「AKIRA」から25年—「スチームボーイ」から9年—稀代の映像作家である大友克洋による作品を筆頭に、日本のアニメーションの最先端にあり、その先にありうる表現の方向性を模索しているトップクリエイターたちが結集したアニメーション映画「SHORT PEACE」(7/20公開)。本日、「Meet the Filmmaker」と題しまして、4監督によるトークセッションをApple Store, Ginzaにて実施いたしました。
  
■日時:6月22日(金)14:00〜15:00 
■場所:Apple Store, Ginza
■登壇者: 大友克洋  「火要鎮」監督
      森田修平  「九十九」監督
      安藤裕章  「GAMBO」監督
      カトキハジメ「武器よさらば」監督

Q:森田監督、安藤監督、カトキ監督にとっての「大友作品の原点」、「大友さんとの出会い」をお聞かせください。

森田:僕は78年生まれで、88年には『AKIRA』が劇場公開され、学生の頃は『迷宮物語』や「ロボットカーニバル」にハマり、そこから映像の道を志したので、今回の作品に関われたことは本当にうれしいです。「FREEDOM」で監督をやらせてもらったときに、大友さんが隣でずっと画を描いていて、「どれがいい?」と言われたことがいまも印象に残っています。

安藤:当時、私はマッキントッシュをセールスするためにアニメスタジオを出入りしていたら、スタジオ内でずいぶん楽しそうに話している愉快な人がいるなと思ったら、それが大友さんでした。

大友:日本のアニメでは『MEMORIES』ではじめてコンピュータを使ったんじゃないかな。当時、アメリカではすでにやってたんで、日本だってやってできないことはないと。

カトキ:79年に発売された「ハイウェイスター」と「ショート・ピース」が本屋で平積みされていたのが最初の出会い。そこから漫画を読み始め、その後に画を描くきっかけになりました。79年といえば「機動戦士ガンダム」がはじめてテレビで放送された年でもあるので、そう考えると79年はすごい年だったんだねと思います。

Q:大友監督『火要鎮』のコンセプトやこだわったポイントを教えてください。

大友:10分くらいの短編を作るという話になったとき、最初から日本っぽいものがいいかなという気があって、だったら時代劇ものをやろうと。絵巻物のようにしたかったので、コマが縦に並んでいる通常の絵コンテ用紙は使わずに、B4のコピー用紙を横にして絵コンテを描きました。その後キャラクターデザインも描きましたが、自分としてはしっくりこなかったので他の人に頼みました。自分がそのまま描いていたら、もっと浮世絵っぽくなっていたと思います。
火消しの群衆をCGで作りましたが、今のように腕を振って走るのは明治以降の走り方だと知り、では当時はどういう走り方だったんだということで、スタッフみんなでモップを持って青梅街道を走りましたよ。

Q:森田監督『九十九』のコンセプトやこだわったポイントを教えてください。

森田:ものにまつわる話、民話、昔話など、じわじわくる面白さがある作品を作りたいと思っていたときに、タイミングよく立体造形作家の岸啓介さんとつながり、ご一緒することができました。

Q:安藤監督『GAMBO』のコンセプトやこだわったポイントを教えてください。

安藤:もともと石井克人さんの企画の「熊vs鬼」という図式があり、それをいかに膨らませていくかという作業でした。アニメというよりも、絵画調の質感を出す方向でつくりました。

Q:カトキ監督『武器よさらば』のコンセプトやこだわったポイントを教えてください。

カトキ:この作品は大友さんの漫画が原作になっているのですが、当時、この漫画を読んだ人はすごい衝撃を受けているはずで、その衝撃をいまの若い人たちにも伝えたい、そのためには原作そのままにやるのではなく、原作のスピリットは継承しながらも表現を変えて作ったほうがよいのでは、という思いでつくりました。