新宿武蔵野館にて公開中の映画『草原に黄色い花を見つける』。公開2日目となる8月20日、新宿武蔵野館にて特別トークショーが行われました。登壇者は、ベトナム映画『サイゴンボディガード』を監督した日本人映画監督・落合賢さんと映画評論家の松崎健夫さん。

落合さんは本作について「僕が拝見させていただいたベトナム映画のなかでトップ3には入る作品。ヴィクター監督はベトナムでは若いんですけど巨匠なんです。僕自身にも兄貴がいて、兄貴とよくプロレス技だったり空手でよく泣かされてたんですが(笑)兄貴の愛はずっと感じ続けてきたというところがよくわかるなと思った。」と語ると、松崎さんは「冒頭の石を投げているシーン、あれが結果的に弟が悪気もなければ純真で打算もなくて兄貴のほうがいろいろ考えて行動しているという布石になっている、あたまから後の展開をにおわすようになっていてうまいなと思いました。」と語りました。トークの内容は下記のとおりです。

<ベトナム映画産業について>
松崎 ベトナムの映画市場のなかに落合監督のように日本人の監督が入ってきているとか、このヴィクター監督もアメリカ出身で母国に帰って映画を撮っている、そういう外からの才能を受け入れて映画を撮っている感じがするんですが、落合監督はベトナムで撮られたときにそういう感じを受けましたか?
落合:そうですね。一つ目はベトナムの映画産業っていうのがうなぎ上りだということ。それでもまだ年間4,50本で、日本でいったら400~500本作られているので1/10くらいのサイズではあるんですけど、コンテンツをすごく求めていると。ベトナムの観客が「ベトナムの映画を見たい」と思っている状態なんです。これはヴィクター監督が作り上げた市場でもある気がするんですね。ここ10~15年の間ですごく増えてきているので。ベトナムで作っている監督と海外で勉強した監督というのはやっぱり文法が違うというのはあります。それぞれ映画っていうのは僕はコミュニケーションの一つだと思いますし、文法っていうものがあると思うんですね。邦画には邦画の文法があって、ハリウッドにはハリウッドの文法がある。その中でベトナムの、言葉と同じように文法が作られ始めている状態なんですけどそれがまだしっかりできていない感じなんですね。海外からきた監督は逆にハリウッドの文法を物語として伝えていくというのがしっかりできている。その脚本の地盤が違うというのが一番大きな点じゃないかなと思います。

<ベトナムにとっての80年代>
松崎:落合監督の「サイゴンボディガード」でも1980年代の音楽を引用されていて、この映画の舞台も80年代後半。ベトナムの人はこの時代をどういう風に受け止めるのかな?と思ったんですが?
落合:これは僕の主観なんですが、ベトナムの人たちにとって80年代というのはすごく重要な期間であって。75年にベトナム戦争が終わってそこから10年たって、すこし生活のゆとりであったりアメリカからのエンターテイメントがいろいろ入ってきて。そこでひとつ文化の盛り上がりみたいなものがあった時期だと聞いていました。そんな中で80年代のアメリカの曲が有名だったりするんですね。逆にビートルズとかは知名度が低かったりして。80年代はベトナムにおいて特殊な時代だったんじゃないかなと思います。
松崎:ベトナム戦争の影響というのはどうしても逃れられないと思うんですね。まだ40年くらい前の話で。日本だと第二次世界大戦を経験した人がもういなくなっていて問題だというのと逆に、ベトナムには戦争を経験してそれを潜り抜けた人がまだまだいるっていうことは時代として描いているという一つの理由じゃないかと思うんです。この映画でも土地柄というのはすごく重要視されているんですけども、その北か南か、ベトナム戦争のときの対立構造のようなものって、いまだにベトナムであるのかどうか、感じた感想を教えてもらえたら。
落合:北はハノイで、南はホーチミン、サイゴンと呼ばれている場所なんですけども、北と南の区別というのはすごく大きくて
ハノイは政治の中心地、サイゴンは商業の中心地で言葉も全然違うんですね。大阪と東京以上に方言が強かったりする。あとベトナムというのはベトナム戦争で世界中に移民が流れていった。ヴィクター監督の祖先もそういううちの一人で、最終的にアメリカにわたって。アメリカに渡ったりヨーロッパに渡った才能というのがいま40年後にして初めて戻ってきている。そういう意味では海外からの戻りというのがすごく大きくて、外に出た人たちが戻ってきてベトナムでつながりを作ろうとしている。日本でも最近日系人であったりする人たちが日本に戻ろうとする活動をちょっとずつやってはいるんですがまだ日本では騒がれてはいないかなと思いますね。

<ベトナムの映画製作事情>
松崎:ベトナムの役者たちはどんなところで演技を学んでるんですか?トレーニングはされてないんですか?
落合:されてない人がほとんどでしたね。ただ、有名な方は舞台をやられていたという人が多くて、「草原に黄色い花を見つける」と「サイゴンボディガード」に出ている役者さんでかぶっている役者さんも何人かいらっしゃるんですけど、そういう人たちは舞台の稽古の中で培ってきた演技方法を使っていたりしましたね。
松崎:スタッフの人たちはどういうバックグラウンドの人たちなんですか?
落合:スタッフの人たちは本当にピンキリで、経験がある人もいればそこらで朝つかまえて来た人たちもいたりして(笑)だいたいスタッフ100人くらいいる中で、ベテランの人もいれば、17,8歳の高校卒業したばかりの人たちもいるという感じですね。ただ、ハングリー精神がすごく強いかなと思いました。「いい映画を作ろう」「ベトナムの映画で、文化、言葉、人間性を世界中に送り出してやろう」という、「ベトナムを世界に知ってもらおう」という思いがすごく強いですね。