ジャッキー・ロビンソンなくして、野茂やイチローの登場なし。ほとんどの日本人が知らない“ヒーローになった男”の真実の物語『42〜世界を変えた男〜』(11月1日(金)公開)の公開を記念して、ジャッキー・ロビンソンの妻レイチェル・ロビンソン(91才)が本作の監督ブライアン・ヘルゲランドと共に57年ぶりに夫との思い出の地を訪ねた。
  
  本作は史上初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)と、ハリソン・フォード演じる、球団ドジャースのジェネラル・マネージャー ブランチ・リッキーを中心に、白人選手以外に開かれることのなかったメジャーリーグ界の堅牢な門戸をこじあけ、世界に本当の自由を示した男たちの真実のドラマ。

  舞台は1947年、ブルックリン・ドジャースのGMブランチ・リッキーは周囲の猛反対を押し切り、初の黒人メジャーリーガーとなる若者ジャッキー・ロンビンソンと契約。前人未到の道を切り開く。しかしジャッキーとブランチは一般大衆、マスコミ、さらに同チームの選手達からさえも執拗な糾弾を浴びることに。男たちの孤独で過酷な戦いが始まった。背番号「42」を背負ったジャッキーは並々ならぬ勇気と誇りで反撃しない自制心を貫き通し、彼の最高のプレーに、批判に満ちていたチームメイトやファンたちの心は、やがて1つになっていく。
  1997年、背番号「42」は全球団で初の共通の永久欠番になった。またジャッキーがドジャースで初出場した4月15日は、各球団の全選手が背番号「42」のユニフォームを身につける“ジャッキー・ロビンソン・デー”と制定された。
  
  今回、なぜロビンソン婦人が東京ドームへの表敬訪問を行ったのか? 主砲ジャッキー・ロビンソンを擁するブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)は1956年リーグ優勝を果たし日米野球で訪日し後楽園球場で巨人軍と対戦。後楽園球場でもホームランを放ったジャッキー・ロビンソンは全日本や巨人など計19試合、14勝4敗1分けと力を見せ付けた。その年の帰国後に引退を決めた彼が、プロ野球選手として最後にプレーしたのは実はここ日本なのだ。
  当時ジャッキー・ロビンソンと共に来日した婦人は57年ぶりに思い出の地を訪れたということを知ると、巨人軍・原監督は「僕もまだ生まれてない頃なんですよね!」と驚きつつも「Mr.ジャッキー・ロビンソンの奥様とお会いできるのは、大変光栄です。僕は彼のプレーはテレビでしか見たことがありませんけれども、メジャーリーグがこうして今あるのも彼のおかげ。彼は皆に尊敬されている大変な人物で、私も尊敬しています。」とコメント。
  ロビンソン婦人から思い出の場所を本拠地とする巨人軍のクライマックスシリーズ健闘を願い、背番号「42」のブルックリン・ドジャース ユニフォームが原監督へ贈られると「僕にとって、今日はジャッキー・ロビンソン・デーだね!」と大感激。原監督も映画『42〜世界を変えた男〜』を応援すべく原監督の背番号「88」の入った自身のユニフォームを婦人に贈り、健闘を誓い合った。明日からのクライマックスシリーズを控える原監督は「(クライマックスシリーズに先駆けて)今日はお会いできてよかったです。」とコメントしました。また、ロビンソン夫人から「明日(クライマックスシリーズ)、観に行きますよ。」と話されると、「必ず、勝利します!」とガッツポーズを見せ、勝利にかける意気込みを新たにした。

10月15日(火)  12:30〜13:00
会場:東京ドーム接見室 登壇者:レイチェル・ロビンソン、ブライアン・ヘルゲランド監督、原監督
   ※夫人と一緒に映っているのは実娘のシャロン・ロビンソンです
 
【原辰徳監督 コメント】
Mr.ジャッキー・ロビンソンの奥様とお会いできるのは、大変光栄です。
僕は彼のプレーはテレビでしか見たことがありませんけれども、メジャーリーグが今あるのも彼のおかげですし、彼は皆に尊敬されている大変な人物で、私も尊敬しています。メジャーリーガーとして、初めての黒人プレーヤーだったので、大変な苦労があったと思いますが、でもその功績は大変なものだったと思います。
(夫人からドジャースのユニフォームを手渡され)僕にとって、今日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」だね!
明日から、すごく大事な試合があるんですが、それに先駆けて今日はお会いできてよかったです。必ず、勝利します!
日本をエンジョイしてくださいね。映画が公開されたら、ちゃんとチケットを買って、映画館へ見に行こうと思います。
野球選手のみならず、どんな人が見ても共感できる良い映画だそうですね!楽しみです。