只今、渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開中のワン・ビン監督の映画『収容病棟』の上映後に、ドキュメンタリー映画監督の原一男さんが登壇するトークイベントを行いました。

日時=7月12日(土)20:25〜20:45    会場:シアター・イメージフォーラム
登壇者:原一男監督(『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』)

天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った超問題作『ゆきゆきて、神軍』(87)で世界のドキュメンタリー界を震撼させた原一男監督は“仕掛ける天才”。
一方、超長尺の傑作『鉄西区』(03)以来、ドキュメンタリー界の最前線にいる『収容病棟』のワン・ビン監督は、“カメラがあることを忘れてしまう”と評されるタイプ。
作風もドキュメンタリーについての考え方も全く違うのではないか?!と想像されるかもしれない。
ところが、原監督は「僕もワン・ビンも写真から入って、それから映画に転身した。写真の経験があると、被写体との関係の中でカメラをどう相手に向けていくか、それを具体的に考えるんですよ。
ワン・ビンの画を見て、なるほど僕と似ていると思った」と意外にもワン・ビンと似ている発言からトークをスタート。
実は原監督は今年2月、『収容病棟』のプロモーションで来日したワン・ビン監督と雑誌の取材で対談しているのだが、
その時の印象も「ワン・ビンは風貌もあか抜けなくて、まるで田舎のあんちゃんのよう。私も決して都会的でスマートなタイプではないという点でも(笑)親近感が湧いた」。
共通点といえば、原監督もワン・ビンも、どちらも自分自身でカメラを回すスタイル。
それだけに「『収容病棟』はカメラが自由になっている。対象に2メートル以上近づかないようにしたと言っているそうですが、
その中でも自由に、ある時はぐっと寄ったり、追いかけていたのをふと止めたり。カメラと遊んでいる感覚もあるんですよ。
だから意外にもワン・ビンの映画の中で、実はこの映画が一番見やすいんじゃないかと思っている」と鋭い分析も。

さらに『収容病棟』に登場する精神病患者に話が及ぶと、「『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三さんも、天皇にパチンコ玉を打った時に、
都立松沢病院で精神鑑定を2度受けて、軽いパラノイアと言われているんですが、世の中の人はほとんどが軽いパラノイアばかりでしょう。
だから異常じゃないということですよ。『収容病棟』の中で、理解不能な人はいないと思うし、病院の中にいる人と塀の外にいる人に決定的な違いはないと見た方が自然だと思いますよ」と話し、
「中国という国家が『収容病棟』のようとも言えるかもしれないが、権力に抑圧された空間はどこの国にもある。
だから『収容病棟』は私たちが現実に生きている世界の映し絵であると言えるのではないかと思う」と、この映画の重要性を真摯に語った。

しかし、ここで大人しく終わらないのが原監督。過去に対談したことのある2人のドキュメンタリー監督をあげて
「マイケル・ムーア(『ボウリング・フォー・コロンバイン』監督)なんてただの典型的なアメリカ人で、アホとちゃうかと思った。
それに比べたら、『アクト・オブ・キリング』の監督は知性的だろうと思ってたんですが、対談してみたら、そのジョシュア・オッペンハイマーも典型的なアメリカ人。
そういう視点から見ると、『アクト・オブ・キリング』は大ヒットして皆も傑作だ傑作だと言っているようですが、大した映画じゃないんですよ。
アメリカ人であるがゆえに、あのような発想が出る。観客が圧倒されるのは、虐殺の数の多さ、現実の世界の中で虐殺した側が英雄視されているというおぞましさで、
作品の凄さじゃないでしょう」と原節が炸裂。会場を笑いの渦に包んだ。さらに「マイケル・ムーアともオッペンハイマーとも、もう話さなくていい。
でもワン・ビンとならまた話してもいいなぁ。彼は実に気持ちのよい男でした」と締めくくり、日本と中国、アジアを代表する世界的なドキュメンタリストである2人の再会が楽しみになるトークショーとなった。