文化芸術の街「上野」と喜劇発祥の地「浅草」を舞台に繰り広げられるコメディ映画の祭典「したまちコメディ映画祭in台東」(略称したコメ)。今年も2016年9月16日(金)〜19日(月・祝)に「第9回したまちコメディ映画祭in台東」を開催致します。「したコメ」は、東京随一の下町(したまち)の魅力をコメディ映画を通じて存分に味わっていただく、いとうせいこう総合プロデュースのコメディ映画祭です。
本日9月19日(日)、「コメディ栄誉賞」を受賞する日本を代表する巨匠・山田洋次監督にスポットを当てたリスペクト上映として特別に35ミリフィルムでの『男はつらいよ』第1作の上映&トークショーを実施いたしました。急遽、佐藤蛾次郎さん、北山雅康さんの登壇も決定し、寅さんファミリーが集結しました。トークでは、渥美清さんのお話から撮影当時の裏話まで大いに語っていただきました!

●実施日時:9月19日(月・祝)           
●場所:雷5656会館ときわホール
●ゲスト:岡本茉利 、佐藤蛾次郎、北山雅康    
●MC:佐藤利明

<トークショー内容>
【MC】浅草といえば、渥美清さんのキャリアがスタートしたゆかりの土地ですよね。(岡本)茉利さんも今は浅草とゆかりですよね?
【岡本】そうですね。大衆演劇の全国座長大会を浅草公会堂で行ったり、雷5656会館では時代劇のお芝居でも舞台に上がらせて頂いたことがありますので、とても懐かしいです!
【MC】第8作『寅次郎恋歌』の冒頭で、寅さんを見送るセリフで「先生、車先生」と言うシーンがありますが、この時はまだ茉利さんも若い女優さんで、まだ旅役者じゃなかったと思いますが、役の上でのキャラクターが現実になったということですよね?
【岡本】そうです。山田洋次監督の『寅次郎恋歌』で吉田義夫さん演じる座長が書かれらした素敵なイメージが私の心の中に入ってきまして、旅をしてみたいという想いが芽生えてきてしまったんですよね。
【MC】役が現実になっていく、これが寅さんの凄いところです!北山さんは第40作『寅次郎サラダ記念日』で、くるまやの寅さんとの絡みが多かったと思いますが、渥美さんとの共演はどうでしたか?
【北山】実は、デビュー作が山田洋次監督の『ダウンタウンヒーローズ』という映画だったんです。渥美清さんとは当時からご一緒させて頂いていました。『男はつらいよ』で三平ちゃんを演じた時は21歳で今はもう49歳になってしまいました…!(笑)
【MC】蛾次郎さんはいくつになりました?
【佐藤】俺、今はもう72歳だよ!(笑)当時は、24、5歳だったかなぁ。
【MC】そうなんですね!蛾次郎さんが映画に出るきっかけって何だったんですか?
【佐藤】大阪でうちの事務所の社長が「今度、東京から偉い監督が神戸で映画を撮る。そこでちょい役だけど、関西弁をしゃべれる子を使いたいみたいなんだ。山田洋次監督という監督だよ」と言われ、俺は「知らねえよ、そんな監督」って…(笑)
社長が「明日の11時にうちの事務所でオーディションがあるからいらっしゃい」と言われ、当日は11時頃に和田アキ子さんなど友達とモダンジャズカフェにいたんだ。ただ、1時になったら皆帰っちゃって、その時にふとオーディションの事を思い出して、事務所に帰ったんだよ。それで、1時半頃に遅刻して事務所に行ったら、オーディションが終わっているのも関わらず、山田監督がまだ俺を待ってくださっていて…!ただ、俺はやる気がなかったから、事務所に着いて煙草をふかしていたら、山田監督が笑いながら「どういう役をやりたいの?」と聞かれ、俺は「不良だよ」と一言。それが気に入ったのか、後日、事務所に「佐藤蛾次郎を使いたい」と依頼が来ました。でも事務所の社長は「あの子は遅刻もするし、芝居も下手ですよ」と断ったみたいで…(笑)でも監督はそれでも使ってくれて、最初はちょい役だったのに、いつの間にか準主役にまでなりましたね(笑)チンピラの話なんですが、作品をどこかで観る機会があれば、是非観てほしいです。
【MC】渥美清さんは寅さんになるとパッと輝く方ですが、撮影の合間は知的で物静かの方だったみたいですね、北山さん?
【北山】物静かでクールな方でしたね。撮影の合間に、渥美さんが新聞を持ってこられて、トイレに行ったら若造に「新聞をよんでくれ」と渡して下さるんですが、私は20歳そこそこで難しい漢字が読めなくて、飛び飛びに読んでいたら全く意味が通じなかったらしく、2度と読めとは言われなかった…(笑)
【MC】ははは(笑)とにかく、渥美さんは情報に対してアンテナを張っている方でしたよね。
【北山】撮影の時は、楽屋に上げてくださって「三平は今、役者で誰が輝いていると思うか?」などの質問をいつも必ず聞かれましたので、毎回何を言おうかを考えて現場に行っていたのをよく覚えています。
【MC】岡本さんは、渥美さんと二人だけの芝居が多かったと思いますが、どうでしたか?
【岡本】渥美さんは突然、質問をされる方で、「さゆりちゃんは何年生まれ?」と聞かれ、昭和29年生まれだと返したら、「僕と一緒だ」とおっしゃるんですよね。当時は事情がよくわからなかったんですが、渥美さんは大病された時があり、生まれ変わった自分と一緒だということを言っていたんだな、と後で知りましたね。「昭和29年生まれ同士だから、五分五分で芝居をしよう!」とおっしゃったのには当時、本当にビックリしました。緊張していた私をそうやってほぐしてくださったのかなと思いましたね。