《上映後トーク》

中井:初めて観た方もいらっしゃったかと思いますが。面白かったですか?(会場全員、拍手喝采)

松崎:(上映前にトークした「日本人は右利きが多いから目線を右に寄せる」小津の撮り方について)セットの構造上、登場人物が画面の「左」から出てこなきゃいけないこともあるんだけど、基本的には右に入るように撮っているんです。ただ、左から人物が登場してきたときに、次に何が起こるかに注目していただきたいんです。これは不穏なことが起きる予兆なんですよね。

中井:意図的に左から人物を登場させることをやっているんですよね。

松崎:この映画ですごく重要なのは、後半ではおばあさんが欠け、主人公が「孤独感」に苛まれること。観客はどこでそれを感じ取るかというと、前半と後半に同じカットが出てくる家のシーンで、「おばあさんが欠けてしまったこと」を予感させるために、左から人物が登場するんです。死亡フラグというのがありますが不穏感を出しているんですね。基本は右寄りの画なんだけど、左から入ってくるシーンには何か意味があるんじゃないか、と小津さんの演出について考えて観てみると面白いですよね。

中井:その他、小津調の話でいうと、画面が割と動かないですよね。

松居:2カットだけ画面が止まらないシーンがあるんですよね。その後は画面は動かないので小津監督の狙いなのかな、と。また、熱海のシーンぐらいから老夫婦の動きが揃わなくなるんですよね。最初は立つ動作でさえすごく合っていたのに。そのような撮り方はすごく伝わってくるものがありますね。

中井:小津監督の初期作品を観ても「小津調」みたいなものはなく、中期以降に『東京物語』のような表現の豊かさが出来ている。右と左からの入りもそうですが、画面が固定になってるがゆえ、アクション1つ1つが、それ以上の意味を持っていると思わせる、それが小津作品ですよね。最近の邦画を観ている人からすると、『東京物語』は間が多いと思うかもしれません。でも、観終わったあとにその行間を自分で埋めている感覚を味わえるところがスゴいですよね。『東京物語』は世界的に評価されていますが、日本のことをよく知らなくとも、国や文化が違えど、観た人それぞれが行間を埋められる強さが、本作の強さに繋がっていると思うんです。

松居:また、おばあさんが危篤状態のとき、何も言えないお父さんの方に気持ちがもっていかれますよね。世界観に巻き込まれているような気がします。

松崎:悲しい場面を撮るときに、泣いてる人の顔を撮ったら簡単ですよね。お葬式に言ったとき、悲しいからこそ涙をこらえている人を見た時に、気持ちを汲み取ってこちらも泣いてしまうこともあります。そこにはもっと強い感情が生まれるんですよね。

中井:小津監督は観客をとても信頼していると感じます。10伝えたいことを、7伝えることで、後は観客が埋めてくれるという信頼感を残す方が、観ている側はとても芳醇な気持ちになると思うんです。

松崎:またこの映画は「俳優の映画」でもあります。笠智衆はこの時49歳ですが、七十数歳の役を演じているんです。その後、『男はつらいよ』で、寅さんをしかる住職を演じていたりするんですが、全然違うんですよね。また、紀子役の原節子さんは、50歳以上の人にとったらすごい人気女優で、海外からも映画を撮りたいと言われていました。彼女は今93歳なのですが「永遠の処女」と言われているんです。その理由は、結婚していなのが1つ。『東京物語』から10年後の1963年以降、公の場に出ていないんですが、今どうしているか誰も分からないんです。彼女がなぜそんな生き方をしているか?いろんな情報があります。小津がなくなったのは1963年。小津のお通夜に出席されたのが公の場で見た原節子さんの最後と言われています。その後、引退したのですが、実は小津も生涯独身。「無」と書かれている小津のお墓は鎌倉にありますが、鎌倉に移ったのは、『東京物語』を撮った後、お母さんと住むためだったそうです。そして、同じく原さんも今、鎌倉に住んでいるんです。みんな『東京物語』の原節子しか知らない。そのイメージのために、自分の人生を捨てたのかもしれないな、という話があります。そういう女優さんがいるということを思って、是非、他の作品も観てみてください。

松居:『東京物語』で一番感情移入してしまうのは、この家族を俯瞰で観ているお父さんかな。実際自分は、実家に帰省したときおばあちゃんに冷たくしてしまったりとか、本作でいえば子ども目線の方なんですけど、ないがしろにされているお父さんの方に感情移入をしてしまいます。

松崎:原節子が「私ずるいんです」と言い、お父さんが「あんた良い人だよ」というシーンは名場面。夫を亡くした後に、つつましく独り身で過ごしている人生は原さん自身の人生と重なる部分があって、映画ファンとしてはそこを観てしまいますね。もし自分が本作と同じ状況に陥ったら、「自分は良い子ぶっている」と思いながらやってしまうと思うのですが、本作はそこを正直に描いていると思います。自分もこの映画の子どもたちのように意地悪を言ってしまうだろうな、と。

中井:年齢や境遇によって、視点が変わるなと思う映画です。今日からまた10年後に『東京物語』を観た時に、多分、視点が変わっているだろうな、と。小津監督の撮り方も十分関係があると思います。人物に寄るのは感情に寄るという作り手の意図を踏まえた撮り方もありますが、『東京物語』にはそこがない。引きやバストアップがほとんど。小津が我々をどこに連れて行こうとしているのか。フリーハンドで観客に預けていると感じます。何のために寄ってないのか、ということも含めて、論理的に観て感じることが多かったですね。

松崎:地方から上京することは今では普通だけど、当時まだ核家族などと言われていないところで、実際にこういうことが今東京では起こっているんだと取り上げたのがスゴイな、と。アメリカではこのころ『ローマの休日』がつくられていますが、一方で日本では『東京物語』という世界が受け入れられる映画を日本でもつくっていたのがすごいですよね。

中井:小津作品は、テーマ自体も反復していますよね。

松崎:小津は新しいものを映画に取入れています。東京駅の時刻表や、スナックのようなもの、流しの歌など、新しいものを取入れていました。でも、重要なのは、変わらぬ道徳心ですよね。また、小津の戦前の作品は、とっても主観的で、当時海外では賞をとっていませんでした。すでに海外で賞をとっていた先輩の溝口健二や、後輩の黒澤明と同じことやってもダメだと思い、「自分はこうである」というフォーマットをつくり、そこから同じようなテーマ、題材で映画をつくっていったのでは、と。芸術性、作家性を自ら高め、先輩・後輩には負けないぞ、と。63年に亡くなってしまったけど、もう少し撮りたかったのではないかな。もう少し生きてたら、マイケル・ベイみたいなカメラ回しをやってたかもね(笑)

中井:スローでぐるぐるまわる小津は見たくないですけどね(笑)ちなみに、作家性といえば、松居監督は作家性をどう考えますか?

松居:『アフロ田中』、『男子高校生の日常』など、モテない男子の映画ばかりを撮ってきたからか、よく「バカ男子が好きな人」と勘違いされるんです。実際好きなんだけど、大事なのは自分は笑いが好きとかではなく、すごく切ないものが好きなんです。僕はチャップリンが好きなんですが、くだらないことをやっているのに切なさがある。観てる人によっては、笑えたり泣けたりする、その人と同じ目線のものが作れたらな、と。一個の感情を煽らないものが好きです。

松崎:今回のナカメキノで、白黒の映画でも2時間くらいの映画は観れるものなんだな、と感じてくれたんじゃないかなと。これからも観れると思った人?(ほとんどの人が挙手)

中井:白黒でもカラーでもダメなものはダメなんですよね。でも60年経っても、今まで語り継がれている作品にはそれなりの強度がある。時間の経過によってちゃんとフィルタリングされて残っているものは、みなさんが2時間かけてみても良い作品だと思います。

松崎:名作100本という本でも買ってもっと映画を観てみようと思ってもらえるのでは。今はレンタルビデオで観られるのだから、何かが入り口になって観出すと、実際観れるんだということが分かる。それで過去作をたくさん観てもらえたら嬉しいです。原節子さんは今観ても美しいですよね。そして、こういう女優さんがいたなと思ってまた色々と観て欲しいです。白黒だから『ローマの休日』を今まで観たことが無かった人も、今日の上映を機会に観てもらえたら嬉しい。『ローマの休日』『風と共に去りぬ』は映画好きなら是非観て!

松居:白黒映画だったら『街の灯』を観てね。しかし、本当にナカメキノのイベントが素晴らしいと思いました!映画館じゃなく、こんな空間で映画を観て、こんなに若い方が来て、っていうのがすごく素晴らしい。映画は大丈夫だ、と思いました。これからもナカメキノ、続けて欲しいです。

松崎:初めて白黒映画を観た人も、ここで観たことを忘れないと思う。

中井:僕は白黒だったら『第三の男』を観てほしいな、と。今回のナカメキノはみなさんの反応がとても気になったのですが、勇気をもらいました。すてたもんじゃないと思いました。本当にありがたいと思いました。