【傑作『溺れるナイフ』について、山戸監督の人となりについて】
佐:僕は山戸監督の『溺れるナイフ』を見たばっかりなので、それがすごいって話を今日はしたくて。みなさん、まだでしょ?見たほうがいいですよ絶対。映画評論家の宇野さんって方もツイートしてたんですけど、つまんないカットが一個もないんですよ。ほんとに素晴らしくって。菅田さんも小松さんもすごいけど、僕はジャニーズウエストの重岡君とたまに仕事をしてたんですけど、重岡君があんなにすごいと思わなかった。っていうか、女の子だったらずきゅんってきちゃうようなキスシーンとかが、すごくいいっていうのがあってですね。僕、試写見終わったあと、山戸さんに感想送ろうとしたんですけど、いろいろ、メールでは伝えられないなと思って。豪雨だったんですけど、「見終わったら雨が上がってました」っていうわけのわからないポエムみたいなの送ってて。
会場(爆笑)
佐:そう送っちゃったくらい、いろんなことを考える映画で、素晴らしいんですよ、ほんとに。
山:忘れがたい思い出ですね、「あ、佐久間さんからメール来てる」と思ったら、「見終わったら豪雨が快晴でした」って内容で (笑) 映画に触れてくれないのかな?って思いました(笑)今まで、乃木坂46さんなど女子のアイドルを撮らせていただいてきたのですが、ペルソナとその個人の身体性をめぐる問いがずっとあって、もし、男子のアイドルを撮るとしたら、こういう方法論に変換して適応できるのになって思っていました。その実験の記念すべき第一弾として、純朴な重岡君にぶち込んでしまいましたね。
佐:重岡君がそういうタイプの人に見えない、ペルソナがあるタイプじゃなくてそのまんまに近いじゃないですか、それをよく更にやったなっていう。山戸さんすごいことやってるなあって思いましたね。
山:重岡君には、すくすく育っていってほしいなって思います。
会場(笑)
山:初映画ではないけれど、初映画みたいな形で呪いをかけたので。
佐:いや、皆さんも観た後わかります。山戸監督がかけた呪いだなっていうのが、観たらわかるシーンでしたね。
山;すくすく育って行く呪いです。
佐:僕この間『おとぎ話みたい』のイベントに行ったんですよ。僕が行ったのは一部だったんですけど、二部では大林監督と対談をされていて。見てない方もいらっしゃると思うんで言いますけど、僕後で聞いたんですけど、山戸監督いきなり出てきて芝居打ちだしたってほんですか。
山:はい、第一部がグダグダで落ち込んでしまい、でもせっかく来てくださってるお客さんの前で、自分が一番テンションあげなきゃと考えました。それまでお芝居を一切したことなかったんですけど、「時をかける少年に捧げる、初芝居を打ちます」って言って、きっと客席のあそこ、暗闇の中で大林監督が見てくださってるんだ!と気持ちを込めながら、初芝居をお見舞いしたんですけど。
佐:急にでしょ!
山:そうなんです(笑)
佐:すごくないですか?(笑) 大林宣彦の前で急に初芝居を打つって(笑)
山:急にやったんですよ。だから、その間大林監督裏手に移動してて見てなかったんですよ(笑)。特に触れられずに、普通にトークショー始まりましたね(笑)
【一流クリエイターと恋愛するには?】
M:いまお二人の、ご自身の創作に影響している恋愛について教えてください。
佐:僕はほんと田舎の男子校の人間で、高校三年間、気が付くと妹と売店のおばちゃんとしかしゃべってないような時期が三年くらい続く男子校だったんで。そこから東京出てきて、一年くらいかな? 緊張して女性としゃべれないっていう状態で。大学受験のとき立教の英文を腕試しに受けようと思ったんですが、その受験会場の大教室に入った瞬間に、二人くらいしか男がいなくって、それに緊張して落ちたんですから(笑) 女の匂いで(笑) それで、緊張して落ちたってくらい女性が苦手でした。
山:それは、佐久間さんが作られる番組のホモソーシャル感に受け継がれている感じがしますね。
佐:そうですね。いま『ゴッドタ』ンって番組をずっとやってるんですけど、ディレクターはみんな結婚してるんだけど、だいたいいつもゴシップ記事とか読んで、かわいい女とやってるイケメンの悪口を30分くらい言ってから、会議を始めるんです。そうするとすごいやる気が出て(笑) 畜生、○○、もててんなぁーって言いながらやってる。その共学に対する怒りみたいなものが高校時代に育まれていて。男子校的なルサンチマンが、お笑い好きとかそういうところに、僕を向けたのかなって思いますけどね。恋愛の話ってこんなことでいいんですか?(笑)
山:接続しますよね。でも、佐久間さんと同じく、10代のときの恋愛は、自身の作品と関係がある気がしますね。私も10代の青春を反復して撮っているので。こういうポップな雰囲気の中で、急に体験談を話すのもどうかと思うんですけど、やっぱりこう10代の時に……ちょっと恥ずかしくなってきた(笑)
佐:ちょっと待ってくださいよ(笑)
山:急にのどカラカラになってきた(笑)「学生時代に何考えてました?どんな本読んでました?どんな映画見て、どんな音楽聞いてましたか?」と聞かれるんですけど、正直、別にカルチャーはそんなに、(自分の作品と)関係がなくて。あの時ずっと恋愛してたことの方が、深く起因していると思いますね。やっぱり恋をした時の女の人の心と体に、男の人に対してどんな反応が起こるのか、男の人が女の人に何を求めるのかっていうのが、10代の時にああこうなんだなあ、ということが全てわかったので、逆にこれからは、誰と出会っても余暇だなという感じでしたね。
佐:誰と出会っても余暇だなって思うくらい、10代は恋愛してたの?
山:言葉にすると「どうした!?」って感じですけど、女性の真実はそうなんじゃないでしょうか。愛と夢という選択肢が立つ前に、デフォルトとして、恋愛に対して被支配的な状況に置かれているというのか。恋は、何も与えられなかった地方の女子中高生にとっての、唯一のエンターテイメントですから。今はネットが普及してるかもしれないけど、でもネットだって結局ポルノとか社会的なモテとかにたどり着いちゃうから。ただ与えられた自分の体だけでどこまでいけるか、自分のすごく限定的な身体でどこまでいけるかっていうゲームしか地方の女子にはエンタメとしてなくって、恋愛するしかないという感じだったので。やっぱりそこに対して、マジで恋愛よりも面白いものがあるって射光させたいですけどね。それは最初から芸術の形だと届かないから、きっと、恋に一番良く似た芸術みたいなものになると思うんです。映画『溺れるナイフ』が、本当にそういうふうに届いて欲しいですね。
佐:監督が映画撮りたいって思ったのはいつ頃なんですか?
山:それもすごく遅くって、大学2年生の終わりに映画研究会を立ち上げようかということになって。大学3年生の春にみんなを集めて処女作を撮りました。大学3年生って就職活動をする時期なので、変な傾きで映画に寄って行ってしまって、不思議な時期でしたね。
佐:最初に撮ったのが、『あの娘が海辺で踊ってる』。すごすぎますよね。
監督は作風に、実体験はでるんですか?溺れるナイフは原作があるけど、今まで撮ったものとか。
山:フィクションの中でしか真実は物語れないのだと思いますね。現実の言葉で、今個々で、「今三年間付き合ってる彼氏がいて」って言ったときに、言葉にしちゃうと何かが決定的にすれ違ってしまう。世界でたった一人の人間を見つめながら、この宇宙でたった一回の恋だと思って生きた時間は、フィクションの中でだけきらめくことができるというのでしょうか。
佐:『おとぎ話みたい』みたいな映画って、どうやって着想するんですか?
山:今回Maybe!で恋愛っていうテーマをいただいて考えたことなのですが、今まで自分が恋愛映画だけを撮っているっていう自覚が全くなかったですね。ただ事実として、恋愛映画だけを撮って来ているんですけど、「ラブを撮ろう」と思って撮ってるわけじゃなくて。若い10代の肉体の実存にかかわる問題として、何が決定的に響いてくるのかを考えたときに、女の子の10代の人生を揺るがすものが恋でしかないっていうのがあったんでしょうね。結果、若い女の子を撮ろうとしたときに決定的にいつも恋が絡んできていたっていう感じですね。『おとぎ話みたい』もそうだったのかな。あらすじにしちゃうと「若い女の子が先生に恋をする話」っていうめちゃくちゃ定型的で、あちこちにあるような愚かな恋愛とか憧れでしかないんですけど、ただその中にある内的な一回性の真実として、10代の恋愛を撮りたいっていうのがあったんです。