シンカ配給作品『独裁者と小さな孫』が 12 月 12 日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマ ントラストシネマ有楽町にて全国公開いたしました。この度、公開初日を記念したしまして想田和弘監督登壇のトークショーを開催いたしました。

【 日時 】 2015 年 12 月 12 日 12:30〜12:55
【 場所 】 新宿武蔵野館
【登壇者】 想田和弘(映画監督) 森直人(映画評論家)

2014 年東京フィルメックスで見事、観客賞を受賞した、『ギャベ』『カンダハール』で知られるイランの名匠、モフセン・マフマルバフ監督最新作、『独裁者と小さな孫』が 12 月 12 日に初日を迎えました。
映画監督の想田和弘氏と、映画評論家の森直人氏が登壇し、上映終了後の興奮が冷めない劇場で、本作の衝撃を語り、会場は大いに盛り上がりました。

森 想田監督は、今回本作のパンフレットにも寄稿されていますが、「映画とは擬似体験」という書き出しから始められていますね。その心は?また、この作品の感想をお聞かせください。

想田 映画というメディアは目と耳を使うわけですね。つまり、五感のうちの二つを使う。しかも、時間の感覚もありますよね。だから、今、現存するメディアの中では、一番我々の体験を再現しやすいメディアだと僕は考えています。だから、擬似体験の装置として、映画というのは一番直接的で、人の心を動かしやすいというか、直接的に自分が体験したかのようになるということですね。この映画を見ていると、普通は感情移入しないだろなっていう人に対して感情移入するという、非常に珍しい経験をさせてもらえる。今回、民衆の一人でなく、独裁者に感情移入をさせるというのは、大きな選択だったと思います。普通は民衆を主人公にして描くほうが、やりやすいかもしれないですね。だけど、そうすると説教くさい映画になるかもしれないし、月並みな構図になるかもしれない。だけどここでがらりと反転させて、独裁者っていうのを主人公にして、その目線で描いてく。しかも、独裁者の視点で描くからと言って、独裁者に感情移入するようには作られていない。ここがすごいとこなんです。むしろ、この人がやった数々の悪行が次々に明らかにされていって、旅の過程でモロに出てくる。あらゆる不幸、貧困、争い、この人が行った様々な行為の帰結として起きているということを、彼自身が気づかされてしまう。きつい経験だと思うんですよね。

森 「擬似体験の装置である」とおっしっゃていましたが、ある種の、プロパガンダになりうるというか、メッセージをそのまま受け取ると、説教くさくなるんじゃないかと危惧されていましたけども、それは、体験するということと、何かを押し付けて受け取るってこととは全く逆の現象になるということですよね。

想田 これを見てプロパガンダだと思う人はあまりいないと思うんですよ。これって本当にポイントだと思います。彼の場合は恐らく描写っていうことに徹しているんだと思いますね。何かメッセージを伝えるだとか、観てる人にこういうメッセージを受け取って欲しいとか、そういうことは目指してなくて、恐らく、世界を描写するってことですね。ただしそれは、彼の視点で描写するということ。ここの軽装性がさらなるポイントだと思うんです。

森 監督の主観ってことですね。

想田 完全に主観です。彼だからこそ、こういう風に独裁者の行為を眺め、描くことができるわけで、別の凡庸な監督が撮ったら、こんな風に奥行きが深い映画にはならないと思います。

森 僕も面白いと思ったのは、ある種のメタメッセージみたいなものを大きく打ち出してる映画だと思ったんですね。それが、ラストシーンに出てくる青年。ある重要なセリフを口にするんです。監督が来日した際にあれは誰ですかとお聞きしたんですけど、「あれは私です」と答えられていました。それは実は想田監督も見抜いていた?あのシーンは力点があるところですよね。

想田 あのラストシーンは非常に良くできていると思います。いろんな見方、いろんな考え方の人たちを効率良く登場させるんですよ。そして僕はこのラストシーンを観客に対する問いかけだと思いました。あなただったらどうしますか?っていう。これを選ぶのは私たちなんだ、ということですね。それが、民主主義ということだと多分マフマルバフは考えていると思いますし、それをこの映画の中で構造的に描いている。

森 ドキュメンタリーもそうだと思うんですけど、物語をどこで終わらせるのか、作り手の思想の核心がモロにでますよね。