10月31日(土)より新宿武蔵野館ほかにて大ヒット公開中の、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督最新作『裁かれるは善人のみ』。
公開初日を迎え、満席・立ち見の回も出るなど多くの方々にご来場いただいています。
ロシア映画としては、半世紀ぶりとなる本年のゴールデングローブ賞外国語映画賞、そして、昨年のカンヌ国際映画祭脚本賞受賞、またアカデミー賞にもノミネートされたロシア映画史にその名をみました。監督は、『父、帰る』(03)でデビュー作にしてヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と新人監督賞をW受賞し、世界にその名を知らしめたロシアの鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフ。

本作の公開を記念し、デザイナーでライターの高橋ヨシキさん、映画監督の松江哲明さんをお迎えし、11月9日(火)にトークイベントを行いました。
公開前に発売された週刊プレイボーイで、高橋ヨシキさんは、「システムという名のショベルカーが文字通り生活を破壊する」の見出しで、ロシアを舞台に描いた本作を「最悪の事態は今現在日本でも絶賛進行中である。」とご紹介いただきました。
また、松江哲明監督も「『これ、いまの社会そのものじゃないか』と気づいてからはムカつくほどの絶望シネマだった。」と熱い感想をTwitter上に投稿いただきました。
社会問題と映画的視点、両方を併せ持ったお二人に、本作の楽しみ方を徹底伝授して頂きました。

【イベント概要】
■日時:11月9日(月)19:10の回上映終了後 /イベント時間 21:30〜22:00頃 
■会場:新宿武蔵野館 (新宿区新宿3-27-10 3F) スクリーン3
■登壇者:高橋ヨシキさん(デザイナー/ライター)、松江哲明さん(映画監督)

【イベント内容】
<映画の感想>
高橋氏:抽象化して描いているけれど、単純に「ロシア怖い」という映画では勿論なくて、とても普遍的な話だったのでかなり興味深くみました。
あと、ビューロクラシー(官僚政治)において官僚のロボット化が徹底して描かれているところも感心しましたね。
あとは、ウォッカを飲んでいるシーンがやたら上手いなぁ、と思ったら実際に飲んで演技をしているというのを知って、ホントだったのかと、ちょっと面白かったです。

松江氏:何の前知識もなく観ましたが、途中から、舞台は勿論ロシアだけど「これは、現在の日本の話ではないか…」と思ってからは、ちょっとコワくなりましたね。
あと、最近は、アクション・リアクションが多用され、説明されすぎている映画が増えてきているなか、この作品はリアクションだけだったり、アクションだけを映すことで、観客に余白を想像させているんです。
余計な音楽も使っていないから、風景もより際立って見えました。

<作品の背景について>
高橋氏:この作品は2004年にアメリカで起きた「キルドーザー事件」を基にしている話。これも本当にすごい話で、土地を買収されようとした男性が反対運動をしたものの、聞き入れられず改造したブルドーザーに立てこもって役所や企業を破壊して、最後は溶接したブルドーザーの中で自殺を遂げるという話なんですけど…まあ、現実の方が現実離れしているというか、映画の方がリアルな気さえします。
家がメリメリと破壊されていくシーンは、すべてを失った主人公が、「もう絶対に戻るところはないのだ」という絶望の深さが際立っている場面で、個人的になんだか心躍るというか、堪らないシーンですよね。多分、家もそれ用に建てたんだろうし、ロケーションにもかなりこだわってる。

松江氏:家が壊されるところを内側から撮っているのが、面白いなぁと。弁護士が暴行されるシーンも、車の中から撮っているし、重要なシーンを敢えて客観的に、「中」から描いているのは、面白いポイントだと思いますね。あと、冒頭とラストに実景をもってきているのがかなり印象深い。どんな風に始まるのか、どんな風に物語が終わっていくかを期待させるような風景ですよね。

高橋氏:また、本作では「神の不在」を描いていますよね。苦難が続いて不条理が起こるところは、監督も言っているけどヨブ記をモチーフにしています。主人公が牧師と会話をするシーンでも、ヨブ記を引き合いに出しているし、それはきっと、不条理とか悪を説明できないからだと思うんですよね。実際にも、教会の牧師がそうした流れで話すことがあると聞いています。

松江氏:子供たちが、教会の天井やら、「上を見上げる」ショットが度々あるのは、いいですよね。観ている側が、その子供たちから「どう見てるの?」と問われているような、気分になりますよね。

<これから観る観客へ>
高橋氏:「荒涼」とは、この作品の為にとっておくべきだと思っていましたが、もっとピッタリな言葉がありました。まさに「寂寞の極み」です。
主人公も、そして息子もですけれど本当に何もなくなってしまう。理不尽な巨大な力を前に、個の力は弱く屈することがある。
そういうことをファンタジーに逃げ込まずに、現実だと、こういうことがあるのだと、強く意識して作った作品なんだと思います。

松江氏:この作品もそうですけど、「絶望映画」って、現実でもあり得るかもしれないことを映画で体験できると思うんです。
逆にいうと、自分の代わりに、映画の中の登場人物たちが体験してくれている、というような。『裁かれるは善人のみ』も、きっと日本のどこかで、「あっ、これは自分のことだ」と思う人が絶対にいると思います。遠い国の話ではなく、自分の話として考えてもらえるといいのかな、と思いますね。