文化芸術の街「上野」と喜劇発祥の地「浅草」を舞台に繰り広げられるコメディ映画の祭典「したまちコメディ映画祭in台東」(略称したコメ)。今年も2016年9月16日(金)〜19日(月・祝
)に「第9回したまちコメディ映画祭in台東」を開催致します。「したコメ」は、東京随一の下町(したまち)の魅力をコメディ映画を通じて存分に味わっていただく、いとうせいこう総合プロデュースのコメディ映画祭です。
「したまち演劇祭in台東」との共同企画として、“井上ひさしと山田洋次2人の「母と暮せば」”と題し、井上ひさしさんの娘である井上麻矢さんをゲストにお迎えし、トークショーを行いました。父であり、作家で井上ひさしさんのお話から、小説『父と暮せば』から『母と暮せば』の制作の裏話まで語っていただきました!

●実施日時:9月19日(月・祝) 
●場所:雷5656会館ときわホール
●ゲスト:井上麻矢(劇団こまつ座代表)
●MC:佐藤利明

<ご挨拶>
【井上麻矢】雷5656会館は歴史を感じられるレトロで素敵な空間ですね。(浅草の思い出は)作家の家で父は遅筆だったので、朝、原稿ができ上がると、父が「出かけるぞ」と一緒に浅草に繰り出し、寅さんを観て、SKD(浅草国際劇場)を観てという感じでしたね。浅草は寅さんの匂いや、父の思い出の詰まった土地だなと思います。

<トークショー>
【MC】『父と暮せば』は広島が舞台ですよね。本作は、広島原爆から3年後、原爆で亡くなったお父さんと、生きていくことに罪悪感を持っている娘の物語です。この作品が『母と暮せば』になっていくのには、どのような経緯があったんでしょうか?
【井上】山田監督が元々、『父と暮せば』の大ファンで父とも親交が深かったんですが、実は、監督から『父と暮せば』をもう一度映画化したらいいんじゃないか、という話を頂きました。ですが、黒木和夫監督がお亡くなりになっていたので、(黒木監督が)一生懸命作ったものを(山田監督が)もう一度作り直すのは良くないね、という話になり、一度(山田監督が)諦めるとおっしゃいました。その時に、私が「もし父が生きていれば、『母と暮せば』という物語を、長崎を舞台にやりたいと言っていたと思うんですよね」と言ったら、そこから監督が「その話、もうちょっと聞かせて!」となり、そこから企画がスタートしました。
『父と暮せば』は、出てくる人数は少ないんですが、被爆した方々の体験を一人の主人公が背負ってひとつの人格になっています。調べられる書記などをすべて調べつくして書いているんですよ。
【MC】体験を集約しながら、井上流の喜劇として楽しめますよね。『父と暮せば』の戯曲のあとがきに、フランスやイタリアでも上映した際に、広島弁が翻訳されているのに、しっかりと(外国の方にも)ハートが伝わっていくんだ、とおっしゃっていました。それは、僕らが井上さんのお芝居に感じる良さだと思いました。
【井上】(父は)自分は昭和という戦争の時代に生きた作家として、広島、長崎、沖縄は描かなければいけないと言っていました。そして、演劇を通して、突然日常を奪われてしまった一人一人の人の声を聞きたいと、一つ大きな作家としてのライフワークみたいなものだったんじゃないかなと思いますね。
【MC】その魂を山田監督が受け継いだのがこの『母と暮せば』なんですよね。
【井上】そうなんです!監督から、『母と暮せば』を映画にしようと言って頂き、お話している最中にすでに監督の中でイメージがすぐに広がって、目にはすでに絵コンテが広がっているようでした。監督と話しているうちに私もすごく作品を観てみたくなりましたね。
【MC】ご覧になった感想はいかがでしたか?
【井上】一つは監督にとても大きな感謝をしたいなと思いました!人が何かを残して死んでしまった場合、それを受けて、(山田監督が)次の世代に渡してくれる大きな仕事を買って出て下さったことへの感謝です。山田監督も(父と)同じように、二宮さん演じる主人公の中に、戦争で亡くなられた方の姿を投影をされているんですね。それを見て、物を作る方は皆ここに行きつくんだなと改めて思いました。
【MC】偉大な作家、井上ひさしさんですが、父としてはどんな方でしたか?
【井上】やっぱり生きている時は、ごくごく私にとっては父であり、作家でもありました。当時、私も反抗期もあったので、仲のいい親子ではなかったんですが、亡くなってからは知らないうちに会話している、し続けていると思います。皆さんに伝えたいのは、生きているうちに、これから大切な人たくさん会話をして頂ければと思います。それが伝われば、映画を観て頂いた価値があるんじゃないかなと思いますね。この世の中、ある日、突然いなくなることって珍しいことではないと思うんですよね。後悔しないようにたくさん会話をしてほしいです!この作品は、父との会話の中で書き上げた小説でもあります。よく父は「死んだ人からは学べないんだよ。だから死んだ人からの声は、心で聞いて自分の人生に生かすことが大事なんだよ」ということ言っていましたね。