本日12月18日は様々な理由で移住をした人々の権利と自由を守るために制定された「国際移民デー」です。
現在世界では1億7,500万人以上の人々が、移住労働者、難民、亡命希望者、永住移民などで、出生国もしくは市民権を有する国とは異なる国で生活し、働いています。1990年12月18日、国際連合総会にて10年に及ぶ交渉の末に「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する国際条約」が採択されたことにちなみ「国際移民デー」が制定されました。条約では適法状態、非適法状態を問わず、すべての移住労働者とその家族の権利をカバーしており、移住労働者を集団で追放すること、もしくは彼らの身分を証明する文書や労働許可書、パスポートを破棄することを違法としています。
難民も、「移住者」となる場合があります。それは難民が自立して生活する恒久的解決策の一つとしての「第三国定住」をした場合です。特に故郷の混乱が長引いて戻れない場合や避難先の国でも安定した生活が望めない場合、別の第三国へと「移住」することが多いです。日本では2010年から第三国定住の難民を受け入れています。私たちにとって、「国際移住デー」は身近な日なのです。(参照:国際連合広報センター公式サイト)

12月26日に角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開の映画『消えた声が、その名を呼ぶ』の主人公ナザレットは、アルメニア人。実はアルメニア人はヨーロッパを中心に世界中に移民をしている民族の一つです。その移住の背景の一つは、『消えた声が、その名を呼ぶ』の題材となった「20世紀最初のジェノサイド」といわれ、ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたとの話もある、100年前の凄惨な事件(アルメニア人虐殺)です。



しかし、第二次世界大戦後もカンボジア、ルワンダ、スーダン等で大量虐殺(ジェノサイド)は繰り返されてきました。そして本作の主人公ナザレットのように、いまもなおシリア難民をはじめ故郷を追われる人々、難民が後をたちません。この現状について、12月8日(火)早稲田大学にて日本学生平和学プラットフォーム主催で行われた、試写会後のシンポジウムのレポートをお伝えします。映画の背景にあるアルメニア人虐殺のお話から、日本における移民・難民の受け入れ状況についてまで、有識者の方々に幅広くお話いただきました。

【『消えた声が、その名を呼ぶ』を通して学生が考える難民問題と平和≫イベントレポート】

<開催概要>
■開催日時:12月8日(火)17:50開場/18:10開映 シンポジウム開始 20:30 〜 21:25
■開催場所:早稲田大学3号館203教室
■登壇者 :日本学生平和学プラットフォーム(学生)、グラント・ポゴシャン氏(駐日アルメニア共和国大使)、
佐藤安信氏(東京大学教授、難民政策プラットフォーム共同代表)
滝澤三郎氏(元UNHCR 駐日代表、東洋英和女学院大学教授)

<質問者>
日本学生平和学プラットフォーム


<登壇者>

・グラント・ポゴシャン氏(駐日アルメニア共和国大使)

・佐藤安信氏(東京大学教授、難民政策プラットフォーム共同代表)

・滝澤三郎氏(元UNHCR 駐日代表、東洋英和女学院大学教授)



<イベントレポート>


★アルメニア虐殺を経験した祖父について


ポゴシャン大使:私の祖父はジェノサイドから命を守るため、現在のトルコの東部からアルメニアまで逃げました。しかし、当時の経験はあまりにも過酷だったので、あまり話すことはありませんでしたが、父を亡くし、母を亡くし…どのようにして自分が助かったのかを伝えてくれました。しかし、祖父の話はアルメニア人にとって決して特別ではなく、『消えた声が、その名を呼ぶ』の主人公のような話が当時はたくさんありました。



★両国ともジェノサイドの過去を持つアルメニアとカンボジアの共通点について、UNTAC人権担当官としての経験より

佐藤氏:ジェノサイドという点におけるアルメニアとカンボジアの共通点は3つあります。一つ目は「誰にでも起こること」です。殺す側、殺される側、どちら側にもなり得るということです。恐怖の連鎖ですね。カンボジアでのポル・ポト政権下では、約170万人もの人々が亡くなりました。二つ目は「国際社会の状況」です。どちらも政治の中で起きた悲劇です。三つ目は「最初に犠牲になるのは、弱者・女性・こどもである」ということ。ジェノサイドでは、いつも民間人が犠牲になります。



★虐殺によって離散民となったアルメニア人の姿と、現在の難民問題について。

滝澤氏:『消えた声が、その名を呼ぶ』で描かれる虐殺は、現在も起きている問題です。単純に100年前、150年前の話ではないのです。今問題になっているシリア難民。1200万人もの難民が、映画で描かれるような悲惨な生活を送っています。では、どうしてこのような問題が起きてしまうのか。それは、「国の崩壊」が原因です。領土や政治が上手く機能しておらず、政治が強くて弾圧がある、政治が脆弱で紛争が起きる…難民問題は、国の在り方に直結します。そして、こうした問題が虐殺にもつながってくるのです。難民は、家族と引き裂かれた人がほとんどです。

★大量の避難民が出た1915年の出来事をトルコ共和国政府が現在も正式に認めていないことについて

ポゴシャン大使:アルメニア人虐殺について、トルコには正式に認めて欲しいという思いはあります。しかし、トルコが認めたからと言って、トルコ人が悪いということではありません。それは、ドイツのナチスもそうですが、これまでの歴史を振り返ってみても分かることです。ただ、それをきっかけに知識として蓄積し、忘れることなく後世に残していくことが大切なのだと思います。



★長期に渡った民族間の対立を引き起こした出来事を乗り越えるための≪司法裁判≫についてカンボジアの例から

佐藤氏:殺さなければ、殺されてしまう状況下で起きた虐殺は、その状況自体にも問題があるので裁判も難しくなってきます。カンボジアのポルポト政権下で起きた虐殺のクメール・ルージュ裁判でも、裁判の存在意義が一部で問われてきています。でも、被害者の復讐心は、法的処罰をすることによって軽減します。実際に加害者が心の底から反省するということは難しいかもしれません。しかし、裁判は被害者が前に進むためのステップであり、悲劇を克服するために必要なことだと思うのです。



★現在の日本社会の難民に対する制度面について

滝澤氏:今、他の国々が難民の受け入れ問題で揺れている一方、日本では多額の支援のみでほとんど難民を受け入れていません。その背景には、本当の難民ではなく、日本で働きたい外国人が難民制度を乱用していることから、申請から受理までの審査が厳しくなっているという問題もあります。地理的にも、制度的にも本当に困っている難民たちが来にくい国なのです。日本は、世界的にみても例外的と言えるほど豊かな国です。でも、難民を受け入れることは、世界の「現在」を知り、考えるきっかけになります。そういう国になって欲しいと思っています。



★あまり移民や難民を受け入れていない日本で、国民レベルでできることについて

滝澤氏:まずは、「共生社会」について考えることです。人種だけではなく、身体に障害を持つ方、自分と異なる全ての人の違いを認めるということを身に着けることが必要なのではないでしょうか。



★今後についてアルメニア大使として

ポゴシャン大使:今年は、アルメニア虐殺から100年、日本も戦後70年。国連ができて70年。「平和」について考える1年でした。戦争、虐殺では多くの人々が困り、亡くなり、何世代にも渡り大きな傷跡を残しています。私は、平和の礎は、異文化そして異なる歴史を学ぶことだと思います。インターネット検索で浅く知ることはできますが、そうではなく深く学んでほしいと思います。互いに語って文化が繋がっていくことこそが平和の礎になると考えます。

難民や移民の問題は、まさに今起きている問題ですが、まずできることは自分とは異なるすべての人の違いを認めること、そして異文化や歴史を学ぶことです。異文化や歴史に触れることも映画を観ることの魅力の一つ。『消えた声が、その名を呼ぶ』をぜひ劇場で鑑賞してみてはいかがでしょうか。