先の参院選で、無所属の新人で唯一当選して話題となっている山本太郎議員が初めて出演した原発を扱った映画である『朝日のあたる家』。

本映画に出てくるエピソードは全て福島で起こったことをベースにしていて、それをあえて福島ではなく、他の地域のひとつの家族に集約して描いており、わかりやすい、泣ける作品となっています。

5月のロサンゼルスの映画祭での上映では、アメリカ人が感動の涙を流し、6月29日、30日にロケ地である静岡県湖西市で行った完成披露上映会には、2日間で3000人の動員を達成したにもかかわらず、原発事故を扱った映画ということもあり、公開がなかなか決まらなかった。その旨を聞いた全国の有志の方たちを中心に、自主的にTwitterなどで署名活動が広まり、「ぜひうちの県でも!」というツイートだけでなく、各地の映画館に、「ぜひ上映してほしい」と直接直訴する有志の声が止まらず、東京での上映が決まった際には、Yahooのトップニュースになったほどです。その東京での上映に先駆けて、9月14日から豊川で上映が開始され、シネコンである豊川コロナシネマワールド始まって以来の満員札止めを記録! 9月28日(土)、満を持して東京で公開となりました!!

9月28日(土)初日舞台挨拶 2回目上映後 & 3回目上映前 @渋谷・アップリンク
登壇者:並樹史朗、斉藤とも子、平沢いずみ、橋本わかな、太田隆文監督

2回目上映後は、上映後ですすり泣きをされているお客さんが多数いる中の舞台挨拶で、それに感動し、撮影の時に感じた被災者の方々の辛さを思い出しながら話す出演者たちも、目を真っ赤にしての舞台挨拶となりました。福島での公開が発表された際は、会場中、割れんばかりの拍手となりました。

■映画のテーマについて

監督「原発の事故は題材であって、この映画は家族の物語で、こういった時に家族はどうあるべきか、何をするべきなのかを考えてほしい。」

並樹「僕は原発問題とか難しいことはわからなくて、『家族ってこうじゃないかな』と思って一生懸命演技しました。このお三方を家族だと思ってやっていた。それを守ろうとして守れない男の悔しさ、そんな気持ちで叫んだ。」

■原発事故に遭った家族の映画を作るにあたってどのような勉強をしたか

監督「この映画のエピソードは全部、僕が取材したり調べたり聞いたりした福島で本当に起こった話をベースに、ひとまとめにして、平田家に集約したので、リアリティーがないといけないということで、4人には、福島の人に会っていただき、原発事故を勉強して頂いた。」

斉藤「監督からDVDを何枚か渡され、『これ勉強してきてください』と言われた。全部で4時間位あったが、編集した監督がすごいと思ってグッときた。特番だけでなく、ニュースの間の2-3分のものも全部入れてあり、あれを見ると、色々な状況もわかるようになっていた。
現場に、福島原発で働いていた方がアドバイザーとしては入ってくださった。その方は福島から避難され、静岡の近くに住まれているのだけれど、その方に、防護服の着方や、この時こういうことをしているのはおかしくないかだとか、何かあるとすぐに確認しながら演じられた。」

監督「福島第一原発の吉田所長の下の下で働いていた方で、東電の様子もわかっているし、同時に被災者である。線量が高いので、一時帰宅は半年に一回。消防団でもあるので、皆を避難させる役割でもあった。あらゆる立場を知っている方。」

■山本太郎さん演じる光太郎と並樹史朗さん演じる父親の対峙シーンについて

父親役の並樹史朗さんを、義理の弟役の山本太郎さんが沖縄に避難するよう説得しようとするシーンについて。

監督「2人が向かい合ったまま、ワンシーンを、カットを割らずに、カメラ3台で、最初から最後まで通しで撮った。お茶やたばことかがあったら芝居しやすいが、全部なしで。」

並樹「太郎さんと撮影現場まで40分かかる道のりの中で交わした言葉がたった2言で、これはお互いに緊張感を持っていかなきゃいけないと思って辛かったが、今は国会議員になられました太郎さんに全てお委ねして、なんとか乗り切ることができました。」

監督「このシーンの撮影前の並木さんは怖くて、助監督が声掛けられない位だった。太郎さんが前の日に『監督、ちょっとせりふ増やしてもいいですか』と言ってきて、『いいよ、見せてもらえますか』と言ったら、ぶわーっと書いてある。『セシウムが…、プルトニウムが・・・、要素が・・・』と自分が勉強したことが全部書いてあった。『全部OKなので、言ってください』と言った。並木さんも知らないとやりづらいが、助監督は、並樹さんが入り込んでいて怖くて言えなかった。並樹さんに見せて、『困ります』と言われたら撮影できないが、並木さんは『構いません』と言ってくれた。”ザ・役者”だと思った。あのシーンは本当に真剣勝負だった。」

■一時帰宅のシーンについて

斉藤「自分たちが長く住んできた愛する家がぐちゃぐちゃに荒らされているシーン。自分と役の境がなくなっていたので、すごく辛かった。いずみちゃんが一人になって気持ちを作って準備しているのがわかったし、監督から『(平沢演じる)茜に任せて一発本番で行く』と言われていた。」

平沢「(斉藤のアドリブは)母親の言葉になっていた。お母さんだったらこういうことを言うんだろうなと思う。言葉が汚くなっていても、それが逆に説得力があった。こういうときにはきれいな言葉なんて絶対出ないなと思った」

斉藤「言ってしまったあとびっくりした。『逃げなきゃ死ぬの!』と言ったが、本当に死ぬとかいう意味ではなく、母親は逃げない娘がいると、言ってしまう。以前、事実のフィルムを見せて頂いていた。その言葉はないが『帰りたくない』と言っている娘をひっぱたく母がいた。そうなるんだなというのが、やってわかった。そのことがせつなくてせつなくて、カットと言われた後2人で大泣きした。」

平沢「本当はリハーサルで様子を見てから現場に入るが、初めて見た時に自分の家が荒らされているというのを目の当たりにしたかったので、監督に無理を言ってリハーサルも見ないで、部屋の状況も撮影をする時に初めて見るという形をとってもらって、より感情を入れやすくしてもらった。自分が大事にしていたものが他人に荒らされていたり、避難したのに、それを逆手にとって悪いことをしてくる人がいたというのは本当にあったドキュメンタリーからもらった話だったので、実際にニュースで見たりして、この女の子はどんな気持ちだったのか考えて撮影に挑んだ。」

■山本太郎さん演じる光太郎伯父さんが病院に見舞いにくるシーンについて

監督「リハーサルで、スタッフもみんな泣いてしまった。太郎さんの芝居は、せりふでなく、本気。『長生きせーや』というのは彼のメッセージであり、思い。それを僕が台詞にさせて頂いた。照明部や撮影部は、『(現場は)助手に任せますから』とスタッフが隠れて泣いていた程の名演技であり、福島の人たちの体験である。」

橋本「リハで、太郎さんが『軽めでいけよ。70%でやれ』っておっしゃられて、『わかりました』と言ったのに、太郎さんの言葉ひとつひとつがズシーンときて、涙が止まらなく、本番じゃないのに大泣きしちゃって、目も耳も真っ赤になっちゃった。本番前に涙を出し切っちゃったみたいで、太郎さんに『お前100%いってどないすんねん。言うたやろ、100でいけって』と注意された。」

■福島県福島市の福島フォーラムでの上映が決まったことが発表された

監督「福島の方々にこちらから『見てください』とは言いづらいものがあるが、支配人の方から、『これは福島で見るべき映画です。ですからやらせてください』と連絡があった。福島以外の私達がこの映画を見て、『彼らの身に起こったのはこういうことだったんだ』ということを考えたり、原発に興味ない人、福島のことを忘れてしまった人たちに紹介して頂いて、広げていければいいなと思っています。」