6/3から大阪市西区のシネ・ヌーヴォにて開催中の【香港インディペンデント映画祭】。6/4、トークイベント〈香港ー6月4日を忘れないために〉が行われた。登壇したのは、関西学院大学社会学部教授の西村正男さんと【香港インディペンデント映画祭】主催の映画監督リム・カーワイさん。

「天安門事件からこの【香港インディペンデント映画祭】全体を紹介したい」とリムさん。

 

日本とマレーシアから見た天安門事件

元々中国文学を専門に研究している西村さんは、最近では中国映画について論文を発表したり、文学と中国語圏の文学や流行の音楽、映画を研究したりとその活躍のフィールドを広げているという。

「大学2年生の時に天安門事件があって凄く衝撃的でした」と当時を振り返る。

大学では社会学を専攻、音楽が好きだったことから流行音楽の研究に進もうと考えていた。そんな折天安門事件が勃発、色々な先生から中国が大変な事になっているという事を聞かされ、いつの間にか中国を専門に選んでいたという。

「当時はたくさんの香港の映画人も声を上げて、リムさんが当時の声明をFacebookで紹介してましたが、テレサ・テンが支援のステージで歌ったりということもありましたね」

 

一方、マレーシア人のリムさん。天安門事件の当時は高校1年生。マレーシアで中華系の学校に通っていたという。国立の学校ではなく、マレーシア独立後に中華系の人々が政府に学校を開く権利を主張して作った学校だった。

中華系とマレー系の対立が激化した87年頃をマレーシアでは「暗黒の時代」と称する。政府が中華系の学校や中華民族の教育を潰そうとする動きがあり、中華系で構成される野党が反対していた。国の安否を脅かすとして、たくさんの政治家や文化人が逮捕されたという。

リム「89年に天安門事件が起きて、中華系の学校に通っていた我々も凄くショック受けて、自分も政治に関心を持つようになりました。マレーシアだけでなく東南アジア全体がそうですが、我々は香港のサブカルチャー、テレビ、ドラマ、映画、音楽に育てられてきました。中国人でも香港人でもないですけど、マレーシアの中華系にとっても天安門事件は大きいものでした」

天安門事件で一番敏感になっていたのは香港人たちだったと回想する。テレサ・テンやジャッキー・チェンなど当時のスターが学生を応援し、政府を批判するイベントを開催した事がマレーシアの中華系にも影響与えた。マレーシアのクアラルンプールでも応援イベントが行われ、リムさんも参加したという。

西村「香港社会を語るには中国との関係を抜きにして語れない。今回の映画祭でも中国との関係が浮かび上がってくる作品が非常に多いんじゃないかと思います。

ちなみに今回は香港返還から20周年、学生運動、社会的な大きな運動から考えると1967年に大きな香港暴動があって、それから50周年という記念の年でもあり、考えさせられます」

 

 

『乱世備忘─ 僕らの雨傘運動』 2016年/監督:チャン・ジーウン

雨傘運動は映画でどのように語られて来たのか

2014年、リムさんが監督を務める香港と中国の合作映画の準備で香港に滞在していた折に雨傘運動が始まったという。

リム「僕は香港人の友達も多くて、親中国派ではない彼らも学生たちを応援してセントラルに集まったり。僕も彼らと一緒に雨傘運動に参加してました」

 

西村「『乱世備忘─僕らの雨傘運動』は素晴らしいドキュメンタリーなのでぜひ見ていただきたいんです。香港映画で何度も見てきた香港の街が雨傘運動の中で姿を変えている、あの映像見るだけですごく映画的だと感じてしまうんですよ。香港映画が好きな方だったら、香港映画の中で見てきた警察官とこのドキュメンタリー映画の警察官を比較して考えてしまうでしょうし。ストーリー映画のようにも見えて非常に面白かったです。

結果的にはあまり成果は得られなかった運動でありますが、当時からモンコックでは現地の商店とうまくいってないなど色々言われていたんですけど、運動内部の矛盾や軋轢もきちんとに描き込まれていて良かったなと思います」

リム「雨傘運動を描くドキュメンタリーは何本も作られまして、山形ドキュメンタリー映画祭でも『革命まで』と言うタイトルで上映されました。

『乱世備忘』と圧倒的に違っていて、『革命まで』と言う映画は大人の目線で運動を語っていて、民主化運動に貢献した、あるいは貢献したと思っている人のインタビュー。『乱世備忘』は完全に同じ姿勢、同じ目線で運動に参加した若者を対象にして取材して、しかも無名の彼らの青春の1ページとしてこの運動捉えているところが大きいですよね」

傑作短編集には、雨傘運動関連作品として『乱世備忘』チャン・ジーウン監督のフェイク・ドキュメンタリーである『表象、および意志としての雨』、日本でもよく知られているイン・リャン監督の『九月二十八日・晴れ』といった秀作がラインナップされている。

 

 

『哭き女(なきおんな)』2013年/監督:リタ・ホイ

『哭き女(なきおんな)』が示唆するもの、そしてミッシェール・ワイの美しさ

西村「『哭き女(なきおんな)』については、私はどうしても中国と香港の関係と言う角度から読み取って行きたくなる。最初の方で主人公のパートナーの男性がネットを見ていた時に、中国共産党の応援をする書き込みでお金をもらっている五毛党を思わせる人たちが映ったりします。終わりの方で『さよなら、香港』という歌が流れるんですけど、実は作詞が中国国歌の作詞をした田漢であるといったことからそのように読める。

『河の流れ 時の流れ』は非常に香港的な映画なんですが、最後の最後に少林寺が作られるという大陸の資本が流れてくる様も描かれていて、こちらも大陸との関係を描いた映画ではないかと思いました」

『河の流れ 時の流れ』2014年/監督:ツァン・ツイシャン

『哭き女(なきおんな)』の主演ミッシェール・ワイについて、リムさんは今まで彼女の演技に魅力を感じていなかったという。

リム「この作品を見て凄くショック受けました。全身全霊で演じていて、誰が見ても惚れしまうような美しさです。今まで彼女の魅力発見されなかったのは、ひょっとしたらして香港の商業映画のせいで、商業映画はいい役者さんを潰すのではないかと、この映画を観て感じるんです(笑)」と持論を展開。

「香港のインディーズ映画がもっといっぱい作られて、日本でも紹介されたらいいなと思いましたね」

西村「香港の特殊性としては、商業映画とインディペンデント映画の垣根が結構低いのではないか。『アウト・オブ・フレーム』ではアン・ホイ監督への謝辞がクレジットに出てきますし、その垣根の低さがいいところだと思います」

 

『アウト・オブ・フレーム』2015年/監督:ウィリアム・クォック

変わりつつある中国の印象

香港で雨傘運動が起こった際、中国でも話題になり芸術家が、北京近郊の芸術村「宋莊」で応援イベントを行い、警察に連行された。未だ釈放されてない芸術家もいるという。ウィリアム・クォック監督の『アウト・オブ・フレーム』は、そんな芸術家たちに捧げられるように、香港の自由な制作環境がいずれ失われるのではという危惧が描かれている。

国の規制が厳しくなり、「宋莊」では2年前まで毎年開催していた中国インディペンデント映画祭も中止を余儀なくされたという。

 

西村さんは、「そんな政府をどう評価するかとは全く別のことですが」と前置きしつつ、最近学会で何度か訪中する度に、中国の印象が変わりつつあるという。1995、6年頃、西村さんが中国の天津に留学していた当時は保守的な市長の下、非常に暮らしにくかったという思い出が残っている。

西村「昔は知らない人との関係は凄くギスギスしていたんですけど、特に都会の人を見ると経済が発展して、みんな凄く自信を持っている。非常に暮らしやすい環境にはなっているのかなと」

リム「そうですね。裕福な人も増えたんですけども、逆に天安門事件があった頃と比べると今の方が言論の自由が厳しくなってたんじゃないかと思うんです」

西村「この問題はもちろん大きいですね。私が接触する研究者は台湾から本を出すといったやり方で対応しています。私は戦争中日本の占領下における映画や音楽の研究をしてるんですが、その時代の文化に関する本は中国で1冊出たくらいですね」

と、暮らしの発展と、政治による規制という側面から印象が異なる中国の状況についてトークが続いた。

 

『憂いを帯びた人々』2001年/監督:ヴィンセント・チュイ

知らざれる香港映画の魅力を味わう

2016年9月4日、香港の立法会選挙では、政治を自分たちのモノとして捉えた若者たちが参戦し、香港独立を唱える候補者が立候補資格を取り消しされるという波乱もあったが、6議席を獲得するなど事前の親中派の圧倒的有利という世論を覆す結果となった。失敗に終わったとされる雨傘運動だが、確実に新たな潮流を生んでいる。【香港インディペンデント映画祭】は、そんな現在に至るまでの香港の状況を様々な角度から観ることが出来る。

個人的に特に心に響いた作品をいくつか挙げると、『乱世備忘』ではヒステリックにならず、ユーモアを忘れず問題に対峙する香港の若者たちの軽やかな姿が忘れられない。

中国返還で交錯する『憂いを帯びた人々』(ヴィンセント・チュイ監督)の喪失感に苛まれる人々の姿。

『狭き門から入れ』2008年/監督:ヴィンセント・チュイ

ヴィンセント・チュイ監督がその7年後に撮った『狭き門から入れ』は、「一国二制度」の矛盾を主軸にしながらも、『憂いを帯びた人々』を発展させた形でサスペンス映画としても恋愛映画としても味わえる一級のエンターテイメント作品になっている。

父親が自殺した少年を描いた『遺棄』(マック・ジーハン監督)では、登場人物に悪い人間はいない。しかし一人ひとりのなにげない切捨てが、少年の未来を少しずつ確実に暗く塗り潰して行く様が淡々と描かれていて衝撃を受けた。

 

『遺棄〈香港の今が分かる傑作短編集〉』2013年/監督:マック・ジーハン

政治は一部の関心がある人々だけのものではなく、その影響は個人のアイデンティティや恋愛、人間関係も共振させると、改めて考えさせられた。ディープな香港映画ファンはもちろん、そうでない方にも未知の香港映画の魅力が味わえる【香港インディペンデント映画祭】6/9まで開催される。

 

(Text:デューイ松田)