7年の制作期間をかけて、半世紀以上続く「捕鯨論争」に新たな光をあてるドキュメンタリー映画、『おクジラさま ふたつの正義の物語』が9月9日(土)よりユーロスペース他よりついに公開致しました。本作は、2010年に公開し、東京で25週間のロングランヒットを記録したドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』の佐々木芽生監督による、最新ドキュメンタリー映画です。
そしてこの度、公開初日を記念し、佐々木芽生監督、エグゼクティブプロデューサー真木太郎(『この世界の片隅に』プロデューサー)、元AP通信記者ジェイ・アラバスター(出演者)、太地町教育委員会教育長 宇佐川彰男(太地町長代理)、太地町漁業協同組合 組合長 背古輝人(せこてると/出演者)登壇のもと本作の6年間にも及ぶ撮影秘話やの存在についてなど、本イベントでしか聞けないお話しをして頂きました。

<以下、イベント詳細>
満席の観客の皆様に暖かい拍手で迎えられ、佐々木芽生監督をはじめ、エグゼクティブプロデューサー真木太郎(『この世界の片隅に』プロデューサー)元AP通信記者ジェイ・アラバスター(出演者)、太地町教育委員会教育長 宇佐川彰男(太地町長代理)、太地町漁業協同組合 組合長 脊古輝人(せこてると/出演者)が登壇した。無事に初日を迎え撮影に協力して下さった登壇者の方々からの激励の言葉で本イベントはスタートした。


本作の制作に7年という歳月を費やしたという佐々木監督は「まさか、7年もかかると思いませんでした。撮影当時は『ザ・コーヴ』の影響で世界中から太地町が批判にさらされていたと思いますが、時間が経つ事によってこの物語が随分熟成されたんじゃないかと思います。この7年間という歳月はおクジラさまにとって必要な時間だったと思います」
現在アリゾナ州立大学での博士号論文作成の為、太地町滞在中のジェイ氏「公開初日を迎えられた事、本当に感動しています。本作の中で漁師さんと食事をしたり船に乗っているシーンがあるのですが『ザ・コーヴ』の影響で町の人達はカメラに敏感になっていたので、あまり撮れない絵を本当に頑張っていたと思います」
追い込み漁歴30年の脊古氏「『ザ・コーヴ』の影響で太地町での捕鯨活動に対し犯罪者のような扱いを受けてきて、本当に苦しい思いをしてきた。反論する機会も無く困っていた所、監督が来てこの映画を作ってくれた。どちら側でも無く見る人が個々に考えるキッカケになるような映画で本当に大好きで。僕はこれを見るのはもう4回目です」というお話に会場は暖かい雰囲気に包まれた。
監督は今回の制作で小学校での撮影に大変苦労したという。難しい状況の中で多方面の許可を取る際にご協力頂いた宇佐川教育長

「今回なぜこの映画に協力しようと思ったかというと、太地町に外国人活動家の方が沢山訪れた。子供たちが将来、外国人を見た時にシー・シェパードのような人達ばかりでは無い。という事を私達は伝えなければならないと思った」
「本当に教育長のご協力のお陰で、可愛らしい小学校のシーンが撮れました」と監督は感謝を述べた。

本作のエグゼクティブプロデューサー真木太郎氏「彼女(監督)は昔の部下でした。いつの間にか映画監督になっていて、前作『ハーブ&ドロシー』ではクラウドファンディングが成功してたんです。映画ではお金が集まらないのが常なんです。そのノウハウを聞いて僕は『この世界の片隅に』でクラウドファンデイングを成功させたんですが、その点では彼女が先輩です。映画はお客さんに見て頂く為に作っていると思うので、今日は沢山のお客様に見て頂いて本当に嬉しいです」
その後、観客の方々とのQ&Aを行った。

Q:「映画の中のラストシーンで漁師さんが普通の生活をさせて欲しいというセリフで終わってますが、あのセリフを選んだ想いを教えてください」
監督:A「エンディングのセリフは本当に迷いました。もっと強烈なメッセージもありましたが、あえてそこはぼかして言いたい事が10あったとしたら、あのセリフは6くらいで抑えました。残り4のスペースは皆様の気持ちで埋めて頂けるよう、主張性のないニュートラルな言葉を選びました」

Q「追込み漁は続けていきますか?」
脊古氏:A「どんなことがあっても絶対に続けていきます」と力強く答え、会場からは拍手が起こった。

Q「この映画はジェイさんが登場する事によって、全体の構造が面白くなっているように思うのですが、いかがですか?」
監督:A「ジェイと出会った事は運命で、この映画を本当に救ってくれました。初めは彼を登場人物の一人にするつもりでしたが、編集していくと彼を案内役という形にしようと思いました。見ている皆さんはジェイと寄り添いながら見る事が出来る役割で出演して頂く事になりました。ジェイは嫌がりましたけど・・」
ジェイ氏:A「最初は嫌でしたね、ですが20年以上日本に住んでいた自分の存在によって、日本とアメリカの衝突やモヤモヤを抑える事が出来ればいいなと思っていたので、この映画でその役割に立てて本当に良かったです」
監督:A「私たちは合わせ鏡のような存在で、私はNYで30年住んでいてジェイは日本で20年近く住んでいました。お互いに外国人として、この問題に対しての考え方がとても一致していたんです。本当に私の言いたい事を彼が代弁してくれていて感謝しています」


Q:「太地町に観光に行った際に『ザ・コーヴ』の一方的な論理に当時日本人として凄く憤りを感じた事を想起し、この映画の存在を知り、『ザ・コーヴ』に対抗した作品なのだろうと思ったのですが、全然そうでは無く両方の視点で、日本人の大きな包容力でこの問題を描いていて感動しました。太地町の方々は反論もしたかったと思うのですが、日本人の美徳で反論しない、言い訳しないというものがあるので凄く辛かったと思いますが、映画の中もでジェイさんが言っていた太地町の情報発信不足が大きな問題で、これはもう太地町だけではなく日本の問題だと思います。それについてはどうお考えですか?」
ジェイ氏:A「日本を代表する大きい企業では発信の技術を持っている所は沢山ありますが、国としてなかなか発信出来ていないと思います」
監督:A「本当にそう思います。もうこれは日本の問題になっていますし、情報発信に関しては太地町だけに背負わせるのではなく国として対策をとる必要があると思います」と締めくくった。

最後には撮影を担当した折笠貴氏の娘さんから監督へ花束の贈呈があり、満席の会場から暖かい拍手に包まれ初日舞台挨拶は終了した。