もしかして「崩れ落ちる兵士」の写真のまわりにいた兵士たちはその後、全員いなくなってしまったのかもしれない。
『メキシカン・スーツケース』を観て、スペイン内戦のその後について改めて考えました。

ロバート・キャパの失われたネガを巡る映画『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』が2013年8月24日(土)よりいよいよ日本公開されます。

それに先立ちまして、ロバート・キャパの設立した写真家集団マグナム・フォトの東京支社主宰による『メキシカン・スーツケース』先行プレミアイベントが、6月18日(火)に新宿シネマカリテにて開催されました。当日は本映画の先行上映に加えて、「ロバート・キャパ最期の日」の著者でもあるカメラマンの横木安良夫さんによるトークセッションもございました。

横木さんは、この映画を観るのはこの日で3回目だったといいます。映画を観た最初の印象は、情報量の非常に多い映画だと感じたとのことでした。もちろんロバート・キャパの失われたネガを巡る物語でることは分かる、しかし観ていくなかで、同時にスペイン内戦の重い現実を描いている映画であることが分かり、軽い気分で登壇して話すことできないな、と思ったそうです。

「ロバート・キャパのことはずっと関心を持ち続けて、調べてもいました。
キャパはスペイン内戦中のに撮った数多くの写真と、中でも最も有名な<崩れ落ちる兵士>を撮って一躍有名になる訳ですが、その後はアメリカに行ったり他の場所で活動を続けていたので、そこまで、その後のスペインについては改めて考えてみることがあまりなかった」

キャパはその写真を撮った時は若干22歳、ハンガリーから難民としてドイツに行き、写真を学びます。しかしその時ドイツはナチスの支配下。そこから逃げるようにパリに行くのですが、その時のキャパは英語もフランス語も喋れず、ドイツ語も片言の状態だったといいます。そんな状況下で食べていくために、写真を仕事として始めます。ちょうどその頃、ゲルダという女性と知り合い、一緒にスペインに行き、内戦の写真を撮りに赴くことになる。当時の若者キャパの様子を、横木さんの愛情溢れる語り口で、生き生きとお話されました。

その後、日本に来日した時のキャパのこと、そしてそのままベトナムに赴き、地雷を踏んで死ぬことになるキャパが撮った最後の写真について。最後に撮った写真が「自身が地雷を踏んで死んだ場所」をおさめていたこと、その時にキャパが感じでいたであろう感情や想いを横木さんの解釈でお話されました。そうして、キャパの半生をかけ足で追った後に改めて映画のお話に戻ります。

「映画を観て、スペイン内戦の禍根が今も残っていることに改めて思いを馳せました。
75年間の歳月を経て、日の目をみることになった4500枚ものネガ。
それは封印されていた記憶があったことを教えてくれます。もしかしたら、そのことは近くにいた少数の人達は知っていたのかもしれない。
あるいは、あのあまりに有名な一枚の写真<崩れ落ちる兵士>が撮られた時には、一緒に演習をしていたと思われる沢 山の兵士たちが、他の写真にも写っています。
しかし、その兵士たちは一体どこにいってしまったのだろうと思いました。この写真の真偽について、今もずっと語られ続けている謎の部分があります。それにも関わらず、そこで写真を撮っていた姿をみていたはずの、あの沢山の兵士のうちの誰も名乗りを上げないのはどうしてなのだろう?
もしかしたら、彼らは難民としてメキシコに逃れたり、あるいは内戦後に処刑されてしまったりしていたのでないか?そんなふうに彼らのその後に思いを巡らせてしまいました。」

横木さんの仰る通り、ロバート・キャパの撮った「崩れ落ちる兵士」はジャーナリズムのイコンとして一躍キャパの名を有名にし、その写真については今でも様々なことが語られ続けています。しかし、その写真が映し出した後の歴史、スペイン内戦の現在に至るまで封印された記憶があるというこの映画の切実な思いを、改めて横木さんのお話を通し、感じました。

最後にマグナム・フォト東京支社の小川潤子さんから、本年はロバート・キャパ生誕100年ということでキャパの写真展や他のイベントなども現在、企画中であることをお話しされました。この機会にロバート・キャパ、そしてスペイン内戦について改めて深く知る機会になればと思います。