかには人の生き死にがあり、底辺で這いつくばって生きる登場人物たちが描かれていますが、その姿が本当に美しい。僕はこの映画のなかで生きていた役者の方たち、もはや演じるというより、役を突き抜けて生きている姿に、勇気をもらいました。とにかく爽快な気分で映画館を出ました」と本編を観た感想を述べた。

この日、スクリーンで映画を見直していた渋川は「映画の余韻にまだ浸っている感じ。女相撲の場面は本当にすごかったなと思う。現場でも鳥肌が立ったことを覚えているし、今見ていても鳥肌が立ちました。一体感がすごかったよね」と述懐。撮影期間のほぼ3週間をずっと現場で過ごした渋川は「20年役者をやってきて、あそこまでどっぷり現場にいられたのは初めて。うまく説明はできないけど、俺、その場にいられて幸せだったなと思った」と振り返った。大西は「女力士を束ねる役どころのKEEさん(渋川さん)は芝居上だけじゃなくて、本当にあのとき親方だったと思う。ギロチン社にしろ女力士たちにしろ、若い役者たちを見ていると、まるで昔の自分のように感じられた。生まれようとするパワー、人生を懸けている感じが映画に映っています」と語った。

女力士たちの演技にはほかの二人も大いに感銘を受けたようで、川瀬「若い役者たちの、今しかない感じが捉えられている。彼女たちのドキュメントとしての姿、本当に素晴らしいと思いましたね」、井浦「終盤の女力士たちの場面は、個人的に若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の撮影現場での経験とオーバーラップするものがありました。あの、役を突き抜けた瞬間のことを思い出します。女力士の役者さんたちは、これをやらせてもらえたら幸せだろうなあと思って見ていました」と語った。

川瀬「上も下もないところで映画を作りたいと、ある種、瀬々さんのキャスティング自体がそうだったんだろうと思うけど、変な忖度がある人を呼ばないで集まることができた人たちだったからこそ、一丸となれた現場だったと思う」と言えば、井浦は「こんな映画を今の時代に作ることができるんだということ、この映画自体が夢のあるものなんじゃないかなと僕は感じています。情熱さえあれば、こんな映画が作れる。映画を作ることは、こんなにも夢があることなんだなと感じさせるものがある。僕が最初に映画の世界に飛び込んだときの、あの初期衝動を、この作品には感じることができました。それは作り手のものだけではなくて、きっと皆さんにも届くものがあると思います」と熱く語った。

瀬々監督は「場内には今日で映画を観るのが3回目というリピーターのお客様もいらっしゃいましたけど、皆さんも映画を気に入ったら、ぜひ広めてください。この映画にはなんといっても同じテアトル新宿で昨年上映されていた『バンコクナイツ』の動員を超えろ!というミッションがあります(笑)。この映画は、制作費などでも一般の方々からの支援を得てできた映画です。そういう意味では、今の世の中でこの映画が存在できたということがすごく嬉しいことだと思っていますし、こういうことがまたいろんなところに広まればいいと思っています。ぜひ応援よろしくお願いします!」とトークを締めくくった。

イベント終了後も登壇者たちがロビーに出て閉館ギリギリまでお客さん一人一人と語らっていた。