今回会場となる日本外国特派員協会は、1945年11月、GHQマッカーサー元帥の命令によって、連合国、中立国の記者、ジャーナリスト向けのプレスクラブとして設立され現在に至る歴史ある団体。

海外記者からの注目度も高く、外国特派員協会に所属する記者をはじめ、総勢180名が集まり、敵として争いあったアメリカ人と日本人は、今から68年前、マッカーサー率いるGHQの占領下の日本でお互いどう向き合ったのか?そして、海外メディアは「終戦のエンペラー」をどう捉えるのか?様々な質問が飛び交い、会見は大盛況となりました。

<会見 概要>

【日時】7月25日(木) 20:55〜
【場所】日本外国特派員協会 
【登壇者】奈良橋陽子、野村祐人 プロデューサー

<会見内容>
●Q:
昭和天皇を描くことにプレッシャーは感じませんでしたか?

●奈良橋陽子さん:
今までは、天皇を描くときは、後ろ姿だけだったり、指先だけだったりという描き方をしていたかと思います。周りからは心配されることもありましたが、この映画は作られるべき映画だと思ったので、決断をしました。

●Q:
マッカーサーは言い換えれば、日本人にとっては恩人ですし、まさしく彼こそ「ザ・エンペラー」という存在に近かったと思います。
どうしてこの映画の中では、ユニークというか、人間味溢れるような描かれ方をしているのですか?

●奈良橋陽子さん:
史実として様々な情報が残っていますが、日本人から見るマッカーサー像というのはそれぞれ違うと思います。ただ、私たちはマッカーサーを一面的に描きたくなかった。あらゆる情報をもとに、多面的に描きたかったのです。

●Q:
この映画にラブストーリ−の部分は必要でしたか?

●奈良橋陽子さん:
フェラーズが通っていた大学に、1911年から日本人の女性が5年間留学していた記録が残っていて、その彼女と交流があったフェラーズは、日本のことを色々と学んでいました。また、フェラーズ自身も5回ほど日本に来ているという記録も残っています。フェラーズは、毎回日本に来る度、「友人に会いに行く」と言っていたそうです。
また、フェラーズが、その日本人女性に出した文通の書面も残っていました。
それを、私も読んだとき、「恋心があるのではないか」と推察しました。
実際は、そこに恋があったかは分からないですが、彼女との交流が、フェラーズの見識を手伝ったと思いますし、最後の決断にも影響を及ぼしたと思います。

●Q:
プロデューサーとして、こうした実話を基にした作品を手掛ける場合、フィクションは何パーセントくらい入れるべきだと思いますか?

●奈良橋陽子さん:
この作品は、ほとんどを事実に基づいて作りました。
決して、一つの事柄だけを描いて、作品を盛り上げる気はありません。

●Q:
フェラーズはクエーカー派の大学に通っていたかと思います。
今回この作品の中では、そのことには全く触れられていない
と思いますが、どうしてですか?

●奈良橋陽子さん:
確かにフェラーズは、クエーカー派の大学に通っていましたが、彼の宗教や思想と物語は全く関係なく、クエーカーだからといって、あのような決断をしたのではないと思います。

●Q:
プロデューサーとしてクリエイティブの部分にはどのくらい意見したり、関わったりするのでしょうか。

●野村祐人さん:
プロデューサーとして、企画段階の当初から携わっていていて、アメリカ人の脚本家と一緒に2年間で脚本を作りました。
そして、監督には、全体のバランスを取るために、イギリス人であるピーターに頼みました。
自分たちの意見を言ってきましたし、この映画におけるメッセージは、「平和の継続」、そして近年日本でも災害など色々な事が起きていますが、「日本の復興」というのもテーマでした。終戦から続いている平和がいかに大切か、そういうことを伝えたかった。

このように、僕らともう一人のプロデューサーのゲイリー、そして監督のピーターの4人で話合いながら作っていきました。
トミーも、「鼻やカツラを付けようか?」とまで言ってくれたんです。
でも、見かけではなくて、僕らはエッセンスを入れてほしかったから、「必要ない」と言ったんです。

脚本については、当初は2種類の脚本がありました。史実の脚本、そしてもう1つはアヤのラブストーリーをメインにした脚本。
そうして、僕たちがやったのは、“いかにアヤのストーリーの部分を史実に入れられるか”というところで、パズルのように組み合わせていきました。

あとは、この映画に関わった全員が同じビジョンを持っていたんですね。
今回は、GOODではなくて、GREATにしたかったんです。

●Q:
映画の中で、大使館まで行く焼け野原の道を車で走ってるシーンが
ありますが、実際の大使館までの道は、あんな風ではなかったんじゃ
ないかとも思ったんですが・・・。

●奈良橋陽子さん:
以前に92歳のある女性とお会いして、この映画を観てもらいました。
その方は、実は、当時、戦犯の弁護士の通訳をしていた女性だったんですが、その女性は、「この通りだった」と言ってくれました。

●Q:
映画の台詞の中にもりましたが、日本側は天皇制を存続させるということを条件に降伏したけど、結局は無条件降伏だったんじゃないでしょうか?

●奈良橋陽子さん:
色んな情報を調べたけど、当時の記述は焼けてしまって今は残っていませんでした。よって、個人が残しているダイアリーを調べるしかなかった。ただ、多くの人が「こうだったろう」と推測の記述を残していることもあるので、そこは気をつけなくてはいけないですね。

●Q:
この映画のテーマは「平和」だということでしたが、もう少し詳しく聞かせていただけますか?それと、この映画にも出てくる奈良橋さんのお祖父さま関屋貞三郎のお話も聞かせて下さい。

●奈良橋陽子さん:
昔、侍の舞台劇をやっていたとき、四国に行ったことがあったんですが、あの四国にある坂本竜馬の銅像の維持に、偶然にも私の祖父も関わっていました。今回は、昔聞いた祖父や終戦直後の話が種となって、背中をぽんと押され、映画を作る後押しとなった気がします。
四国での出来事もそうですが、私は祖父に導かれているんだなと常々感じています。

以上。