11/23、大阪市西区のシネ・ヌーヴォXにて公開中の劇場版『シネマ狂想曲~名古屋映画館革命~』の上映後にトークショーが行われた。このドキュメンタリーの主役である名古屋のミニシアターシネマスコーレの副支配人・坪井篤史さん、夢人塔(ムジントウ)代表・浅尾典彦さんがトークを行った。

登場するなり「みなさん、シネヌーヴォの入り口の上の棚にあるビデオを見ましたか?『トランス 愛の晩餐』が未開封でおいてある劇場なんて全国でもここだけですよ!シネヌーヴォに勤めれば良かったかなぁ」と大興奮の坪井さんに満員の観客が爆笑となる。
1984年に日本公開となった西ドイツのカニバリズム映画に当時の記憶のスイッチを押された観客もいたのではないだろうか。

坪井さんは、アメカル映画祭の同志である中日興業の森裕介さんと共に今や絶滅危惧種となったVHSを集め続け、映画の中でも登場するマニアには夢の楽園、興味のない人にはひたすらコワイ部屋でしかないVHS部屋を所有している。
『シネマ狂想曲』の上映で、坪井さんの元に捨てるに捨てられないVHSを持ってくる人が後を断たず、坪井さんと森さんが保護してくるものも含めてやってくるVHSは今や7000本を越えたという。

坪井さんが副支配人を務めるシネマスコーレは若松孝二監督が1983年に立ち上げたミニシアター。シネコンの台頭により名古屋でもたくさんの映画館が閉館をよぎな
くされたが、シネマスコーレは独自の企画力で生き残り、訪れた数々の映画監督や観客を虜にしてきた。

2001年、スコーレに入った坪井さんが森裕介さんと共に2002年から2館連携でスタンプラリーと映画の紹介イベントであるアメ
ージング&カルト映画祭を立ち上げ、15年続く人気イベントとなった。

『シネマ狂想曲』は、アメカル映画祭で坪井さんのファンとなったメ~テレ(名古屋テレビ映像)ディレクターの樋口智彦さんが、坪井さんのドキュメンタリーを撮りたいと企画を立ち上げた。半年間スコーレに通いつめ、撮った素材が約300時間!PCで、スマホで簡単に映画が観られるようになった現在、シネマスコーレだからこそできる特別な映画体験を提供しオンリーワンの映画館を目指す=“映画館革命”を日々真剣に模索する坪井さんの姿を余すことなく捉え、観るものを熱くさせる作品となり、TV放送での大好評を受けて劇場公開と相成った。

シネマスコーレを「映画を上映することに命をかけている映画館」と評する坪井さん。『シネマ狂想曲』の中では23年前、
アジア文化を愛する同士と共に「アジア文化交流祭」を立ち上げ、アジア映画ブームを牽引したシネマスコーレの支配人・
木全純治さんの姿が紹介されている。アジア映画を買い付け、配給し舞台挨拶のために海外から監督たちを招いた。他の映画館がやらないことに取り組んできた木全さんだからこそ、なんでもありで現在の坪井さんの革命を見守ることで後押ししている。

そんな木全さんのことを坪井さんはこう語る。

「超次元トビダシステムっていう頭がおかしいことをやった後に超次元絶叫システムっていう更に頭がおかしいことをやったんですけども、あれを許してくれる支配人ってどんな人だって思うじゃないですか。

うちの支配人って凄くて、ゲストに“盛り上げてください劇場を。何をやってもらっても構いません。スクリーンさえ破らなければ後は何をやってもらっても大丈夫です。警察沙汰になってもうちはいいです”って(笑)。僕も先輩たちが支配人からそれを言われているのを聞いてきたわけですよ」

そんな環境だからこそ坪井さんも独自の企画をビシバシと繰り出していく。

「警察は極端にせよ、映画好きな人が年間100本と映画を観るとして、劇場で見た中で1劇場を記憶に残すことが出来るのかなと思ったんですね。それがアメカル映画祭だったりします」

『シネマ狂想曲』の最後に登場する超次元絶叫システムでは、再び白石晃士監督と共に取り組んだ。本気の人に対して本気で行くという覚悟の坪井さん。
「白石さんと僕で共通していたのが、映画を観た時の前後の記憶を持って帰らせたいって人だったんです」

貞子、伽椰子、口裂け女といった名キャラクターと一緒に何故か『呪怨』の俊男役で観客の前に登場することになった坪井さん。当初はTシャツを着て出るつもりだったが、白石監督の「それで俊男ですか」という死んだ目に奮起してパンイチ、白塗りで観客を沸かせた。イベントの成功に大興奮の坪井さんだったが、SNSで写真がアップされたことが思わぬ波紋を呼ぶ。

「うちの娘の友達のお母さんから奥さんにメールが来て、惇奈ちゃんのお父さん、大変な仕事だねって(笑)それ以降パンイチ問題というのかありまして」
パンイチのシーンは奥さんによるインパクトのあるディレクターズカットを観ることが出来る。

坪井さんのパンイチは観客にも思わぬ影響を与えた。会社でパワハラを受けている人が『シネマ狂想曲』でパンイチになって頑張っている坪井さんの姿を見て、”明日から頑張ろう、これくらいのことでくじけてはいけない”と思ったと新聞に投稿してくれた。救済映画として観られるようにもなった『シネマ狂想曲』だか、本来はその意図はないと言う。

「好きなことを仕事にするって難しいと言うじゃないですか。僕は逆だったんですよ。”好きなこと”って、好きだって言うだけじゃないですか。
ただ、いつか映画が振り向いてくれるんじゃないかって。これを言うと大体引かれるんですけど(笑)。未だに片思いなんですよ。両思いになれないから頑張っている。
映画のために何でもしますっていう感じですね。7000本のビデオのタワーで喜んでる奴を見て、お客さんが元気をもらえるなんて不思議ですけど、映画って凄いなと思いました」

そんなシネマスコーレにも3度ほど倒産の危機があったと言う。
そんな時ほど坪井さんのスイッチが入る。
「何をやってもダメなんだから、何やってもいいんだって」
アメカル映画祭で観客を掘り起こしたり、コレクターでもある浅尾さんに頼んでホラーポスター展を行った。
「うち(シネマスコーレ)がやっていたホラー映画と、よそでやっていたホラー映画のどっちが記憶に残るかっていうと、うちの方が残ると思うんですよね」

シネマスコーレに行くと外観を飾る味のある手書きのポスターが目を引く。
入場券売り場では入江悠監督、松江哲明監督、井口昇監督、白石晃士監督らの人形が観客を迎える。
浅尾さんは「映画館の入り口にいちいち上手くないイラストが貼ってあるんですけど、実はすごく大事なんですよ。映画って今は携帯でもなんでも観ることができます。でも映画って体験なんですよ。映画館で観て、みんなで同じ気持ちになって出て来る。これが映画です。
それを踏襲してるのが大事なことです」

坪井さんが映画にハマったきっかけが、ジャッキー・チェンのおっかけだったお母さんにたまたま連れて行かれた『プロジェクトA2」と大林宣彦監督の『漂流教室』だった。当時の映画館はジャッキーがピンチに陥ると「ジャッキー危ない!」と声が掛かったり、拍手が起こったり、坪井少年にとっては世界観が変わるほどの大興奮の体験だったという。
映画館革命を目論む坪井さんは、シネマスコーレでしか出来ない映画館体験を観客にして欲しいと願っている。
そんな坪井さんは現在、愛知淑徳大学の非常勤講師を務めている。映画に興味がなかった生徒にどんな影響を与えていくのか注目したい。

トークショーの最後に、観客にじゃんけんプレゼントが行われたが、レアな『シネマ狂想曲』の色違いパンフレット、ご利益があるかも!の魔除けのようなVHS部屋の写真に加え、12/30から凱旋上映が行われるシネマスコーレでの『シネマ狂想曲』の前売り券がセットになっていた。“シネマスコーレに来ればわかる”と言う坪井さんからのメッセージだ。坪井さんの映画館革命はこれからも続く。

 

(レポート:デューイ松田)