本日22日(土)新宿K’s cinema にて香港映画『十年』が公開され、満席の中エグゼクティブ・プロデューサーのアンドリュー・チョイ氏、プロデューサーで第 5 話『地元産の卵』の監督の Q&A が行われた。
Q&A が行われたのは、初日第 1 回目 12 時 20 分の回上映終了後。開始 1 時間前には、既に整理券が無くなる人気で、本作で香港映画の流れを変えたと言われるプロデューサー2 人の登場に、会場は熱気に包まれた Q&A となった。本作でエグゼクティブ・プロデューサーを務めたアンドリュー氏は、この企画をン・ガーリョン監督と立ち上げ、一緒にまず残りの監督(4 作)を探す作業をし、配給・上映等の部分で担当。プロデューサーのン・ガーリョン氏は、作品の考え方、各監督の考えをどう作品に反映させるか等、監督たちとの作品に関する話し合いを担当している。また第 5 作の監督を担当しているので、その部分では監督業に集中している。
アンドリュー・チョイ(蔡廉明) エグゼクティブ・プロデューサー(*以降Pとします)
本日第 1 回目の上映満席ということで、足を運んで頂いたことに感謝しています。
ン・ガーリョン(伍嘉良) プロデューサー&第 5 話「地元産の卵」監督(*以降Dとします)
『十年』が日本で正式上映されてうれしいです。また今の香港の現状というものを皆様と分かち合えればうれしいです。

Q.香港では今繁体字が使われていますが、簡体字を使う要求というものが具体的にあったのでしょうか?

(D)ご質問にあるような簡体字を使う要求というのは政府からは来ていません。ただ香港のほとんどの学校においては国語は北京語(普通語)に変わっています。私たちとしては国語というと広東語を習ってきたのですが、今北京語に変わっています。
広東語にも豊富な物言いがあるはずなのに、今それが無くなってしまうのではないかと危惧し、この作品を作りました。
すでに中国国内ではいくつかの地域で、実際に北京語のテストに合格しないと空港等公共施設でお客さんを載せられないという映画のようなことが起こっています。香港でもいずれそうなるのではないか、広東語の立ち位置が変わっていくのではないかと危惧していました。

Q.金像賞を取った後、日本のニュースでなかなか活躍の場が難しいという記事も読んだことがありますが、現在どのような状況なのでしょうか。

(P)2015 年に約 8 週間上映されました。ずっと満席だったのですが、原因は不明ですが上映が突然終了しました。その後、金像賞を獲ったのですが、いろんな反応があり、特に中国国内の新聞では批判的なことを言われたりもしました。私たちは今後も創作活動を続けていきますし、準備している事もあります。ただ、金像奨を獲ったあと、作品にかかわったスタッフは中国本土には入っていません。入るなとも禁止とも言われていないですが、気を付けるに越したことはないので、入っていません。
(D)いろんなところから話もきてプロデュースをやってくれという話も来たのですが、出資者がこの作品の監督でプロデューサーだとわかったとたん、先方から「今回はご遠慮願いたい」というお話があったことがあります。ただそれは悪い事とは考えていません。相手がそういう考えの方だとわかり、創作活動にその考えを織り込むなら、最初にわかった方が自分としてはプラスになると思います。

Q:なぜ 2047 年(一国二制度の期限)ではなく 2025 年に着眼したのでしょうか?

(D)この作品を作るときに、時間をどこに設定するかというのは話し合いました。2025 年にしたのは、今生まれた子供でも、今既に年をとっている方でも、かかわる可能性が高い。20 年後、30 年後だと関わらない可能性があります。でも 10 年後は、今この作品を見ている人がすべてかかわる時間だったからです。そして人間の一生の中で 10 年というのがひとつのターニングポイントになることが多いので、そういう意味でも 10 年にしました。
もうひとつは、変化するにはある程度の時間上のプロセスが必要なので、10年という期間を想像した時に、すぐに変えなきゃいけないのか、ゆっくりプロセスを変えていかなきゃいけないのか、というのを考えながら 10 年という時間にさせて頂きました。
(P)もっと現実的な問題としては、製作費がそんなになかったので、50 年後という形にするともっと大掛かりなセットが必要になるかもしれないので、この製作資金では撮れなかったというのもあります。

Q:香港の社会が変わっていく中で、製作中の出来事で脚本が変わったこと、撮影場所が変わったことはありましたか?

(P)実は少しあります。撮影に入るところで雨傘運動が起こりました。大きな社会の変化が起こったので、何人かの監督は作品の中に新たに反映をさせようと変更した部分はありました。雨傘運動の後、例えば催涙弾のシーンを撮りたいとロケ地を申請していたのですが、催涙弾だったら許可しないということがあり、変更を余儀なくされたこともあります。ただ最初から、社会が大きく変わっても 10 年後の香港を描くという、最初からの考えは変わっていません。
(D)撮影中、雨傘運動という社会的に大きなうねりがありましたので、脚本の変更もありました。その後、香港は大きく変わった部分があります。特に政府の発言、例えば普通選挙に関して等、どんどんおかしくなって行きましたので、それに合わせて脚本を修正したりしました。この先このままだと香港はどうなっていくのか、想像しながら作っていますので、リアルに起こっている部分も脚本に反映させながら、書いて行っています。
雨傘運動の前とあとで変わった部分としては、最後に卵を投げて親に怒られるシーンです。やってはいけない訳ではないけど、やらない方がいいという、中途半端な状況に置かれているというのも自分の脚本の中に反映させました。