7月21日(火)、今月より公開がスタートした映画『ブラフマン』の大ヒットを記念し、ゲストの箭内道彦監督と、BRAHMAN所属レーベル・トイズファクトリーの西村佳樹を聞き手としてのティーチインイベントが行われた。

映画『ブラフマン』 ティーチインイベント

■日時: 7月21日(火)  20:30〜【約30分間/本編上映後】
■場所: 渋谷HUMAXシネマ  (東京都渋谷区宇田川町20-15ヒューマックスパビリオン渋谷公園通り4F)
■登壇者: 箭内道彦監督 聞き手:西村佳樹(トイズファクトリー)

 17〜18年BRAHMANと一緒にいる西村は、これだけ彼らと一緒にいても聞けなかった、10年ほど前のバンド危機と呼べるほどの大喧嘩に関してドラムのRONZIが言及しているシーンや、引っ込み思案のMAKOTOやKOHKIが話すシーンにも箭内独特の力がそうさせていると終始驚いていた。対する箭内は、「スタジオでスタッフも全部排除してふたりっきりの空間で撮ってたからみんな僕に話してるつもりだけど、全国の人に話しちゃってるってことを忘れてるよね(笑)」と会場を笑いで包んだ。
 映画『ブラフマン』のSNS上で、映画鑑賞者たちのあいだで「すき家のキムチ牛丼生玉子乗せ」や、RONZIのカツ丼、MAKOTOののり弁など食に及ぶツイートが多いことに触れると、箭内は「別にグルメ映画を撮ろうとしたわけじゃないですけど、命っていうか生きる源として食を扱いたかったんです。思いがパッケージされてるものじゃないですか。マッキン(MAKOTO)の奥さんの作ったお弁当とか、TOSHI-LOWが息子に作ったいちごの入ったお弁当とかは。すごく、実は大事な要素でしたね。本当はKOHKIがオリジンののり弁食べてるシーンを何回も撮ったんですけど、残念ながら2時間超えちゃうのでカットしました。」と笑いも交えつつ、繊細なこだわりを披露した。
 また、メンバーの間では暗黙の了解となっている、西村すら知らなかった初代メンバーたちのエピソードに関しては、実はTOSHI-LOWとの些細な会話の流れで、TOSHI-LOWから水を向けられたと意外なエピソードまで飛び出した。ただ、その撮影の中で監督としてカメラを向け難いところにカメラを向けることに迷いが生じたことを振り返り、これでは監督には向いてないな「引退します」と、最初で最後の監督作、ということを改めて強調した。今後は、「小説とかも書いてみたいし」と、意欲を示し、映画が絶賛なだけに、次回作が見れないのは残念ではあるものの今後も我々を楽しませてくれそうだ。
 BRAHMANも来月8月9日で結成20周年を迎え、今年はベストアルバムの発売や、ライブなども続々と決まっており、ますます盛り上がりを見せている。映画『ブラフマン』も今週末25日(土)から、札幌、水戸、新潟、名古屋、広島、大分、鹿児島で上映がスタートする。

箭内:平日の夜にお集まりいただきありがとうございます。西村さん、これヒットなんだってね。
西村:2週間限定ということだったんですけど、渋谷で公開が決まったり、延長が決まったり、私共々ヒットを確信しております(笑)
箭内:西村さんはインタビュー出演だけじゃなくてレコーディングシーンでも出演してるからね。
西村:あそこが使われるのは意外でした。「オッケー!」っていう私の恥ずかしい声も入ってたり。
箭内:試写の時に、西村さんが一番驚いたシーンが、僕にとっては意外なシーンだったんですけど、お話いただけますか?
西村:17〜18年彼らと一緒にいるんですが、3人とも引っ込み思案で言いたいことも常に言うようなタイプじゃないので、特にRONZIはTOSHI-LOWのことを色々言ってたのがびっくりでした。鬼だっていうのはよく言うんだけど、彼らが喧嘩して口を効かないとか、我慢してるとか妥協してるとか。僕らの中ではあまり言わないようにしている。バランス取るために言いたいことも言わないようにしたりしてたりもするので。バンドなので長くやってれば喧嘩することもあるし。ちょっとやばいなと思うような時期が10年前くらいにあって、RONZIがこの話をしたのも10年ぶりくらいだと思う。
箭内:僕と二人っきりの空間で、話してるので、だから話してくれた部分もあると思う。
西村:箭内さんじゃないとしゃべらなかったんじゃないかと思う。
箭内:僕に話してるけど、全国の人に話しちゃってるっていうのにみんな気づいてないよね(笑)
西村:そこが箭内道彦さんのマジックですよね。つい話させちゃう(笑)目立ってないですけど、KOHKIとかMAKOTOも普段話してないこととかすごい話してますからね。
箭内:あと、KOHKIの無言(笑)あれは限界への挑戦でした。45秒ね。
西村:結構長いですよね。
箭内:あれは自分でもやったなって(笑)この映画ね、最初編集したら9時間になっちゃって、そっから頑張って頑張って5時間になって、やったーと思って。プレシディオには90分にしてくれって言われてて、そうしないと回数回せないから。僕は割と15秒とかの尺とか、締切とかは守る方なんだけど、4時間切ったあたりから、もう無理ってなっちゃって。ほかの映画会社に相談に行ったの。東宝とか東映とかアスミックエースとか。この90分ってどのくらいまで守らないといけないの?ってそしたら2時間まではいいですよって。2時間超えると製作委員会だったり、会社の偉い人とか出てきちゃう(笑)
西村:僕らも全然知らない話が映画の中では出てきてて、メンバーも暗黙の了解で初期のメンバーのことは言わなかったりするんだけど、この映画で初めて知りました。箭内さんはどうして初代ギタリスト、ベーシストに目をつけたんですか?
箭内:別に目をつけたわけではなくて、全部TOSHI-LOWなんですよ。まず、初代ギタリストの件は、たまたまTOSHI-LOWと二人で歩いてたら、TOSHI-LOWが「ここ初代ギタリストの職場なんだ」って。「会ってんの?」って聞いたら、「いや」って。ドキュメンタリー撮ってる最中でその話になったから、TOSHI-LOWも何か思うところはあったんだと思う。で、「会いに行ってみようかな」って言ったら、「いいんじゃないの」ってTOSHI-LOWが言って。だからTOSHI-LOWが水を向けた部分はあって。でも、最初普通のルートで行ったら、「もう自分はそういうあれじゃありませんから」って断られて。そのあとも何回も足を運んで、映画に出るとかではなく話を聞かせて欲しいって。だから会う日もカメラは持っていけないなって。話を半分位まで聞いたところで、話が一方通行になるのはいやなので。TOSHI-LOWたちの言い分だけで作品になるんじゃなくて、そういうふうに言われた側の意見も欲しいなって。映画に使いたいと思ったんですよ。これ大事な話なんで録音してもいいですかって途中で言ったんですよ。で、話をし終わった後で映画に声だけで、出てもらうことは可能ですかって、そういう段階を踏んでやりました。
ナベさんは「初代ベーシストでBRAHMANって名付けたやつの弟がいるから連絡してみて」ってTOSHI-LOWに言われたんですよ。TOSHI-LOWの意図なんですよ、実は。

西村:今日ナベさんの親友の方からメールが来たそうで。箭内さんに届いたメールなんですが、読ませていただきます。
(以下メール文)
 箭内道彦様、突然のメール失礼します。私は大越と申しまして、2007年まで宣伝会議で働いておりました。2005年くらいまではコピーライター養成講座大阪教室の会講師に箭内さんに来ていただいたことがあります。実は私はBRAHMAN初代ベーシストのナベの高校の同級生でした。クラスも1年、3年と一緒。軽音楽同好会も一緒。こういうこと若干臭いですが、親友でした。でも、ナベは東大に入学して、大学院に行ってからも、ちょっと調子が悪くなってから15年ほど会っていませんでした。弟のトオルとは、ソフトボールの仲間なので、2年に一回くらい会ったときに、そっとナベの様子を聞くような感じでした。3年前の訃報を聞いた時の衝撃は忘れられません。昨夜、高校時代学校全体を巻き込んで音楽祭を作り上げた仲間たち5人で並んで渋谷で映画を見ました。見終わった後に全員泣きはらした顔で、「ナベはやっぱりすごい男だったな、死んでから映画になったよ」と笑いました。箭内さんの優しさが伝わって来ました。BRAHMANのファンの方々には申し訳ないですが、俺たちにとってあの映画はナベの映画でした。トオルの言葉通り、彼の魂は映画によって昇華されたと思います。あいつは本当にうちの高校のカルチャースターでした。かっこいい男でした。と、同時にまだまだ語り尽くせない彼の物語を我々が生きていく限り話したり残したりしなくては、という思いが沸いて来ました。我々同級生もBRAHMANの皆さんと同じくナベと今も同志であり、仲間なので。長くなって申し訳ありません。突然変なメール申し訳ありません。ただ、心に熱い気持ちが残っているうちに箭内さんにお礼をお伝えしたくメールさせていただきました。あの世でナベも笑っていると思います。いい顔で笑う男でした。これからも箭内さんの作品楽しみにしております。ありがとうございました。
(メール文ここまで)