映画『わが母の記』で、ベルイマン『処女の泉』にオマージュを捧げ、出演の役所広司、宮崎あおいさんにもベルイマン作品を観せたという原田眞人監督。
現役映画監督が語る「名匠・ベルイマン」から受けた影響と、その映画術とは…!?

  ■ 日時:8月7日(水) 18:30〜19:00 ■ 場所:ユーロスペース
  ■ 登壇者:原田眞人(はらだ・まさと)監督

原田眞人監督
僕は、本格的にベルイマンを好きになったのは2010年からなんです。『処女の泉』を高校生の時、銀座の並木座で観ているのですが、その当時は「映画をやるならベルイマンを観ておかなきゃ」と義務的に観ていて、面白いと思ったことなんて一度もなかった(笑)。それが50歳を過ぎてから、『わが母の記』の原作の井上靖先生の小説を読んで、そこから小津安二郎監督作品や、イングマール・ベルイマン監督作品へと興味がつながっていきました。二人とも「母親への愛」が強いことで共通していて、母親の影響が作品に様々な形で現れている。名監督の中で、最も母の影響が強い三大監督は「小津安二郎、イングマール・ベルイマン、アルフレッド・ヒッチコック」なんですよ。そして自分自身も、映画を観始めたのは実は母親の影響なんですね。ずっと「母もの」の映画への思いが強くあって、いざ自分で『わが母の記』を撮るとなった時に、同じく母親への愛が深いイングマール・ベルイマンへのオマージュを入れたのです。

『わが母の記』では、ベルイマンの『処女の泉』を観に行った娘の宮崎あおいさんに、父親の役所広司さんが「ピンク映画なんて観に行きおって!」と怒りますが、実はその当時、『処女の泉』は成人映画指定だったんですね。
その頃僕は中学生で、「処女」と聞いただけで興奮してしまう年頃だったので、「どんな映画かな、観に行きたいな」と妄想していて(笑)そんな記憶をエピソードに盛り込みました。
『わが母の記』の、家族のことを書いてしまう作家の父親と、そんな父を告発する娘は、実はベルイマン作品の『鏡の中にある如く』の父娘の関係を使っているんですね。なので、小物にもこだわって『鏡の中にある如く』で作家である父親が使っているのと全く同じランプを、わざわざ海外から取り寄せて使いました。スウェーデンではもう作ってなくて、アメリカから取り寄せて。宮崎あおいさんには、父親である役所さんのことを、父ではなく、ある種男として見つめる目を養ってもらうために、『鏡の中にある如く』のハリエット・アンデションの演技を参考にしてもらいましたね。
そうしたベルイマンへの思いは、『わが母の記』のスタッフ、キャスト全員で共有していましたね。

ベルイマンの作品は、僕も若いころは難解だと思っていたのですが、彼の生き様を学んでいくと、とてもわかりやすいし面白いんです。5回結婚して3人愛人がいて、その奥さんとか愛人との葛藤が、全部映画に投影されている(笑)『ファニーとアレクサンデル』では、母親の違う9人の子供全部に、出演しないかって声をかけてるんですよ!自分の恋愛の集大成が、あの映画に反映されている。「難解」などと言われながら、実はすごく人間的な監督ですよね。
ベルイマンを語る時は、こうやって声を大きくして、それぞれの思いを話していった方が、次の表現につながると思うんです。映画に必要な二つの要素「メタファー」と「アンビバレンツ」が、ベルイマン作品には全部見事に使われている。1つの作品で使われた要素が、また別の作品につながっていたりして、次から次へと面白さが転がっていく楽しみがありますね。
ベルイマンのことは愛情をもって話せるし、好きで好きでしょうがないです。そして、今回のデジタルリマスター上映で改めてわかったのですが、モノクロ作品は、画面が美しくないと集中できない。とにかく映像のいいものを観てほしいですね。