★9/21(月)いまおかしんじ監督、坂本礼監督、横田直寿さんトーク(2)

●『つぐない』のこと
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9/21のこの日、一緒に上映された鴨田監督の短編『路上』といまおか監督の『つぐない 新宿ゴールデン街の女』は、ともに新宿をテーマにしており、『つぐない』は鴨田監督に捧げられている。いまおか監督は、
「鴨さんにとっては青春で、ゴールデン街で育てられたし育った場所みたいな感覚。僕はそんなに通ってないから、どう取り組むか脚本の奴らとも喋って、今思ってることをやるしかないってなって。相談はしたくなって鴨さんに脚本の段階で見てもらったら、“これ、別にゴールデン街じゃないんじゃない?”って言われて。詳しく指摘はなかったけど。“そうかー”みたいな感じでしたね」

●新宿、ゴールデン街に
対する思い
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ゴールデン街で鴨田監督と飲んでいた坂本監督。10年ぶりの鴨田監督と荒井さんの再会の場に居合わせることになったという。荒井さんの脚本の『新宿乱れ街 いくまで待って』では、ゴールデン街を追い出され、通り過ぎていく街だといった会話があり、鴨田監督はそのセリフを嫌ったという。
「“荒井よ、あれは違うんだよ。ゴールデン街は生活の場なんだよ。生活者が居る場所なんだよ”“鴨よ。そういう風に言うけど追い出されるんだよ。お前見てんのかよ”ってことを延々翌日の昼の12時まで2人ケンカしてる(笑)
鴨さんにとって新宿は自分が根付ける場所。人と出逢って来た場所で、そこじゃないとダメだって強く思ってたと思う」

2011年、いまおか監督のアパートに1か月ほど鴨田監督が転がり込んできたことがあったという。映画を撮るのに再び東京に出ようとしていた。親がいる新居浜市に戻ったものの、その親も逝去し故郷にいる理由がないと語ったという。
「土方でもなんでもやるって言ってましたね。でも結局また戻っちゃった。自分の青春時代を引きずっていて、自分はあそこで映画を撮るんだって気持ちは最後まで持ち続けていた。鴨さんにとっては自分らしくいられる場所だったのかなと」

●鴨田さんの思い出
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鴨田さんのエピソードについて横田さんは、
「いつも原稿用紙持ってたね。カメラも手に持ってましたね」と語る。

よく叱られたという坂本監督は「飲んで話してて“やっぱ女子が一番いいですね”なんて言うと、
“おい一番は映画じゃねーのかよ”と叱られる。“それも含めて映画じゃないすか”と言うと“お、そうだな”。そういう感じでした(笑)」と、常に映画に対する思いを持ち続けていた鴨田監督の姿を語った。

観客から
「僕は今78歳。京都で映画の仕事をして50何年経ったんですけど、『路上』は感動しましたね。撮ったのも90年代でしょ。藤圭子のそっくりさんを歩かせて歌流して。この場には多分生まれてなかった人もいると思うけど(笑)。僕らが知ってるゴールデン街はああいう感じだった。ゴールデン街はあまり足を踏み入れなかったけど、コマ劇場で美空ひばりさんと一緒に芝居やらせて頂いて。ちょうどあの頃花園神社でパフォーマンスが流行りだして。
平幹次郎さんの『王女メディア』なんかも蜷川幸雄さんがあそこで変わった演出してね。それを観に行ったり」
と当時の新宿を述懐し、鴨田監督がフィルムで残した『路上』に彩りを添えた。この御仁が京都在住の名優栗塚旭氏と、後に上映会のスタッフの方から知らされた。

★9/24(木)白鳥あかねさんトーク

●鴨田監督と神代監督の絆
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9/24(木)には脚本家でスプリクターの白鳥あかねさんが『未亡人アパート 娘もよろしく』上映後のトークに立った。白鳥さんは昨年の上映イベントでも、日活での鴨田監督の後輩に当たる根岸吉太郎監督とトークに参加しており、今年も「鴨田監督のことなら」と駆けつけた。

白鳥さんは「鴨ちゃんの作品を観に来て頂いたみなさんに、心からお礼を申し上げたいです」と語った。

昨年のトークで白鳥さんから、神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』主人公テツ(大江徹)は、鼻歌を歌ったり、どこから来てどこに行くのか分からないキャラクターが脚本で参加した鴨田監督自身だったのではないかという話があった。
「徹は陽性だったけど、鴨ちゃんはお酒を飲むと陽気になっても内へ内へと沈んでいく所がありましたね」

本来、監督を目指す助監督たちは、監督にとって時には脅威の存在となる。本質的には人間はひとりぼっちと考えていたという神代監督だったが、鴨田監督のことを絶対的に信頼していた。
「鴨ちゃんは神代さんを尊敬して愛していたから絶対服従でした。ある意味、神代さんに尽くし過ぎて日活では監督になれなかった」と当時の状況を語った。

当時、助監督を務めていた相米慎二監督と根岸吉太郎監督も鴨田監督に信頼を寄せていたという。その信頼の源は何だったのだろう?
「鴨ちゃんの人柄そのものですね。人を裏切ったりして自分だけ出世しようとか露ほど考えない。本当に純粋な人だったんじゃないかな。そういう意味では映画界で生きるのは大変難しかったんじゃないかなという気もしますね」

結核が悪化して余命が幾ばくもない中で、映画を撮ることを選んだ神代監督。鴨田監督は志願してチーフ助監督を務め、撮影現場では神代監督の酸素ボンベを持ち続けたという。

この日、観客達と共に『未亡人アパート 娘もよろしく』を観た白鳥さん。「この映画を観た時に、日活以外の場所で鴨ちゃんが好きなように思う存分撮っているのが嬉しかったですね。主演の吉沢由起も素敵だったし」と笑顔を見せた。

●悪者が出てこない作品群
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観客から、『未亡人アパート 娘もよろしく』について疑似家族が成立する理想郷が描かれており、争いが起こってもケーキ投げぐらいであるのは鴨田監督の人柄が現れているのか?と質問が挙がった。

『屋台売春』、『聖少女』、『路上』も然りと川村さんが解説する。

白鳥さんも言う。「正にその通りで悪者が一人も出てこないところが、本当に鴨ちゃんらしい(笑)。あの人が人の悪口を言ってるのを一度も聞いたことがない。鴨ちゃんに対してひどい仕打ちをした人は何人か知ってますけど」
悪者不在でも物足りない訳ではなく、鴨田監督の世界観に引きずり込まれると評価する。
「私はやっぱり鴨ちゃんでなかったら作れなかった映画だなと思います」

神代監督以外にも様々な監督の元、助監督を務めた鴨田監督。白鳥さんの夫である白鳥信一監督からも信頼を得ていたという。晩年入院した白鳥監督は、病状が重くなり見舞い客を全て断ったが、唯一受け入れたのが鴨田監督だった。「鴨ちゃんだけは病室に入れて、ふたりで長い時間話し込んでましたね」

「人を癒すというか言葉で癒すんじゃなくて、鴨ちゃんが側にいることで癒すんです」天才肌の神代監督は撮影中苛立つことが多く、白鳥さんはそういった時はなるべく側に行かないようにしていたという。
「鴨ちゃんは要領が悪いからいつも捕まって(笑)女優さんの代わりに苦情を浴びせられてましたね。ちっとも嫌な顔しないでニコニコしながら聞いてましたね」

●鴨田監督のイマジネーション
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観客から『屋台売春』では水晶玉、『娘もよろしく』は疑似家族が橋を渡って行くシーン、空に舞う風船、ヒロインが滑るように歩く姿など現実離れしたイメージが印象的だという感想と、鴨田監督自身、普段からそういったイメージを内包しているような方だったのか?という質問が挙がった。

白鳥さんは、鴨田監督は自分の作品の構想についてほとんど口にしたことはなかったという。ただ酒の席で、神代監督の演出について“あそこは良かったな”とポツリと感想を漏らすことはあった。「本人の中では凄いイマジネーションがいっぱい渦巻いてたんではないかな。鴨ちゃん自身は非常にロマンチストな人間だったのではないかと思っています」

様々な状況が重なり、晩年は自身の監督作品が思うように撮れなかった鴨田監督。その人柄に魅せられた有志の手によってこの企画が実現した。当時鴨田監督がどのような思いを持って作品に取り組んできたのか、その眼差しの先にあったものを個性的で魅力溢れる作品から垣間見ることが出来るようだ。
来年また新たに『鴨田好史レトロスペクティブ in 京都』で埋もれた作品との出会いがあることを期待したい。

(Report:デューイ松田)