4/9、遠藤ミチロウ監督の『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』の関西一斉公開が始まった。
第七藝術劇場での上映後に登壇したのは、ミチロウさんと制作を手掛けたシマフィルムの田中誠一さん。

2011年、ミチロウさん還暦の年に撮影が行われ、プロデューサーの志摩さんとスタッフが参加。撮影から6年目にして公開を迎えた。
「監督と言われるのは慣れてないんですよ。人から言われると誰のことだ?みたいな」
撮影されている時は監督であることは忘れて撮られる方の立場でいたという。
福知山、舞鶴で志摩プロデューサーからライブドキュメントを撮りたいという話を持ち掛けられ、監督が未定と聞き、
「じゃあ僕やります」と答えた。その時点で監督が何をやるかは分かっていなかったという。まだ3.11が起こる前のことだった。

映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』の冒頭の大阪・キングコブラでのTHE STALIN Zのライブは、映画の話が出る前に撮影された。当初はライブを記録し後で何らかの形にしようと目論んでいたものだったが、撮影したのがシマフィルムで『おそいひと』『堀川中立売』をつくった柴田剛監督だったため、結果的に映画の素材として使うことになった。
「プロデューサーを通さずにシマフィルムに関わるスタッフが総出で撮りに行ったからヒヤヒヤものでした」と明かす田中さん。ライブ会場にはその時限りのTHE STALIN ZのTシャツをデザインした奈良美智さんがいたが、先頃の東京上映でトークに登場している。そんな奇縁がある制作状況だったという。

撮影の間に3.11が起こったことで、膨大な量の素材を撮り終えた後、編集に時間が掛かった。シマフィルム京都オフィスで編集したものを東京のミチロウさんに送ってチェックしてもらうというやり方で仕上げて行った。
数々のライブ会場の中で特にミチロウさんの思い入れが深いのが奄美大島だったという。
「僕の中では奄美が福島と直結しているイメージがあった。そのイメージの重なる部分が映画の根本になっている」

映画のタイトルは曲名から様々な候補があった。『JUST LIKE A BOY』、『ワルシャワの幻想』。『父よ、あなたは偉かった』だと戦後の日本のイメージになるため、『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』に決めた。

素材の中で福島県の実家に帰ったミチロウさんがお母さんとのやり取りの中で、帽子を取ったりご祝儀を貰うシーンは当初使って欲しくないとしていたが、制作側は使いたいという意見だった。そのうちミチロウさんの考えにも変化が。
「出したくない所の方が客としては観たいだろうなと。全部さらけ出した方がいいなという感じになったんですよね。撮られてる自分と監督として作ってる自分の立場をどこかでガラリと変えなきゃというのがあった」

「60になって親から小遣い貰うのは恥ずかしいじゃないですか(笑)」
スクリーンのミチロウさんはお母さんとの関係も良好な孝行息子のように見えるが、実家は5年に一度くらいしか戻らず、戻っても泊まらずに帰ると明かす。震災以降福島と向き合うようになったが、今でも実家に帰りたいう気持ちは全くないという。

THE STALIN 246が登場した『世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!』 のスタジアムにお母さんが来たことを後で知らされたというミチロウさん。お母さんのライブの感想は観客のことばかりだった。
「何で爆竹投げてるんだとか、何でみんな頭振ってるんだ(笑)」お母さんのコメントに観客から笑いが起こる。
「なんと説明していいのか(笑)」正直あまり見られたくないと真情を明かした。

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』の公式サイトに沢山のコメントが寄せられている。田中さんが一番ジンと来たのが高橋和也さんのコメントだったという。ミチロウさんも
「あれが一番好きでしたね」としみじみ。
92年にホピ族の元に一緒に行き、一日だけのジャパニーズレストランをオープンして料理を作り、ライブをやった。
その後にをジャニーズを抜けて、役者をやるか音楽を続けるか悩んだ末、役者を選んだという高橋さん。ニューヨークに修行に行った帰りに今度は1人でホピ族の元に行った。高橋さんから届いた手紙をミチロウさんが読んで出来たのが『JUST LIKE A BOY』だという。そんな魂の交流から生まれた高橋さんのコメントはぜひ公式サイトでご確認頂きたい。

東京のトークゲストとして招かれた阪本順治監督。ミチロウさんとの交流は長く、阪本監督が横浜国立大の学生だった頃に遡る。スターリンがよく横浜国立大でライブをやっていて、手伝ってくれたのが縁という。臓物を買いに行ったり、ステージを盛り上げる特殊効果で爆発を担当したり、『爆裂都市』では美術助手を務め、豚の頭を買いに走ったという。その頃からボクシングの映画を撮りたいと口にしていた阪本監督のデビュー作が『どついたるねん』だったというエピソードが紹介された。

本作は2011年の9月に撮影を終えたが5年経った2016年の今年公開の運びとなった。
「5年経ってからの方が却って良かったかなと」映画で描かれていることが今だからこそ凄く響いて来るだろうと語る。震災の直後は家族を失った方々がたくさんおられ家族愛や絆が感動的に報道された。
「僕と家族の関係は震災前からある問題で、それがまた5年経って元に戻ったという視点になったのが良かった。日常は感動物語はなくてこういう感じだと思う。仲が悪い訳でもないけど、敬遠しちゃうような。そういう家族関係が一番多いんじゃないかな。答えがないからこういうラストになった」
『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、実家に帰りたくない自分が実家とどう向き合うかということが核になった作品という。

Q&Aでは男性の観客から、スターリンをやると必ず体調が悪くなると聞いたが、今後は関わる機会はないのか?と質問が。

「ないです。スターリンの復活をやると必ず病気になるんですよ(笑)。50歳の時は胃潰瘍で血を吐いたしリューマチになってしまって。今回は膠原病になって。絶対やりたくないなと思って(笑)」

ミチロウさんの現在のバント・羊歯明神(しだみょうじん)とTHE ENDは偶然出来たという。リューマチが悪化しギターが弾けなくなったことからギターを弾かないバンドをやろうと結成したことを告白した。現在リューマチは回復し問題なくギターも弾けるようになったが、病気になったことで新しい展開が見つかったと前向きに捉えている。
「プロジェクトFUKUSHIMA !をやったのも、マイナスを逆手に取って生まれた新しいことをやって行きたいなという思いです」

「僕にとって羊歯明神は福島なんです。THE ENDは完全に東京ですね」
東京に住みながら福島に関わっているミチロウさんが投影されているという。
5月に関西初登場の羊歯明神のライブも予定されている。

トークの後はサイン会が行われ、終電間際にも関わらず、ファンが長蛇の列を作った。

絶妙にも『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』というタイトルを冠したこの作品。各個人が一生関わる家族と、向き合うべき福島の問題という構造が重なって見える。
第七藝術劇場と元町映画館は4/22まで、立誠シネマプロジェクトは4/29まで上映予定となっている。