本年度第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門におきまして日本人初の“監督賞”に輝いた黒沢清監督作品『岸辺の旅』が、日本・フランスともに大ヒット公開中です! 
本作は、黒沢清監督にとっては、初のメロドラマと評されている「究極のラブストーリー」。原作は湯本香樹実さんのロングセラー同名小説で、音楽は「あまちゃん」でも大友良英さんとタッグを組んだ江藤直子さんが再びのタッグで担当。主人公の深津絵里さんを脅かすライバル?役には蒼井優さんが登場するなど、男性が目立つ黒沢清監督作品にしては珍しく(?)女性パワーが集結した作品でもあります。

この度は、国内外で大ヒット中の『岸辺の旅』を支えた女性達が初めて揃ってトークイベントを開催いたしました。

『岸辺の旅』トークイベント 
11月8日(日) 会場:テアトル新宿
登壇者:湯本香樹実(原作者)、江藤直子(音楽) 進行:松田広子(『岸辺の旅』プロデューサー)

湯本「本日はありがとうございます。湯本香樹実です。これまでに複数回ご覧頂いた方もいるかもしれませんが、私もその一人です。何度も観れば観るほど、新しい驚きがあったり、すごくさりげないシーンの中にもこんな意味があるのでは…と思わせられたりと、すごく豊かな映画ができたと思います。こういう豊かな
映画ができて、とても幸せに思います。」

江藤「江藤直子です。今回は、大友良英さんと共作というかたちで、音楽を担当いたしました。楽曲も一緒にやりつつ、オーケストレーションも一緒にやりました。今まで、携わってきた中で、一番大きな編成で、オーケストラを全編に使うという、自分としてもかなり大きな挑戦でした。緊張もしましたが、携わることができて良かったです。」

松田「なぜ瑞希が優介に作ったものが“白玉”だったのですか?」

湯本「妻の瑞希が黒ゴマのあんを入れた❝白玉❞を作っていると、3年間失踪していた夫の優介が帰ってくるのですが、白玉にはそもそも供物としての白玉だんごという意味もあるんですね。ただ最初、瑞希にとっては、優介はまだ生きているのか、死んでしまっているのか分からないでいるので、供物としての(あんが入っていない)純粋な白玉ではないのでは…と。生きていてほしいという気持ちもある中で、白玉の中に黒ゴマのあんを入れたというのは、そのあんが一つの肉体というか、内蔵であったり血であったりということに瑞希は思いを馳せているのではという気持ちで書きました。実は、小説では最後、瑞希と優介が別れてしまう前の日に、瑞希がもう一度、白玉だんごを作るところがあるのですが、その時は、白玉にあんを入れないのです。それは肉体を持っていた優介に対する執着といったものが、旅の中で浄化されたということを表したかったのです。死者と生者という二人の関係を(白玉を通じても)書いたつもりです。」

松田「もともと湯本さんは、東京音楽大学で作曲を学ばれていらっしゃいましたが、小説を書かれるときに、音はなってどれくらい鳴っているのでしょうか。」

湯本「書いているときは、言葉の音で頭がいっぱいなので、音楽のことはあまり考えていないのですが、「岸辺の旅」の小説を書いているときは、小説の中にでてくるショパンを聞いたりはしました。映画にはこんな音楽がつくのかな、ということも考えていなかったのですが、最初に映画を観たときに、すごく良いなと思いました。2回目、少し冷静に映画を観たときに、音楽のどこが素敵かと私なりに感じたのは、管楽器がすごく素敵な響きだということです。一番最初、タイトルが出る前に管楽器、木管楽器から始まるのですが、この木管楽器がすごく優しく感じさてくれる。優介の優しい声と佇まいと木管楽器の呼吸、息づかいを感じて、すごくぴったり合っていると思いました。」

江藤「ありがとうございます。湯本さんが音大で作曲を勉強されていたと知ったときは、私は自己流で積み重ねてきて書くようになったので、ドキドキでしたが、今、お話を聞けてほっとしました。音楽は、監督と大友さんと何度も打ち合わせをして作りあげていきました。最初から、オーケストラの編成になることは決まっていたので、オーケストラならではの音楽のあり方を考えました。例えば、バイオリンでも一人の場合は、その人の輪郭や呼吸とか持っているものが音楽として出ると思いますが、人数が増えると、だんだんと粒子のようになって、個人ではなくなっていく…音そのものになって、映画に対しての距離と奥行きが生まれると監督は思われたのではないかと思いました。生と死の世界観をおぎなうのが音楽なのかなという思いで作りました。黒沢監督からは、「幸せ」「叶わない幸せ」「運命」「死」というようなキーワードをいただき、それを形にしていきました。」

松田「黒沢監督は湯本さんの原作をとても大切にされていました。(優介の)宇宙の講義のシーンは監督が一番書き込んだシーンだったのですがいかがでしたか。」

湯本「画面のサイズ感、音楽のスケールの大きさ、優介が語る内容、夫婦の親密な感じ、そのすべての遠近感が魅力的で素晴らしいと感じました。「岸辺の旅」の“旅”になったのには、旅は始まってどこかで必ず終わらなければならないということがあります。人が生きて死んでいくというのは、水の中に小石を投げてみると波紋はいつか消えるように(そのエネルギーそのものは別のものに繋がっていくかもしれないのですが)始まっていつかは終わるということを端的に表現したいと思ったときに“旅”になったのかなと思っています。」