。8 月 19 日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開となります映画『草原に黄色い花を見つける』。監督のヴィクター・ヴ―が公開に先駆け来日し、ベトナム大使館にて来日記者会見を行いました。
本作は、1980 年代後半、ベトナム中南部の貧しい村に生きる、兄弟と幼馴染みの少女との淡い初恋物語。ベトナムの人気作家グエン・ニャット・アインのベストセラー小説の映画化。緑豊かなフーイエン省の自然を背景に、初恋の悩みや嫉妬、別れの痛み、そして少年から大人になる瞬間を詩情あふれる映像で表現。急成長を遂げるベトナム映画界はジャンルムービー全盛。エモーショナルな情感にあふれる人間ドラマである本作の大ヒットは社会現象となりました。
現在、ベトナムのトップ監督としてジャンルレスに活躍するヴィクター監督。記者会見でのヴィクター監督のコメントは下記の通りです。

<『草原に黄色い花を見つける』を作るに至った経緯>
この作品は自分にとって 11 作目の映画になります。今までは商業映画、ロマンチックコメディやアクション、スリラー、ホラーといった映画を作っていました。
実際にはこの『草原に黄色い花を見つける』を作り始める数年前に、このお話がきたんですが受けなかったんです。自分でも準備ができていないと思っていました。しばらくして、別のプロデューサーから脚本を渡され、原作も読みたくなって読んでみたんです。そうしたら自分でもびっくりしたんですけど、とてもエモーショナルで感情に富んだ作品で、心を打たれたんです。
自分はアメリカで、この映画の舞台であるベトナムとは全く別のところで生まれ育ちました。ですけれどもここで描かれているお話は、二人の兄弟の愛を語っておりまして、兄弟の関係というのは自分にとって非常に訴えるものがありました。それは自分にも弟がおりまして、自分たちが味わった葛藤というものも思い出しましたし、自分でも弟に対していかに意地悪だったかというのを思い出したりもしました。大人になってなんであんなことをしたのかと思うわけですけど、自分は子供でしたし、無垢で無邪気で、感情をコントロールすることもできなかったんです。それがよみがえってきた。自分にとってはこの物語は兄弟の愛が中心で、いろんなチャレンジをしながら少しづつ大人になっていく物語だと思っています。

<アメリカで生まれ育ち、なぜベトナムで映画を撮るようになったのか?>
僕はアメリカで生まれ育ち、アメリカで映画づくりを勉強していましたが、自分たちのルーツであるベトナムの文化というものに興味を持っていました。でもアメリカでベトナムについて知ることができるのは歴史の本、映画で描かれる話、ほとんどはベトナム戦争に関するものですが。それから両親から聞く話など非常に限られていました。ベトナム人が味わう体験を語りたいとずっと思っていたんです。1 作目 2 作目はアメリカで、3 作目でベトナムで撮影することができました。実際にベトナムで撮影をしているなかで、そこに歴史の本や戦争からは語られなかったベトナムの人々の情熱、熱さ、生き方や暮らしについてより強いつながりを感じたんです。自分が心のつながりを感じないとキャラクターを描けないので自分にとってはベトナムで映画を撮るというのは自然な流れでした。

<ベトナム映画市場における『草原に黄色い花を見つける』の立ち位置>
今のベトナム映画の市場は急成長を遂げています。僕がベトナムで映画を作り始めたころからは、公開される映画の数も劇場の数も全く異なるマーケットといえるくらい違います。出資者やプロデューサーもどんどん生まれました。しかし良い面と悪い面があり、みんな成功の方式ばかりに気が行っているということもあります。脚本の中身やストーリーの大切さが忘れられがちなんです。
この作品では経済的な成功は考えていませんでした。プロデューサー陣も今回は特別な作品ということで、ヒットすることよりもベトナム人にとって情感に訴える重要な何かを作りたかった。このヒットは私たちにとってもショックでした。スターが出ているとか、かっこいいとかモダンだとかではなくて、物語自体が人の心に訴えることができることによってヒットしたということがとてもうれしく思っています。社会的に文化的に意義のあるものを作ることの大切さを感じています。

この日は、日本人で初めてベトナム映画を監督し、ベトナムでも大ヒットした『サイゴンボディーガード』(8 月 5 日よりシネマカリテにて公開)の落合賢監督とヴィクター監督の対談も実現。落合監督は「ベトナムにいたときからトップ監督して噂はかねがね聞いていましたので、まさか東京でお会いできるとは」と語ると、ヴィクター監督も「『サイゴンボディーガード』を撮られた落合監督のことはベトナムでも話を聞いていたんですが今回初めてお会いするのでとても楽しみにしていました。」と笑顔。ともにアメリカで映画を学び、ベトナムでの映画製作事情にも詳しい二人の対談は密度の濃いものになりました。
落合:まずこの『草原に黄色い花を見つける』を見てノスタルジーを感じました。僕はこの時代のベトナムは知らないし、東京生まれのまったく違う環境だけれども懐かしくとても共感できる作品でした。ヴ―監督は個人的な映画だとおっしゃいましたが、映画というのは不思議なもので、個人的な作品であればあるほど世界共通であったり文化を問わず共感できる作品になるんじゃないかなと思いました。
ヴィクター:ノスタルジーの部分が一番難しかったんです。僕はその時代にベトナムでは暮らしていなかったので。舞台、世代特有なものというのは確かにあると思うんですけども、この原作を読んだときに強みは“ユニバーサルであること”かなと思ったんですね。万国共通に訴えるエモーショナルな強さというのがこの原作にあると思いましたので、設定についても本当にたくさんのリサーチをしました。万国共通の強さを離さず持っていることを大切にしたつもりです。ディテールについてもかなりこだわりました。もしこれを見たベトナムの方から「全然違う!」と言われたくなかったのでかなりナーバスになってリサーチしたんです。
今まではテクニカルに凝ったりひねったりハラハラドキドキしたり、そういった映画を作ってきたんですけど、この映画でシンプルに語ることの力強さを学んだ気がします。
落合:僕が『サイゴンボディーガード』を作ったときにも製作プロデューサーや配給会社からキャストの注文、アクションシークエンスを入れたい、コメディにしたいなどたくさんの注文があり、ベトナムの制作事情を垣間見ることができた。この『草原に黄色い花を見つける』は、コマーシャルな作品と一線を画す、ベトナムにおいて文化的な作品で大ヒットし、記録を樹立した作品だと僕は聞いていて、ベトナム映画業界にもたらした文化的効果は非常に大きいのではと思います。ヴ―監督は今後どんな作品をやっていきたいですか?
ヴィクター:このような作品を作ることができて幸運だったと思っています。必ずしもベトナムでは芸術作品としてとらえられているわけではないんですが、心を揺さぶる感動作品という風にはとらえられていると思っています。こういう作品を作ることができたというのは僕にとっても大きな自信になりました。これを撮った後、もっと大きな主題やバラエティに富んだジャンルに挑戦できるかなと思っています。僕は自分で誇り高いベトナム人だと思っているので、ベトナムにはもっと皆さんにご紹介できることがまだまだあるという思いがあります。
落合:アメリカで映画を勉強しているとクラスで日本の映画をよく見るんですね。ヴ―監督は日本の映画で映画製作に影響を受けた作品はありますか?
ヴィクター:黒澤明監督です。映画学校で勉強して初めて小津監督や数名の日本の監督も知るようになりましたけれど、自分にとってヒッチコックと黒澤監督の 2 人が一番影響を受けた映画監督だと思っています。一番感銘が深かったという意味で。黒澤監督から学んだことは、自分の文化、歴史について映画を作っていいんだということです。それも国内のマーケットだけではなくて世界のマーケットに向けて語っていいんだということ。世界の映画製作者にとって彼はアイコンだと思います。非常に個人的でパーソナルで、かつユニバーサルな映画を作った方だと思っています。
落合:正直嬉しさと悲しさと半々あって、やっぱり世界における日本映画って黒澤監督で止まっていると思うんですよ。今の監督がもっともっと世界にいかなければと思います。ヴィクター監督と切磋琢磨しながら映画を作っていきたいなと思います。

【ヴィクター・ヴ―監督プロフィール】
1975 年アメリカ・南カリフォルニア州生まれ。ロサンゼルス、ロヨラ・メリーマウント大学で映画制作の学位を取得し、ハリウッドで技術者として映画制作に関わる。09 年からは両親の故郷・ベトナムへ拠点を移し、短編映画制作を経て本作を監督。本作がベトナムで社会現象を巻き起こすヒットなり、ベトナム国内最高賞である金の蓮賞を 2 年連続受賞。人間ドラマからホラー、アクションまで幅広い作品を手掛けるベトナムの№1 ヒット監督。その活躍はアジアのみならず世界から注目を集めている。