今週末7月9日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国公開、映画『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D・4K』。本映画の公開と、「美の巨人たち」放送800回を記念した特別試写会とトークイベントを都内劇場にて開催。上映前トークにはフィレンツェ在住の漫画家ヤマザキマリさんが登壇し(進行役に編集者の玉置泰紀さん)、11年在住んだフィレンツェと、ルネサンス期に活躍した芸術家たちの魅力について語り、満席の劇場を魅了しました。
本作品は昨年公開し大ヒットを記録した『ヴァチカン美術館3D・4K』のプロダクションが贈る新作であり、本作品では花の都フィレンツェと、世界で最も有名な美術館、ウフィツィ美術館を高精細3Dでドキュメンタリーにした作品。

■会場:シネスイッチ銀座 3F/スクリーン2(182席)(東京都中央区 銀座4−4−5 旗ビル)
■日程:7月4日(月)
■トークイベント:19:30〜20:00(30分程度)

ゲスト ヤマザキマリ(漫画家/「テルマエ・ロマエ」)

1967年4月20日東京都出身。1984年に渡伊、フィレンツェの国立アカデミア美術学院入学 美術史・油絵を専攻。1997年に漫画家としてデビュー。2010年「テルマエ・ロマエ」で第3回漫画大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。漫画作品に「ルミとマヤとその周辺」「モーレツ!イタリア家族」他。文筆作品に「望遠ニッポン見聞録」「男性論」「国境のない生き方」「偏愛ルネサンス美術論」他。現在は、「スティーブ・ジョブズ」(講談社)、「プリニウス」「Gli Artigiani ルネッサンス画家職人伝」(新潮社 とり・みき氏と共作)等を連載中。2016年平成27年度文部省芸術選奨文化大臣新人賞受賞。

ヤマザキマリさんの映画へのコメント

メディチの至宝。どんなに長く暮らしても、どんなに旅を重ねても、どんな優れた美術書を捲っても、
この映像に現れるフィレンツェを知る事は叶わないだろう。ありとあらゆる角度から余すことなく捉えられた、美と技を追求した人間達の歴史の軌跡。映像の技術進化が可能にしたフィレンツェ・ルネサンスの至上の眩さに、見る人は言葉を失うだろう。

イベントレポート内容

ヤマザキマリ(以下Y)
上映前なので、見逃したということがないように焚き付け作戦です。

★スペクタルな映画

玉置泰紀(以下T):ドローンと使ったり、3Dを駆使したり、映像はみたことのないスペクタルな作りの作品ですが、中身はガチですよね。

Y:オーソドックスで王道いくもので、最初、知ってるものばかりと思ったけど、人間目線で見ているフィレンチェや作品がほどんど出てこないんです。エクソプラズマというか、幽体離脱して別な空間からみてるという感じがします。それを、ドローンがかわりにやってくれます。

T:映画の冒頭で、トスカーナの森が原生林のようでした。

Y:人間目線からみてるとオリーブ畑と月桂樹だなと思うのが、上からみてるとものすごく緑豊かな土地であると改めてわかりました。

★ドローン撮影について

T: ナビゲーターのロレンツォ(デ・メディチ)が主人公ですよね

Y:当時、ロレンツォがみてた過渡期は経済成長で、日本でえば何億もするような絵画を買ってしまうバブルです。そのバブルな日常を、いまの我々は残されたものしか見ることができない。フィレンツェの街そのものが美術館のようという姿をロレンツォはみてないですよね。作品収集はしてるけど、まだ試行錯誤的に意識改革がおこなわれている最中で、すごく新鮮なフィレンチェの街が出来上がる様を彼はみてたのです。

私は、フィレンツェの街を「女優」だと置き換えました。イタリアが芸能エージェント、世界の中でも(バーニングプロダクションなみに)売れっ子揃いのエージェントです。その中でも大女優は、同じ角度からしかみられてないことにちょっと疲弊しているというか…
フィレンツェに何度もいった人はわかると思うけど、よく知った景色はみる。テレビなどでも見ることができる。でも、この映画の3Dは、どっきりカメラのようで「そこから撮るの?!」と驚きました。

ドローンや3Dを使ったドキュメンタリーときいて、きっとオーソドックスなエンタテイメント作品だろうと思ってたのですが、いやいや最先端のテクノロジーがなければかなわなかった映画でした。
同じカメラで撮りなれた大女優が、(ドローンでいろいろな角度から撮影されることで)受け答える感じがしました。羽とかつけて飛ばないと見えない角度からの大聖堂のドームはすごいです。

★ダヴィデ像の裸とFacebook

Y: 下からなめるように裸の像をセクシーというか、無敵にに映すわけです(笑)みてる方もゴクリです。
ダビデといえば、Facebookで動画予告を宣伝しようとしたら、彫像の男性シンボルが、広告ポリシーに引っかかったそうで…。

T: 機械(AI)が機械的に見つけたんだと思いますね。

Y:なぜあれがダメになったのか?と、みなさまはご察しだ思いますが。
実は、私の描いてる「テルマエ・ロマエ」の表紙が、ギリシャ彫刻のすっぽんぽんの男子がで桶を持ってるのですが、出たときすごく問題になったんです。本屋さんで「お恥ずかしい方裏にしてお持ちください」と言われてたり、余計エッチなんだよ!という感じでした。彫刻って美術館いったら目にするものじゃないですか!芸術だと、老若男女がみてるものなのになぜ私はこんな風にいわれるんだろうと。北米版だすときにさらに問題になって、プラスティクのカバーかけて、マエのところを隠して余計にいやらしい感じになりました。内容はエッチでもなんでもないから買った人は驚いたはず。
清教徒的な解釈でFacebook的にも判断したのかもですね。

あれが賛美されないなら、なにが恥ずかしいものなんでしょうね。ギリシャローマでは聖人した人間が裸になり、裸こそが崇高なものとされていて、それが復興したのがルネサンスなのに、なぜモザイクかけてるのか?ということですよね。これはキモな話で、いまなによりも大事な話がここにあると思ってます。
この映画によっていかにダヴィデ像が古代ローマの精神性を描いたかということがわかると思います。

ダビデの目はハートでキラキラの目をしてますよね。あの高さからみる人は普通いないんでよくわからないですが(笑)

★ボッテェチェリ
ボッティチェリは、ロレンツォが応援したというより…話せばとても長くなります。
いま芸術新潮で「職人たち」というボッテチェリもでてくる漫画を描いてます。いまは「ルネッサンスの素敵な絵だわ」と思ってますが、当時は芸術家というのはなく、いっかいの絵描き職人で装飾家としての人間像がのこされてる。作家性がでてきたのが14世紀頃で、ボッティチェリは最後のゴシックと言われてます。

★レオナルド・ダ・ヴィンチはかわりもの
「人に飾られるような会がなんてかかないぞ!」と我が道をいくのがレオナルド…ダ…ビンチ
ラファエロはどちらもできる社会性のある人でした。

みな一時期ずっとフィレンツェにいましたが、前後してます。ヴェロッキオ工房ということろにいて、すこしかさなってます。ダビンチは長いものにはまかれない、流行にはのなず、帰属がきらいな変わり者。
抜群に絵もうまくねたみもある、美青年だったといわれてますが…。
ボはいろいろな人とつるんで、職人同士でつるんで楽しくすごしてた。。

いま「スティーブ・ジョブズ」の漫画も描いてますが、どこかダヴィンチと似てますね。孤独に対する免疫が強い。阻害されることに対する弱さがないです。
完成作品もすくない。こびを売らず、やりたいことしかやらないはじめての画家だったので、
石橋をたたうことはしませんでいsた。出来上がると執着もない
ブサイクな人を美人にもかきませんでした。レオは女性に対する愛情が感じられない絵をかいちゃう。
ミケランジェロとダヴィンチは女性に対するリスペクトが微塵も感じられない女性像を描いてました。
ダヴィンチはは時代の寵児でした。
ドラマがおもしろくて、いくらでも語れちゃいますね。第二弾第三弾が楽しみです。

★カラヴァッジオ
ルネッサンスといっても激動で、江戸後期と明治くらいの違いが有ります。
キリスト教をテーマにしていても、信仰に対する猜疑心があったりしました。
今年は「日本イタリア友好150年」で、あらゆる絵画展に参加させてもらいました。
できないことをやった映画なので、これをネタに漫画にいかせないかと考えてる。