映画『くじけないで』八千草薫58年ぶりの海外映画祭 満席に感動!
オーストラリアで開催17 回目となり、約3万人が入場するという日本国外では最大規模の日本映画祭。
今年はオーストラリア全土10都市(シドニー、メルボルン、ブリスベン、パース、キャンベラ他)で、あわせて38本の作品(今年日本で封切られたばかりの新作劇場映画及び往年の名作映画)が上映される。
シドニーでは11 月14 日(木)から24 日(日)まで開催で、『くじけないで』はここに参加している。
現在シドニーのプロサッカーチーム(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ)で活躍する元日本代表の小野伸二選手が、文化交流大使として就任した。
映画に関連したゲストでは、シドニーでは八千草薫、深川栄洋監督のみで、メルボルンには、「俺俺」の三木聡監督、「図書館戦争」の佐藤信介監督が参加予定。
「くじけないで」は、シドニー市内の映画館イベント・シネマズにて、11月23日14:00(日本時間12:00)に上映され、上映前の舞台挨拶と、上映後の質疑応答が行われた。キャパ800席が満席となり、上映後には大きな拍手が起こり、質疑応答でも多くの質問が寄せられた。また、退場時には握手を求める観客に取り囲まれ、この映画祭でもひときわ盛り上がる上映会となった。
会場は7割:アジア人、3割:白人。アジア人の中で日本人の割合は半数以上。お年寄りから、留学生まで年齢層も幅広い。
上映はすべて英語字幕付き
『くじけないで』公式上映
11/23(土)現地時間14時(日本時間12時)
参加:八千草薫、深川監督
上映前舞台挨拶及び上映後ティーチイン
上映館:イヴェント・シネマズ(800人収容)
深川監督)シドニーにお招きいただきありがとうございます。
この映画は今年の5月に撮影をしました。そのときには、このシドニーの地で皆さんにご覧いただけるとは夢にも思いませんでした。今日は楽しんでください。
八千草薫)柴田トヨを演じた八千草薫です。オーストラリアは三度目で、パースに一度行き、シドニーは2回目です。
映画祭はベネチアやカンヌに行って以来(「蝶々夫人」以来58年ぶり)です。こちらでもこんなに大勢のお客様に迎えられて、とても嬉しく思っています。
皆さんに楽しんでいただけますように。
<上映後ティーチイン>
Q:八千草さんは、かなり長いキャリアがあって、市川崑監督や役所広司さんとも仕事をしていますが、日本映画界を振り返って今どのように思いますか?
(八千草)私が映画に出始めた頃はまだ10代で、その頃は戦争が終わったばかりで日本映画はとても人気があって皆に元気をくれていたように思います。その後テレビが出始めてやがて外国映画がたくさん輸入された時代がありましたが、今はまた本当の原点に戻り、日本映画が活力を持ち始めている気がします。
Q:監督はいつ柴田トヨの詩を知り、またいつ映画にしようと思ったのですか?
(深川)私は3年前にプロデューサーから読んでほしいといわれ、そこから映画化の企画が始まりました。トヨさんの詩を読んだ時はほかの詩人にはない特徴があると思いました。ひとつは、生活している姿が見えること。他の詩人のものは難しい言葉を使い、テクニックを使いますが、トヨさんの詩集は、彼女が見て聞き、生活していることが感じられる、不思議な詩だと思いました。私は彼女の人生を理解することが必要だと思い、プロデューサーを通じてトヨさんや息子の健一さんを取材しながら進めていきました。
Q:八千草さんへの質問です。(過去に共演した)三船敏郎さんの印象はどんなものでしたか?
(八千草)とても素敵な方でしたが、とても照れ屋でいらして、最初に映画に出られた時は撮影の仕事がしたかったそうなのですが、それが俳優の仕事をするようになったんだそうです。「宮本武蔵」でご一緒し、優しくて無口で、私もあまり話をしない方なので、二人で黙って座っていて、スタッフに笑われたことがありました。大好きな役者さんです。
Q:一番印象に残っているシーンは?
(深川)その時によって頭に浮かぶシーンは違いますが、ただし今回は脚本から書いているので、どのシーンにも強く思い入れがあります。今回はいろいろな時代が出てくるので、迷うことが多かったです。ただ、実際の柴田トヨさんが亡くなられた宝寿苑というところでトヨさんの出版記念パーティのシーンを撮り、トヨの笑顔のラストカットを撮ったときに、いろいろ迷ってきたのは、この笑顔を撮るためだったのだと教えられた気がしました。そのときこの映画が成功するという手応えを感じました。
(八千草)終わってみるといろいろなシーンがみんな懐かしく思い出されますが、健一(武田鉄矢)と詩を書きながらけんかするシーンは楽しくて好きでした。98歳の頃を演じているシーンは、年を取るとはこういう感じかしらと想像はしていましたが、演じてみるのは難しかったです。でもそれがトヨさんの出発点になったような気がして印象に残りました。