原作者×学生×有識者が語る映画の魅力
学生吃音サークル「東京大学スタタリング」主催シンポジウム

映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』の劇場公開に先駆け、7月3日(火)に学生吃音サークル「東京大学スタタリング」主催により、東京大学にて特別試写会付きシンポジウムを開催致しました。

映画の原作は、「惡の華」「血の轍」などで人気を博す漫画家・押見修造の同名作。吃音により自分の名前すら上手く話せない高校1年生の志乃。

音痴でコミュニケーションが苦手な加代…様々なコンプレックスを抱える登場人物たちが、壁にぶつかりながらも自分自身と向き合う姿を描きます。

上映後には、「映画をきっかけに吃音について知ってほしい」とイベントを主催した学生吃音サークル「東京大学スタタリング」代表の山田舜也氏、自身の実体験をベースに描いた原作者の押見修造氏、新著「どもる体」(医学書院)が刊行された伊藤亜紗氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)、本作で吃音監修を行った医師・富里周太氏(国立成育医療研究センター耳鼻咽喉科勤務)が登壇。加えて、一般参加者からの意見も交えつつ、様々な角度から、当事者やその周囲の人々がどのように「吃音」と向き合っていくべきなのか、さらには誰もが抱えるコンプレックスと向き合うべきか、映画の感想と共に熱い意見を交わしました。

原作者として非常に嬉しい出来!
まず、映画を観た感想を問われた押見氏は、「原作者としては非常に嬉しい出来。例えば、どもるときの体の力み方とか、体当たりで演じてくれた役者の演技が本当に生々しくて、
自分を見るようで痛々しくもあった。でもそれが心地よくもあり、嬉しかったです」と語った。続いて、伊藤氏は「吃音と映画がすごく相性がいいということを発見しました。
吃音は、言葉を通して“伝える”というよりも、身体を通して“伝わる”という部分があります。映像だとより身体にフォーカスされるので、とても映画的だなと思いました」と、映画と吃音の意外な関係性について語った。

“恥ずかしい”という感情は大事な感情
映画で描かれる高校1年生という思春期ならではの葛藤と、吃音を抱え苦悩する志乃について、自身の思春期を振り返りつつ、押見氏は「吃音について悩んでいた学生時代は、自分自身で見て見ぬふりをして自分の吃音について調べようとはしなかったし、誰にも相談もしませんでした。この漫画を書くまでずっとこの体験や感情をしまっておいたんです」と話す。

山田氏は「私は吃音について深く悩んでいたと思います。思春期になって吃音との付き合い方や難しくなる人が多いというのは、“羞恥”という感情を強く意識するようになるからだと思うし、実際に私もそうでした。私は、深いレベルで人と人とがつながるときには“恥ずかしい、でも大丈夫なんだ”という感情になったときに、深い関係が築けると思っています。
映画を観て、志乃ちゃんがその後、どういう風に吃音や“恥ずかしい”という感情と付き合っていくのか気になりました」と、思春期の体験を交え語った。

押見氏は、その感想に喜びつつ、「この作品は“恥ずかしい”という感情や罪悪感などの肯定に繋がればいいなという想いを込めて描きました。
映画でもそれを汲んでいただいているのが嬉しいと思っています」と語った。

一般化せずにその人全体を捉えてあげてほしい
吃音は幼児期に症状が現れることが多く、悩みを打ち明けられず孤独を感じながら子育てをする保護者の方も多い。吃音がある子どもを持つ親たちのサポート環境について、医師として様々な患者と接する富里氏は「1番つらいのは、“自分の育て方がいけないのではないか”と、親として強く責任を感じてしまっている方が多くいること。
(周囲が)そうじゃないよと伝えることが大事だと思います。サポート環境はまだ足りていないと思います。また、子どもたちも、年齢に合わせて吃音の捉え方は変わってきます。
変化するなかで、一緒に向き合っていくという視点が必要だと思います」と語った。
劇中、上手く話せない志乃を担任が励ますシーンに触れ、教員と吃音がある子どもの関係性について、押見氏は「自分はそっとしておいてほしかったですね。
先生とは信頼関係の下地があればいいと思うんですが、いきなり吃音についてつっこまれても逃げ出したくなるだけなのかなと思う」と語った。

一方、山田氏は「人によってどういう風に吃音と付き合っているのかはとても差があると思うので、あまり一般化しないで、その人全体を捉えて接してもらえるとありがたいなと思います」とアドバイスを語った。また、大学で教員として生徒と接する側に立つ伊藤氏は「授業で自分の吃音について話したことがあったのですが、その教室にいた生徒がたまたま吃音だったんです。授業後、その生徒はとても発言するようになりました。
直接的なケアではないけど、体を開放していいんだよ、という文脈をつくることができたのかなと思っています」と、自身の経験を語った。

コンプレックスを乗り越えるのではなくて、受け入れる話を描きたかった劇中で加代が歌う「魔法」という曲は押見氏が作詞している。その曲に込めた想いについて、押見氏は「加代があの歌を歌ってくれたことが志乃にとって大事なんです。
志乃が抱いている思いを加代に直接話したわけではないけど、志乃が“普通になれる” “魔法”が欲しいことを加代は知っていて。でも、そんなものはいらないんだよと、歌にして消化してくれた。コンプレックスを乗り越えるのではなくて、受け入れる話を描きたかったんです」と語った。それに対し、富里氏は「病院にくるということは治療法をもとめてくる。
いわゆる“魔法”があると思って病院にくるので、まずは“魔法”がないことを受け入れることから始めようということになります。この作品のすごいところは、
“魔法”がいらないと視点に切り替わるところですよね」と、語った。

「この感覚をわからせてやる!」とパンク精神で描いた作品!?
一般からの質疑応答では、様々な立場の参加者からの質問が飛び交い大いに盛り上がった。漫画と映画のラストの違いについての質疑に対し、
押見氏は「ラストは違っているけど、本質的には同じだと思う。さらにそれぞれの登場人物たちの出発点を描いているのが映画の素晴らしいところだと思っています。」と
原作の根幹を受け継いだ映画に満足げに答えた。更には、取材などは一切行わずに、自身の経験のみで書き上げた本作について、
「この漫画は吃音をもっている人だけではなく、そうではない人にも読んでもらいたいと思っていた。“この感覚をわからせてやる!”みたいな。
この作品に触れた人がこの感覚を疑似体験してもらえるように、ある種のパンク精神みたいな感じで描いていました。」と、本作を生み出した原動力を語った。

一度でも自分を嫌いになったことがある人にこそ観てほしい。
本作をどんな人に観てほしいかという質問に対し、富里氏は「吃音だけの話にはしてほしくなくて、コンプレックスを抱えているすべての人たちに、
分かり合うことや向き合うことの難しさが伝わればいいなと思いました」、伊藤氏は「吃音は当事者じゃないとわかりづらいことが多く、閉塞的になりがち。
でも映画を通して、そうではなくて同じような問題はあっちにも、こっちにもあるという気づきが生まれればいいなと思います」、
山田氏は「吃音についての作品が生まれることは、それ自体いいことだと思います。このような機会に多くの人に吃音に関心をもってもらいたい」と語った。
最後に押見氏は「一度でも自分が嫌いになったことがある人に観て欲しい。そういった想いを抱えて、誰にも打ち明けられずにひとり悩んでいる人たちに映画を観てもらうことで 
”一人じゃない”ということを感じて欲しい。孤独じゃない、ということが伝わればと思います」と、大いに盛り上がったシンポジウムを締めくくった。

以上

出演:南 沙良  蒔田彩珠 /萩原利久 /
小柳まいか 池田朱那 柿本朱里 中田美優 / 蒼波 純 / 渡辺 哲
山田キヌヲ  奥貫 薫

監督:湯浅弘章  原作:押見修造 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」 (太田出版)
脚本:足立 紳 音楽:まつきあゆむ 配給:ビターズ・エンド 制作プロダクション:東北新社
製作:「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会(日本出版販売 カルチュア・エンタテインメント 東北新社 ベンチャーバンク)

2017年/日本/カラー/シネスコ/5.1ch/110分
©押見修造/太田出版 ©2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会

http://www.bitters.co.jp/shinochan/
7月14日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開!