現在、渋谷のシアター・イメージフォーラムと大阪・テアトル梅田にて絶賛公開中、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新作『光りの墓』。
公開中の劇場にてトークイベントをおこないました。

『光りの墓』公開中のトークイベント第3弾では、バンコクのアート・ライブラリーでインディペンデント系のイベントスペースでもある「The Reading Room」のディレクターを務めているナラワン・パトムワットさんと、『光りの墓』のタイ語字幕翻訳者であり、タイ文学研究の福冨渉さんをお迎えしました。タイの検閲を通していないため、アピチャッポン監督の本国では決して公開できない本作について、ナラワンさんがどのように感じたかを中心にうかがいながら、トークを展開していただきました。

タイ人の目でもう一度見たくなる。
『光りの墓』のもう一つの顔はラジカルで政治的。
今回のトークのテーマは<タイの政治状況と『光りの墓』>である。

ナラワン:「そもそもなぜ『光りの墓』を政治的側面から見なければいけないのかということについて。タイ人の観客にとっては劇中に散りばめられている様々な記号というものが、現代の政治的問題というものを強烈に表していると感じられるからなんですね。なので、その部分を説明していけたらと思います。アピチャッポン監督自身がこの映画をタイで上映しようとしていないです。そのことからも政治的なメッセージが描かれていることが分かると思います。私は、『光りの墓』をシンガポールで観ました。タイ人である自分にとってはあっと驚くシーンがあったのですが、外国人の観客は共感できていないと感じていました」

■眠りの世界が指し示す意味

『光りの墓』で最もはっきりとメッセージが表れているのは、映画館のシーンである。

福冨:「タイの映画館では上映前にかならず、「国王様の素晴らしい偉業を称えましょう」という国王賛歌が、1〜2分間ほど流れます。そこで起立しなければ、王室不敬罪という罪で逮捕されることもある。タイ人は当然のこと、外国人でも逮捕された例もあります。「王室不敬罪」については刑法112条に「国王、王妃、王位継承者または摂政を中傷、侮辱しあるいは敵愾心を示す者は3年から15年の禁固刑に処する」という条文があります。すごく曖昧な条文で、具体的な判断材料は書かれていません」

ナラワン:「タイ人にとってはあのシーンで何も映らない、国王賛歌が流れないというのは強烈な意味を持っているんです。そのことについてはいろいろなところですでに言及されているかと思うのですが、タイ人の立場で観たときに感じることは、映画館で国王賛歌が流れるシーンというのは「国王様は素晴らしい」というプロパガンダが強く流れ出る瞬間なんですね。そのシーンの後、カメラが上を向いてぐるぐると回る扇風機を写します。それは、まるでその扇風機の力でプロパガンダが外に出て行くようにも思えました。その後、病院では、アフガニスタンの兵士にも使われたという怪しい治療器具の光が移り変わる、それはまるで病院という公的な場所にもプロパガンダの光=オーラがどんどん浸透していくような気がする。続くシーンではコーンケンの町中全体の光が治療器具と同じように移り変わっていきます。映画館から始まった国王を称えるオーラが外にどんどん外に出て浸透していくという感じがしました。この映画のなかで一番眠くなるシーンでもあったと思いますが。そこから、また映画館のシーンに戻りますよね。映画館から出て行く人に紛れて、イットが運ばれていく。実際には曲はかかっていないけれど、国王賛歌のオーラによってまた眠りの世界に戻ってしまう。国王の力によってまたも眠らされている、力を抜き取られているとも感じる。つまり、国王にまた仕える身に戻ってしまったと私は感じました」

■ジェンおばさんの目覚めのプロセスを描く

ナラワン:「そもそも、タイ語で目覚める、目が開くという言葉は「ターサワン」と言います。現代の文脈で言うと、国王、王室、政府が作ってきたプロパガンダの裏に気が付くというニュアンスも持っています。この映画は、ジェンおばさんが目覚めていくプロセスとも言えると思うんですね。前半まではジェンは「国に仕えていてえらいね」という台詞や、旦那さんから「君は愛国的だね」と言われていて、愛国的な人物として描かれていますよね。イットと一緒に映画館に行ったシーンの後、ジェンが廃校をさまようシーンがあります。そこで印象的なのは教科書を踏みつけるところ。タイは多くの科目で国定の教科書が1冊しかないのです。国が作った歴史教科書しか読めない状況があります。そういったものを踏みつけている、つまり、ある種政府なり、王室なりが作りあげた歴史に対する反抗と読むことができます。そして、ジェンが夫に電話をして、「私だけがここで眠れない」という言葉を発するのです。「ここで自分だけが気が付き始めてしまった」ということを示しているのではないかと思います」

■東北タイの方言が表すヒエラルキー

『光りの墓』のタイ語字幕翻訳をした福冨さん。ナラワンさんもタイで上映される映画祭の翻訳をしている。字幕にすると伝わらないもののひとつに、「方言」があるという。

福冨:「タイ人が見てもこの映画は半分くらいしか分からないはず。なぜなら方言で話しているからです。たとえば僕がタイで前作『ブンミおじさんの森』を観たときはタイ語の標準語の字幕と英語の字幕が2行になって表示されていました。そもそもそういう状況です。この映画には東北タイの言葉と南部の言葉もちょっと出てきます。そのことが非常にクリティカルな意味を持っているんです」

ナラワン:「タイでは、20世紀の中央集権化の過程で、「タイネス」(Thainess)=タイらしさというものを中央からどんどん発信していき、国をひとつにまとめようという動きがあったんです。その中心にあったのが全地域で標準タイ語を使うという取り組みでした。そういった過程のなかで東北タイの方言を話す人々は、学がない、貧乏であるなどと見下されるようになっていったんですね。現代のタイ社会における標準語と方言では、方言のほうが圧倒的に下にあるというヒエラルキーがあり、だからこそこの映画のなかで方言を使うということは、非常にクリティカルであるということです」

■2016年4月16日(土) シアター・イメージフォーラムにて開催。