第二次大戦中に、政府に背いて日本への通過ヴィザを発行することで多くのユダヤ難民を救った人物として有名な杉原千畝。しかしながら彼が稀代の【インテリジェンス・オフィサー】であったことは、あまり語られていません。彼は堪能な語学と豊富な知識を駆使し、世界各国で諜報活動に携わり、リトアニア赴任時には一大諜報網を構築。混乱の極みにあった世界情勢を分析し、身の危険を顧みず、日本に情報を発信し続けていました。戦後70年の時を経て、杉原千畝の“真実の物語”が感動超大作としてスクリーンに甦ります。

そしてこの度10月13日(火)に、かつて千畝が赴任していたリトアニアのカウナス(当時の臨時首都)にて、本作のワールドプレミア上映を行いました。
千畝(ちうね)を演じた主演・唐沢寿明とその妻・幸子(ゆきこ)を演じた小雪、そして監督のチェリン・グラックはあわせて現地入り。3名は上映に先駆け、現在は「杉原記念館」になっている旧日本領事館を訪れ、かつて千畝がヴィザの発給を行っていた執務室を見学しました。
本編はほぼ全てのシーンを隣国ポーランドで撮影しているため、初めてリトアニアを訪れることになった唐沢は「撮影のセットのほうが広くてそれらしかったけれど、やっぱりここにいたんだな… と改めて感動しました。杉原さんをより一層身近に感じることができました。来たかいがあります」と、小雪は「やっとここにくることができた、という思いです」とコメント。

その他にも、領事館閉鎖後に千畝が滞在し、カウナスを発つ直前までヴィザに代わる渡航証明書を発給し続けたホテル メトロポリスや、カウナス駅などを訪れ、当時の様子に思いを馳せていました。ホテル メトロポリスとカウナス駅には今年の9月4日(千畝が75年前カウナスを発ったとされる日付)に千畝の功績を讃えたプレートが設置されたばかり。また9月24日には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会が2017年の登録を目指す記憶遺産候補として杉原千畝関連資料を選定。さらに10月14日には、外務省を辞めた後の千畝が日本の貿易会社代表として赴任していたロシアのモスクワにある「ウクライナ・ホテル」にも記念プレートが設置されるなど、現在国の内外において千畝の功績を見つめなおす気運が高まっています。

3名が千畝縁の場所を巡った後、映画『杉原千畝 スギハラチウネ』のプレミア上映を行ったのは、千畝がリトアニアに赴任した年(1939年)に完成した映画館ロムヴァ。千畝がリトアニアを去った後、ソ連に、続いてドイツに、その後は再びソ連に併合され、1990年に独立して現在に至るまで、時代の変遷を見つめてきた歴史ある映画館での上映に、唐沢、小雪の両名も感慨ひとしおの様子でした。上映会は現地カウナスのヴィータウタス・マグヌス大学によって主催され、MCを教授が、運営やマイクランナーなどを学生たちがつとめました。

450席の客席は地元の観客だけでなく、約80キロ離れた首都ヴィリニュスからも観客が訪れ満席に。通路まで人が埋まり、動員数は500名を超えました。さらに映画館の前には入りきれなかった観客が長蛇の列をつくり、最終的には200名もの観客を帰さなければならないほどの賑わいをみせました。客層も幅広く、現地の学生やユダヤ人協会の方々、なかには、千畝がカウナスに滞在していた当時を知るご高齢の方々も来場されていました。さらにはマントヴィダス・ベケシュイス外務副大臣、ラサ・ノレイキエネ経済副大臣、カウナス市副市長シモナス・カイリース氏、在リトアニア日本国大使館の特命全権大使である重枝豊英大使や山中慎一参事官をはじめとする多数のゲストにもお越しいただく運びとなりました。副市長は挨拶にて唐沢、小雪に「カウナス市名誉観光大使」への就任を希望する証書と花束を贈呈し、監督にはグラフィックアート作品「自由の鐘」*注1 を贈りました。「カウナス市名誉観光大使」への要望を初めて聞いたキャスト、監督の3名は、「もし本当に就任したら、また来ることができる。それもいいな」(唐沢)、「光栄ですけど、本当かな?(笑)」(小雪)、「そうしたら、僕はカバン持ち兼通訳として来ますよ(笑)」とそれぞれ驚きと喜びを語り合っていました。

上映後は本編が終わってもなお、涙を流し続ける人が散見され、5分間以上もスタンディングオベーションが続きました。鳴り止まない拍手は最終的に手拍子となっていき、会場が感動と熱気に包まれるなか、3名が再度登壇し、舞台挨拶を行いました。映画を観終わった観客の反応をみたキャスト両名は「皆がニコニコといい顔をしていて、この映画の、そして監督の世界観が受け入れられたということが伝わり、感動しました」(唐沢)
「学生や若い世代の方も結構いらしていて驚きました。皆の目がきらきら輝いていて嬉しかったです。映画を観ていただいて、今やっと映画が完結したように思います」(小雪)と、観客への感謝と感動をそれぞれ語りました。
続くティーチインではロケ地やキャスティングに関する質問、日本での杉原千畝の認知状況、さらには、もし今千畝のような立場に置かれたらどうするか、といった硬派な質問が活発に飛び交い、なかには「家に帰りたくないくらい、ずっと映画を観ていたいくらい素晴らしい作品でした。私は3世代続くカウナス市民です。杉原さんのご英断がここカウナスで行われたことに誇りを感じます。」といった感想を述べる人もおり、映画が作品の舞台であるリトアニア・カウナスに受け入れられたことを感じる温かいプレミア上映会となりました。

また、翌日には首都ヴィリニュスの大学ホールでも上映会を実施。監督が舞台挨拶を行い、そちらは300名を超える動員がありました。

*注1:リトアニアで最も有名なアーティスト(Mr. Egidijus Rudinskas)の手によるもの。「自由の鐘」はリトアニア独立のシンボルとして、1920年にアメリカからの移民者により贈呈された。1922年、当時の首都がおかれていたカウナスに到着し、現在ヴィータウタス大公戦争博物館のタワーに掛けられている。鐘には「リトアニアの子供のために永遠に鐘を鳴らし続ける。自由のために戦わないものは、この鐘はふさわしくない」という文言が刻まれている。この言葉によってこの鐘は「自由の象徴」として知られ、杉原千畝のように自由のために戦った人に捧げられている。

以下、キャスト・監督のコメントになります。

舞台挨拶コメント
≪唐沢寿明≫
こんなにたくさんの方々に来ていただいて、本当に感動しております。今回杉原さんが滞在していた日本領事館、またカウナス駅のホームに立ち、ホテル メトロポリスを訪れ、より一層杉原さんを身近に感じることができました。この地でこんなにたくさんの人に映画を観ていただくことができ、日本人として改めて杉原千畝さんを誇りに思います。杉原さんのことを忘れずにいてください。そして僕たちのこともなんとなく忘れないでください(笑)。リトアニアの方々が温かく迎えてくださって、僕らに対しても、日本に対しても温かい気持ちで向き合ってくださっているということが伝わってきました。僕達も同じような気持ちで世界と向き合っていきたいと思います。これからも日本をよろしくお願い致します。

≪小雪≫
この映画に参加することができて、そして縁のある土地に来ることができてとても感慨深いです。今日、元強制収容所などを巡らせていただきまして、時代の背景も肌で感じることができてとてもご縁を感じています。私はこの作品のお話をいただいた時に、終戦70年を迎えるにあたって自分に与えられた役目なんじゃないか、と感じました。この映画で戦争を振り返り、世界中の人が差別や戦争を考えるきっかけになったらと思います。

≪監督:チェリン・グラック≫
リトアニア・カウナスでプレミアができるとは思っていませんでした。皆さんに伝えるべきこと、言うべきことはたくさんあるはずなのですが、僕としては初めてご覧いただくのがカウナスの皆さんだということがものすごく嬉しいです。

≪カウナス市副市長:シモナス・カイリース≫
カウナスの歴史的な映画館において、『杉原千畝 スギハラチウネ』ワールドプレミアの機会をかりて、監督、キャスト陣、映画関係者の皆様に祝辞を述べられますことは、誠に光栄なことであります。心からの感謝を込め、チェリン・グラック監督にリトアニアの「自由の追求」を表すグラフィックアート作品「自由の鐘」を贈呈させていただきます。この作品は外交官・杉原千畝氏の、人々に自由を与える偉大な決意を伝えるものです。カウナス市並びにカウナス市長、そして全市民を代表し、カウナスそしてリトアニアの名を日本中に広めてくださったことに対し感謝を申し上げるとともに、あらゆる人々に尊敬される杉原千畝氏と、幸子夫人を演じられた俳優の唐沢寿明さん、そして小雪さんにはカウナス市名誉観光大使にご就任いただきたいと切望いたします。