戦後70年、山田洋次監督が長崎を舞台に描く『母と暮せば』。(松竹配給)
原爆で息子を亡くしてから3年後、突然目の前に現れた息子と過ごす、奇妙だけれど幸せな時間。
母と息子の強い愛情を描いた、山田監督が初めて手掛けたやさしく泣けるファンタジーです。

この度、本作の長崎キャンペーンで山田監督はじめ、吉永さん、二宮さんがイベントに参加いたしました。

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『母と暮せば』長崎大学イベント 概要

【日程】12月9日(水)
【場所】長崎大学医学部 記念講堂 (長崎県長崎市上黒崎町26)
【登壇者】元長崎大学長の土山秀夫氏、山田洋次監督 
【サプライズゲスト】吉永小百合、二宮和也 

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劇場公開を目前に、12月9日(水)に、映画の撮影も行われた、二宮さん演じる「浩二」が通っていた長崎大学医学部(当時:長崎医科大学)にて、現役医学生たちとともに、長崎から平和を考えるイベントを実施しました。「浩二」役のモデルにもなった、元長崎大学長の土山秀夫氏と、本作の山田洋次監督による講義を行い、長崎大学医学部記念講堂では、開演前から立ち見が出る程の熱気に包まれ、立ち見も含む450人の医学部医学科、医学部保健学科の生徒が集まりました。

<イベントの様子>

司会の呼び込みにより、土山先生、山田監督が入場。
監督の挨拶のあと、学生との質疑応答がはじまりました。土山先生の戦争当時の学生時代のお話や、山田監督の本作にこめた母と息子との描き方のお話のあと、司会より、今日はサプライズで吉永さん、二宮さんが来ている事が告げられると、場内からは驚きの声が上がりました。
司会の呼び込みで吉永さん、二宮さんが登場すると、「キャー!!」「うそー!!」と割れんばかりの大歓声が上がりました。

吉永:今回は長崎大学医学部の皆さんに大変お世話になりました。
撮影に入る前に伺って、原爆でひしゃげた門柱などを見せていただいたり、学生さんにお話を伺ったりしました。実はおじが長崎大学の医学部を1938年に卒業して、戦争に行ってマラリアになったけれども戻ってきて、長崎でドクターをしていました。だからとても懐かしいところに帰ってきた気持ちです。是非映画もご覧ください。

二宮:映画の中では皆さんの先輩と言う事で、気になる事があればいつでも聞いてください。(笑)
本当に僕自身、戦争を知らない世代で、そういう年代でも、土山先生のようなかたからお話を聞けるのはとても有意義なことだと思うので、是非それを噛み締めて。映画を観てほしいです。

山田監督:皆さんにご紹介しますが、土山先生の青春時代の話をたくさん伺って、この映画の中にもずいぶん使わせて頂いたエピソードがたくさんあります。土山先生のお兄さんが憲兵に捕まってひどい目にあって、それをお母さんが助けに行ったとか、そういう面白い話がたくさんあり、色々おはなしをしている中で、二宮君のモデルは土山先生と言っていのではないかと思っています。よくみると土山先生もとても美男子なんです。

(会場笑い)
若い頃は二宮くんよりカッコ良かったかもしれないね。

土山先生:無理なさらないでください(笑)

山田監督:どんなに若いとききれいだったのか、と思わせる土山先生が、浩二のモデルであります。

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『母と暮せば』舞台挨拶イベント 概要

【日程】12月9日(水)
【場所】ユナイテッド・シネマ長崎(長崎県長崎市尾上町1-1アミュプラザ長崎 4F)
【登壇者】山田洋次監督、吉永小百合、二宮和也

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<トーク内容>

山田監督、吉永さん、二宮さんは客席を通って登場。あまりに近くからの登場に、観客の黄色い完成に包まれました。
こちらの舞台挨拶では1万人のピースプロジェクトで作られた巨大バナーがバックに飾られていました。

MC:こちらの1万人のピースプロジェクトバナーはいかがでしょうか?

吉永:1万人ですか!きれい。素晴らしいですね。みんな平和を祈って。素晴らしいですね

山田監督:若い人が多いですね。しかし(笑)

二宮:(監督のモノマネをして)若い人が多いですね(笑)でも本当にこんなに参加してくれて、ありがたいです。

MC:タイトルが「Nagasaki : Memories of My Son」となりましたが、どういう気持ちでこのタイトルになったのでしょう?

山田監督:みんなで決めたタイトルだけどナガサキはヒロシマに並んで国際的な、人類の歴史の中で特出すべきビッグネーム。そういうナガサキという地名を入れた方がいいんじゃないか、とこれにしました。

吉永:いいタイトルだと思います。私の心の中を表したような。
撮影が終わって、二宮さんとなかなかお会いできず寂しく思っていますから(笑)

二宮:いや、本当にありがたいですね…これからも一生懸命働きたいと思います。

MC:撮影前に長崎で観た事はどういう印象に残っていますか?

吉永:ずっと階段を登った坂の上の先に私たちの家があって、など、監督と話して。
そういうことって映画の中でとても大事だと思うんです。なので、家族旅行のような形で撮影前に来られたのは良かったなと思っています。
二宮:すごくいい経験でした。空港から橋を渡ってくるんですが、時代は違うけど、もし長崎で生まれて、ジャニーズに入っていたらここを通って東京に行くんだな、と思ったり(笑)すごく印象的でした。

山田監督:あの道はとても特徴的だね。

MC:長崎弁をしゃべってみていかがでしたか?

吉永:「長崎ぶらぶら節」に出演した時はもっとこてこての長崎弁だったのですが、今回はニュアンスを出して、息子と2人、心を合わせて長崎弁を喋りました。

二宮:小百合さんがおっしゃる長崎弁をベースにして言ってます。フレーズのイントネーションも頂いて。

山田監督:もちろんちゃんと教えてくれる方がいて。聞きながらおふたり共勉強されてましたよ。

二宮:でも難しかったですよ!方言を喋る役ははじめてだったので。

吉永:でも完璧でした!

二宮:ありがとうございます!(と最敬礼)

山田監督:難しいイントネーションも上手にやっていて。耳がいいんだな。

MC:二宮さん、オファーを受けた時の心境はいかがでしたか?

二宮:正直松竹の人がすごく推してくれたんだと思っていたけど、実はそうではなくて。
まるで神様ふたりの様な方が僕を知っているとなんて思っていなかったから、そういう話を頂いていると聞いても、人ごとのように思ってしまいましたね。現場に行くまで信じられませんでした。
山田監督を含めた3人で、当時のお話を聞かせて頂く事が多かったですね。当時の話をきかせていただくと質感が変わってきますね。

MC:吉永さん、本作ではこれまでと違った発見はありましたか?

吉永:生きていない人とお芝居するなんて始めてですし、なんだか不思議な楽しみがありました。

二宮:僕は現場が終わると毎回生き返ったような気がしていましたよ。
ちょっと舞台みたいな、僕は母としか喋らないので、貴重な、特殊な作品になりました。

山田監督:あなたはこの世の人じゃないのよ、というセリフが出てきますが、そんなの普通の映画ではなかなかない。僕もそんな芝居を見ながら、不思議なセリフだなあと思ってみていました。まあ僕が書いたセリフなんだけども。(笑)

MC:亡霊のセリフを楽しく言えましたか?

二宮:そうですね、僕はある意味、この原爆が落ちて街にもたらした被害を知らなくていいキャラクターなので、起こる前の昔の話を楽しくしているのは特殊だし、そこは監督と丁寧にお話しながらできましたね。

山田監督:でも誰もができる役ではないんですよ。あんまり汗臭い人がやっちゃうとね(笑)
彼の軽やかな感じがいいんです。

吉永:ある有名な作家の方が試写をご覧になって、「あの息子役の方、よかったですね!」とおっしゃるので、「嵐の二宮さんですよ」というとえー!!と驚きになって(笑)それがわからないくらい、1人の俳優さんとして素晴らしかったです。

二宮:それは本当に嬉しいですね…

MC:最後にこれからご覧になる方にメッセージをお願い致します。

山田監督:皆さんにとってこの映画が楽しくて心に残る作品になればいいなと思っています。最後まで楽しんでください。

吉永:70年前の亡くなった長崎の方の想いを少しでもこの映画で表現できたら、と思いました。山田監督がずっと私たちを引っ張って行ってくれたんですが、とにかく大勢の方にこの作品をご覧頂きたいなと思っています。
二宮:この映画に参加した意義は、僕を応援してくれている若い世代戦争を体験したことのない人たちに見てもらうのが僕の使命でもありますので、、

山田:でも、年配の人のファンもいるよ?92歳のおばあちゃんとか。
(場内爆笑)

二宮:そうですね!(笑)では年上の世代の方にも見ていただくのが使命ですので(笑)
皆さん大切な人と見ていただきたいと思います。