薄曇りから晴れ間が広がったものの気温が低く、肌寒い1日となった映画祭終盤の25日。“カンヌ・クラシック”部門には、キム・ノヴァクが来場したアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958年)とルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960年)が登場。
 また、併行部門の“監督週間”と公式部門第2カテゴリーである“ある視点”部門は本日で閉幕となり、国際批評家連盟賞も発表された。


☆国際批評家連盟賞(FIPRESCI)受賞結果

●コンペティション部門:『ブルー・イズ・ザ・ウォーメスト・カラー』アブデラティフ・ケシシュ監督(フランス)
●ある視点部門:『マニュスクリプツ・ドント・バーン』モハマッド・ラスロフ監督(イラン)
●監督&批評家週間部門:監督週間上映作『ブルー・ルーイン』ジェレミー・ソーニア監督(アメリカ)


◆カンボジアのリティー・パニュ監督の『ザ・ミッシング・ピクチャー』が、“ある視点賞”を獲得!

 今回、全23作品が上映された“ある視点”部門のアワード・セレモニーが、19時15分から映画祭ディレクターのティエリー・フレモーの司会によりドビュッシー・ホールで催された。今年、この部門の最高賞である“ある視点賞”に輝いたのはリティー・パニュ監督の『ザ・ミッシング・ピクチャー』。この作品はカンボジアのプノンペン出身のリティー・パニュ監督が、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権下で迫害を受けた自らの体験をベースにして、当時、過酷な仕打ちを受けた人々の姿をクレイメーションで再現して描いた渾身作。
 審査員賞は占領下のパレスチナを舞台に、自由を求める闘いの中で傷ついていく若者たちの姿をビビットに描いたハニ・アブ=アサド監督の『オマール』が獲得。
 フランスのアラン・ギロディ監督が監督賞を受賞した『ストレンジャー・バイ・ザ・レイク』は、湖畔のヌーディストビーチで起きた殺人事件を目撃した青年が犯人の男に恋をしてしまうゲイ・ムービーの怪作だ。
 例年は授賞式の後に、クロージング作品の舞台挨拶と上映が行われていたのだが、今年は該当作品がなく、授賞式の終了をもって閉幕した。


☆“ある視点”部門受賞結果

●ある視点賞
『ザ・ミッシング・ピクチャー』リティー・パニュ監督(カンボジア/フランス)
●審査員賞
『オマール』ハニ・アブ=アサド監督(パレスチナ)
●監督賞
アラン・ギロディ『ストレンジャー・バイ・ザ・レイク』(フランス)
●ある才能賞
ディエゴ・ケマダ=ディエス監督作『金の檻』(メキシコ/スペイン)のアンサンブル・キャストに対して
●未来賞
『フルートヴァル・ステーション』ライアン・クーグラー監督(アメリカ) 


◆“カンヌ・クラシック”部門の掉尾を飾った『太陽がいっぱい』の上映では、アラン・ドロンが舞台挨拶!

 『禁じられた遊び』等で知られるフランスの名匠ルネ・クレマン監督の生誕100周年を記念し、画質を最新技術で修復した『太陽がいっぱい』の復元版が、“カンヌ・クラシック”部門の掉尾を飾り、21時15分より上映された。
 この“カンヌ・クラシック”部門は、〈カンヌ国際映画祭便り15〉でお伝えした通り、世界的な名作映画を甦らせて上映し、作品にゆかりのある人物がゲストとして招かれて舞台挨拶を行う映画祭のオフィシャル部門で、今年は全24作品が登場。通常は中規模会場のブニュエル、もしくは60周年記念ホールで上映されるのだが、この度は、2会場よりも収容人数の多いドビュッシー・ホールでの上映とあいなった。
 フランス・イタリア合作の『太陽がいっぱい』は、パトリシア・ハイスミスの小説をルネ・クレマン監督が共同脚色して映画化。金持ちの道楽息子フィリップ(モーリス・ロネ)の父親に頼まれ、彼を連れ戻すためにナポリを訪れた野心家の貧しい青年トム・リプリー(アラン・ドロン)が、邪険に扱われた末に企んだ完全犯罪の顛末を描いた青春サスペンス映画(撮影は名手アンリ・ドカエで、映画音楽の巨匠ニーノ・ロータによる甘美なテーマ曲は超有名!)で、トムが恋心を抱くマルジュを演じたマリー・ラフォレも脚光を浴びた不朽の名作だ。
 で、今回、ゲストとして来場したアラン・ドロンを待ち受けていたのは、“満員御礼”状態となった会場の大半を占める年配女性客の黄色い大歓声だった。今だ衰えぬスターのオーラをまき散らしながら舞台挨拶し、自身の出世作を滔々と紹介したアラン・ドロンは、上映後にも再び登壇。会場を後にして車に乗り込むまで黒山の人だかりに囲まれていた。
(記事構成:Y. KIKKA)