映画『アトムとピース 瑠衣子 長崎の祈り』ゲスト 安田菜津紀さんトークイベント
「アトムとピース〜瑠衣子長崎の祈り」6/18
ゲスト 安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト)
5月末にイラクから戻られたばかりで、トークは大変奥深いものでした。
安田)昨年長崎を訪れたとき、 “原爆先生”として語り部として活動された江頭千代子さんの娘直美さんにお会いした。しかし、千代子さんは2003年に他界するまで、娘の直美さんに被爆の話を直接話したことは1回もなかったとのことでした。この映画の主人公の松永瑠衣子さんのお祖母様も、被爆のことを瑠衣子さんに話したことがないということが私の中でリンクしました。語っておられる人の背後には、語られることのないたくさんの沈黙が存在していること、また、語って頂いていることをあたりまえに思ってはいけないんだということを、まず感じました。
新田)瑠衣子さんのお祖母様は、瑠衣子さんのお父さんにも話されないし、瑠衣子さんが、聞いても話をされない。城臺美彌子(じょうだい・みやこ)さんは今は語り部として活動されてしているが、学校の先生をされていた60過ぎまで一切語らなかった。お孫さんが原因不明の病気で亡くなるまで語らず、孫の死をきっかけに語り始められた。取材に行った時、ひな祭りで手づくりの飾りをずらっと並べられていた。安田)お人形の数が強烈に印象に残っている。お孫さんの死が被爆との因果関係がなかったとしても、そういう体験を経ているということで、城臺さんはどこかで自分を責めてしまう。戦後直後のことが城臺さんの中でずっと続いていて、日常の中で要所要所で出てきてしまう。そのことが印象強く感じました。
新田)瑠衣子さんは二人の祖母(実の語らない祖母と語る城臺美彌子さん)、被爆者全員の想いを背負って旅に出るんですが・・。
安田)彼女が水先案内人となってくれるところが大きい。語られる現実は厳しいものですが、瑠衣子さんが自分の言葉で咀嚼して話され、彼女の言葉や人との接し方の柔らかい感じが、私たちの心の前のクッションのような形になって、私たちをすっと映画の中に、厳しい現実に入れてくれていると感じました。
新田)印象に残っているシーンは?
安田)伊原さんとの公園でのやりとりのシーンです。“日本の原子力の父”と呼ばれた伊原さんがずっと下を向いていて瑠衣子さんの目を見ることができないのですが、瑠衣子さんは伊原さんを前に、今の日本の現状から原子力に違和感があるとはっきり伝えた上で、でも「おばあちゃんたちにとって、電気は一筋の希望の光だった」と伊原さんに伝える。そのとき、はっと井原さんの表情が変わった。自分の主張を言葉として投げつけるのではなく、いい悪いという二極化をするのでもなく、相手に敬意を持ちながら、どういう経緯で今に至っているか対話する、その余白を私たちに残してくれたシーンだったと思います。
新田)この映画のタイトル「アトムとピース」の元になっているのは、アイゼンハワーアメリカ大統領の「アトムズ フォーピース」(原子力の平和利用)という1953年の演説です。伊原さんはそのアイゼンハワーに日本代表の留学生として招かれた方で、握手もしている方です。その伊原さんが福島原発事故があってカメラの前に出てきてくださった。伊原さんと瑠衣子さんの意見はかみ合わないんですが、瑠衣子さんは、対立構造にするのではなく解決策を見つけていくようにしたいと言っていました。
安田)「あさこはうす」の娘さんの小笠原厚子さんの生き方も強く印象に残っています。まず自分の生き方からを変えていこうというところに非常に共感をもてました。今、福島の大熊町から長野県に移った方にお世話になっているのですが、その方の娘さんはいまだ行方不明です。でも批判しているだけではなく、3月11日以前の生き方の中に、事故の一端を担ってしまったものがあるのではと思い、長野でまさに「あさこはうす」のような時給自足の生活をされています。そもそも生き方の根本から考えてみない?という投げかけを「あさこはうす」から頂きました。
新田)瑠衣子さんも、旅の最後に、自然と共生する生き方をみつけたと言っていました。
新田)原子力発電は、核兵器の材料になりコインの裏表であることをどう思われましたか?
安田)シリア・イラクの方と話していると「ヒロシマ」「ナガサキ」という言葉が多く出てくる。シリア難民キャンプで日本から来たというと握手をしてくださる。「日本がどこも攻撃しない国だと自分たちは知っているからだよ。」と。そして「日本はあれだけ原爆で大きなダメージを受けたが、あれだけピースフルな国をつくってきた、だから日本みたいに自分たちの故郷もいつかしていきたいんだ」と言われたのですが、私自身とこが後ろめたいんですよね。「彼らの国を照らし出せるような国で自分たちの国はあるだろうか」どこかで誰かを傷つける可能性のあるものを背後にもっている、持ち続けているということが後ろめたかったんです。彼らを照らし出せる国って?ということを改めて感じました。次の世代に、私たちは、歴史から学んできたんだよということを言うために、大人として今考えないといけないと思います。そして若い10代、20代の世代にもこの映画を見てほしいと思います。
新田)日本の未来を、自分たちの生活、幸せをこの映画をきっかけに、考えてもらえると嬉しい。(完)