Bunkamuraル・シネマほかにて大ヒット上映中の映画『罪の手ざわり』。
本作は第66回カンヌ国際映画祭に出品され、その画力の強さ、構成のすばらしさ、社会性と娯楽性ゆたかな物語で観客を圧倒し共感の喝采を浴び、見事脚本賞を受賞致しました。

公開を記念し、かねてからジャ・ジャンク—監督作を観てくださっている劇作家の宮沢章夫さんをお招きして7日(土)にトークショーを行いました。
トークでは、映画のテーマである「暴力」について、日本の新藤兼人監督や大島渚監督の名前を挙げて「犯罪者の視点から描く」ことについての考察をお話し下さり、また役者の演出方法については劇作家ならではのご視点でひも解いていただきました。

深い水底から銃声が響くように聞えた。重い音。
あるいはナイフが皮膚を引き裂くときもまた、その音はずっしりとしている。
そこに至るまでの人物の姿を丁寧に追い細部の積み重ねのなかに普遍的な現在の暗部が描かれる。
淡々とした表現。無表情で静かな彼らは、けれど饒舌だ。—宮沢章夫(劇作家・演出家・作家)

<トーク実施日時>
日程:6月7日(土) 18:30-18:45 (16:20の回上映終了後)
場所:Bunkamura ル・シネマ
登壇者:宮沢章夫さん(劇作家・演出家・作家)

<ト—ク内容>

ー映画の感想をお願いします。
「この映画は、『暴力』がひとつ全体のテーマになってると思ったんだけど、映画における暴力とは何なのか?ということをこの映画を通して改めて考えることができた気がしました。
僕は普段演劇をやっているのですが、まず演劇ではウソになりますからね、暴力ふるったところで。毎日殴ってたら大変なことになるじゃないですか?(笑)それ風なことをするというのが、演劇の演技術としてあるのかもしれないけど、それは僕の考えている演劇とはちょっと違うので。
この映画は、ただ暴力を簡単に映画的だからと言って描くのではなくて、その背景をどう描くのかということから積み上げているからこそ、最終的に銃声やナイフで刺すという行為に説得力を持たせていると感じて、納得をしながら観ることができました」

ーそうですね、監督自身も「なぜふつうの人々が暴力に走ってしまったのか」という思いが出発点だったと言ってます。
「また中国で本作のように実際に起こった事件を、犯罪者の側から描くというのが、中国ではどういう風に捉えられているのかなと思いました。かつての日本映画においても、例えば『裸の十九才』(監督:新藤兼人)は永山則夫の側から、また大島渚監督は犯罪者の視点から「なぜ彼らは犯罪を犯すのか」と、社会に対するある抵抗みたいなものを描いていて、僕はそういう映画に強く共感しました。
ですが、社会のある時点から、被害者の側の視点がものすごく大きく取り上げられるようになり、むしろそうなった事によって、社会の陰が隠ぺいされているようにも感じます。被害者の悲しみとか痛みというものを知る必要があるのかもしれないけど、そのバランスを考えたときに、社会や表現というものが、どこか寄りすぎているような気がするんですね。
なので僕は改めて、この作品が最近の日本のマスコミの風潮と違った考え方を持っている面白さを感じました。
それともう1つは、シナリオの段階で、オムニバスでありながら全てがうまく繋がっている。全体の地図を描くこともできるけども、小さな細部を描くことによって全体を描き出すということも、可能なんだということを、作品を見ながら感じました。
少数民族の宗教的な問題などがニュースになる状況の中でこの映画を作ったというのもあり、ジャ・ジャンクーはいまの中国で突出した表現者だと思います」

ー役者陣についてはいかがでしたか。
「中国の演劇大学では、各県から美男美女が毎年2人づつ入学するそうなんです。だからその学校は美男美女しかいかないらしいんですよ。その人たちが普通な人を演じるとなると、演じないといけないでしょう?その話を聞いてイヤだなと思っていたんです。
でも映画って、役者がそこに立っているだけで何か表現が出てくるというのが、僕は好きなんですね。
だからこの作品の、最初にトマトのトラックが倒れて、数秒、静止画のようにカメラも固定で誰も動かない、そして遠くのほうで音がするというシーンがありますよね。あそこで彼は何もしていない演技をしているんだと思うのですが、そのことが彼の存在感を際立たせているんですよね。あとこの2話目のワン・バオチャン、僕すっごく好きですね!最高ですね」