『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』早稲田大学特別講義
近代建築の巨匠ル・コルビュジエと、彼が生涯で唯一才能を羨んだと言われる女性建築家アイリーン・グレイの間に隠された波乱万丈のストーリーを美しき映像で描く極上のドラマ『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』が、10/14(土)よりBunkamuraル・シネマ他にて全国順次公開いたします。
南仏の海辺に立つ、建築史上に残る傑作<E.1027>。そこはアイリーンが手がけながらも、長らくル・コルビュジエの作とされてきました。本作は、歴史の闇に埋もれてきた幻の邸宅<E.1027>の謎を紐解き、ル・コルビュジエとアイリーンの知られざる愛憎のドラマを浮かび上がらせます。
このたび、アイリーン故郷であるアイルランドから、世界的なアイリーン・グレイ研究者である、アイルランド国立博物館キュレーターのジェニファー・ゴフさんが来日。日本の私学として最初の建築教育機関である早稲田大学理工学部建築学科で、ジェニファーさんを招いての特別トークイベントを開催いたしました。
日時:9月28日(木)16:30~18:00
会場:早稲田大学 西早稲田キャンパス
登壇者:ジェニファー・ゴフ
日本の私学として最初の建築教育機関である早稲田大学理工学部建築学科で開かれた講演には、世界有数のアイリーン・グレイ研究者として知られるジェニファー・ゴフ氏の話を聞くために、多くの学生が詰めかけた。講演が始まると、ジェニファー氏は「私が知っている日本語は“こんにちは”だけですが、日本に、そしてこの場所に来られてとても嬉しいです」と笑顔で挨拶。「パリとロンドンで学んだアーティストであり、“インテリア”という概念そのものを変えたと言われるインテリア・デザイナーであり、写真家でもあり、そして、モダニズム建築の母でもある」と、アイリーン・グレイが持つ多様な側面を紹介し、アイリーンの人生と彼女の作品を細かに振り返っていった。
1978年にアイルランドに生まれ、フランスでキャリアを築いたアイリーン。講演の中では、アイリーンと日本の意外なつながりが明かされた。アイリーンは、ロンドンで過ごした学生時代、よく授業をサボっては美術館に行っていた。特に、アルバート博物館(現ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)で日本の漆器の展示を大変気に入っていたとされ、日本の漆器についての本も持っていた。そこから既に、彼女は日本の文化、美術に神秘的な魅力を感じていたのだろう。ロンドンのリバティで日本の家具を見つけた時には、そのシンプルなスタイルと、強さがありながらも純粋で自然と調和したデザインに大きな感銘を受けたという。
そして、アイリーンは1900年にパリ万博で日本人の漆職人、菅原精造に出会う。すぐに意気投合した二人は篤い友情を築き、彼女は菅原から漆器造りについて多くを学び、彼女もまた、それを人に伝授していった。アイリーンは自ら漆を使った作品を多数つくり、中には青い漆を使用した作品もあった。どうやって漆で鮮やかな青色を出すのか、誰もがその青色に魅了されながらも、アイリーンの他には誰もその方法が分からなかった。しかしそれは「秘密のレシピ」とされ、何と、アイリーンは死ぬまで誰にも明かさなかったのだ。
その後、講演では映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』の舞台となるアイリーンの名作建築<E.1027>の革新性についても詳しい話がなされ、学生からは「アイリーンにとって、家を建てることは、インテリアやカーペット、絵画を作ることと同じだったのでしょうか?」という質問も飛んだ。ジェニファー氏は「というよりも、彼女にとっては、<全ての要素をまとめあげる、統合する>ということが家を作るということだったのでしょう」と答え、アイリーンにとって建築とは何だったのかを語った。
また、大の旅行好きで、あらゆる国に旅をしたというアイリーンだが、現時点では彼女が日本に来ていたという記録は残っていない。ジェニファー氏は、「アイリーンは絶対に日本に来たかっただろう」と言い、こう続けた。「今は、“アイリーン・グレイは日本に来たことがない”ということになっています。ですが、皆さんが研究をしていくうちに、アイリーンが日本に来ていたという新しい事実が見つかるかもしれません。ぜひ、皆さんにもアイリーン・グレイの魅力をもっと知っていただき、研究をしていただけたら嬉しいですね」。こうして、ジェニファー氏の学生たちに研究の希望を託す温かい言葉によって、講義は幕を閉じた。