MC:一人のライフスタイルを選ぶ人は多くなってきて、今後一人で亡くなることは自然な流れになっていくと思います。その中で、孤独死をただ嫌というのではなく、どう受け止めるのかが課題になってきました。結城さんは著書で「一人暮らしで生きるライフスタイルを選ぶ自由がある以上、一人で亡くなる死に方もある。その場合に、見つけてくれる人が必要なのではないか」と書かれていますよね。

結城:「孤独死」「孤立死」には、2つの考え方があります。脳梗塞や心筋梗塞で倒れた場合、心筋梗塞の場合はほとんど助かりません。
突然死なのでもう助けようがないんですね。そういう場合の「孤独死」「孤立死」は、早く遺体を発見させる対策が求められると思います。
しかし、脳梗塞の場合は、2〜3日以内に発見されて救急車で運ばれたら救うことができるんですね。ですから「孤独死」「孤立死」の対応として、やむを得ない場合と救える命を救う、という2側面があります。2015年の末には一人暮らしが600万人ぐらいになりますので、誰にも看取られずに亡くなってしまう方が増えるのは致し方ないと思います。でも、そうなった場合に、早く遺体を発見して死者の尊厳を保てるような地域社会にしていくことが、この映画でも求められていると思います。男性は一生のうち、5人のうち1人が、女性は10人中1人が結婚しません。
いま熟年離婚も大変多いですから、今までは死別で一人暮らしになる例が多かったですが、家族や近所付き合いの希薄化もあり、一人暮らしは今後より普通の暮らし方になります。こういう社会において、ひとりの人がが墓に入るまでを考えていかないと、公衆衛生上でも問題が出てきます。
この映画の中で、後継の女性は冷たいようですけど、税金で一応墓まで入れてくれています。日本の場合はそこまでせず、亡くなった方を墓まで入れる場合は、近所の自治会やNPO法人の助け合いでやっていて、原則、生活保護受給者以外は墓まで税金を使って入れるということはあり得ません。
しかし税金を使ってでも墓まで入れていかないと、NPO法人などに頼っていっては限界があります。そういう意味では、死者に対する公的な役割についても日本で問われていくのではないかと思います。救える命を救っていくという対策と、遺体を早く発見して死の尊厳を持って対応していく公の役割。
これが一緒に増していく日本社会になればと、この映画は訴えかけていると思います。

MC:監督は「この映画を観て、隣人のベルを鳴らすきっかけになれば」と言っていますが、実際にそれをするのはなかなか難しいですよね。
どのように声をかけるのが良いのでしょうか?

スティーブ:まずは、仲間を作らないといけないんです。隣人祭りは難しくないけれど、やる気と勇気が必要です。その場所に合った企画を作って、それぞれ役割分担していくしかありません。例えば、誰かの家の中だとドアを開けないといけないのでちょっと入り辛い。なので、基本的に公園、駐車場、自治会のスペースなど外で開催したほうが参加しやすいです。また、やりすぎないこともポイントです。年に1〜2回、挨拶できる程度が良いのです。
「無視をしない」「無理強いしない」「無理しない」ということが大切なのです。
隣人祭りは、西洋から生まれた文化ではありますが、井戸端会議や花見など、昔の日本文化には、人に会うきっかけはあったんですよね。
それが個人主義な社会になってから、ドアを閉めて閉じこもって、インターネットで世界とつながるという時代になっています。
団体としてのこれからの課題は、一人暮らししている若者、インターネット世代の人にもアプローチしていくことだと思っています。