神保町・岩波ホール他で絶賛公開中のウニー・ルコント監督待望の最新作『めぐりあう日』。
本作の好調なヒットを記念して、8月26日(金)に、諏訪中央病院の医師であり作家の鎌田實さんによるトークイベントを開催いたしました。

テレビ・ラジオ等でも活躍し映画通としても知られる鎌田實さんとウニー・ルコント監督との出会いは、ルコント監督の長編デビュー作『冬の小鳥』が岩波ホールで公開された2010年。少女が児童養護施設から旅立つまでを描いた『冬の小鳥』は、韓国からフランスへ養女として海を渡った監督の実人生が重ねられていました。同じく養子として育った鎌田さんは、映画への高い評価と同時に監督の人生に深く共感され、雑誌の特集企画として往復書簡が実現。お二人の生い立ちや国境を越えた活動について、赤裸々につづられた書簡は大きな反響を呼びました。本トークイベントでは鎌田さんに往復書簡のエピソードや、『めぐりあう日』の魅力について語っていだきました。

◆日程:8月26日(金) 12:50〜
◆登壇者:鎌田實さん(医師・作家) 
◆場所:岩波ホール

ウニー・ルコント監督の『めぐりあう日』は、僕なりに感じたことが3つありました。
ひとつは、息づかいの映画。2つめは、愛の映画。3つめは自由の映画だと。

以前ウニー・ルコント監督と雑誌の企画で往復書簡を行ったのですが、ルコント監督からもらった手紙の一部に、今回の『めぐりあう日』につながる話があります。
僕は往復書簡で一番初めに自分の生い立ちを話しました。1歳10ヶ月の時に親から捨てられ、子どもがいない夫婦が僕を拾ってくれて、僕の新しい人生が始まりました。僕も(「めぐりあう日」の)主人公と同じように、実母がどんな人だったのか分からずずっと悩みました。どんな母と父のもとに生まれたのか分からないから、きっと好き好んで僕を捨てたのではなく苦渋の選択だったのだと思うことで、傷をあまり大きくしないように生きてきました。

書簡のなかでルコント監督は「フランス語で“捨てられた”を表す“abandonné”の“donné”には”与えられた”という意味があり、“捨てられる”という言葉には“何かを与えられる”という意味も含まれている」と言っていました。
生きていくうえで、裏切られたり、捨てられたり、辛い思いをさせられた時に、考え方を少し変えられたら…。“捨てられるということは与えられるということ”、つまり究極の自由を与えられたということを、ルコント監督は言っていると思います。今回の映画も自由に向かって生きていく作品ではないかと思います。

映画にはアンドレ・ブルトンの詩がでてきます。生老病死と仏教でも言われていますが、生まれてくることは苦しみがたくさんあるということ。それでもブルトンは自分の子が生まれてきたときに娘に向かって、あなたの人生が狂おしいほどに誰かに愛されますように、そして人生を謳歌できるようにと語ります。
これは愛の映画なのだろうと思います。
ルコント監督の前作『冬の小鳥』の原題は、「まったく新しい人生(A Brand New Life)」です。トルコでノーベル文学賞をとった小説家オルハン・パムクの著書に「新しい人生」という作品があります。その本を読んだ若者たちが人生を変えていくという物語で、もちろんそれは愛の物語になっていくのですが、ルコント監督も6年前のデビュー作で、新しい人生というキーワードを使っています。『めぐりあう日』もおそらく、新しい人生を求めていく物語だと思います。

僕は冒頭に『めぐりあう日』は息づかいの映画だと話しました。主人公がお母さんとおぼしき人を施療していくシーンでは、メロディアスな音楽が流れる訳ではなく、トランペットとピアノが同じ繰り返しをしていくような音楽が流れ、まるで僕たちが呼吸していくようなテイストに映画が仕組まれています。後半になると、トランペットとピアノが複雑に絡み合い、新しい人生が始まっていく兆候がみえたときに、ピアノとトランペットが合奏になっていきます。

映画では主人公がお母さんに「なぜ手放したの?」とぶつけるセリフがあります。僕も同じ問いを持ち続けていました。苦しくても一緒に居させてくれたらよかったのにと。多分ルコント監督もそう思っていたのではないでしょうか。ルコント監督も実父に会えていないのですが、いつかお父さんと会いたいと往復書簡に書いていました。
人間ですから道を誤って色んな事が起きることがあっても、何か大事なものは繋がっている。そしてそれぞれには人生がある。それぞれの人生を自由に生きる力が僕たちにはあるのだと、『めぐりあう日』は伝えたかったのではないかと思います。
『めぐりあう日』はいくつもの繊細なしかけがしてあります。気に入ったら日を変えて見に来ていただくと、隠
れたルコント監督のしかけが見えてくるかもしれません。