浅野さん:
私は病気を乗り越えて生き残った事を誇りに思っていますが、マリアさんはどう思いますか?

マリアさん:
震災前は「できない」という言葉をよく言っていましたが、震災後、私たちの家族は「できない」と言わないようにしようと決めました。

大谷さん:
津波では家族を亡くしている人もたくさんいますが、助かった人の中には「自分だけ助かって良かったのか?」
という思いに苦しんでいる人もいます。その心のケアはこれからどうしたらよいでしょうか?

槙島さん:
親を亡くすと過去をなくす、パートナーを亡くすと現在をなくす、子供をなくすと未来をなくすと言われています。
震災では家族を失った方もたくさんいらっしゃいます。そんな中で、自分だけ生き残る事に罪悪感を感じる人も、自分だけとり残されたと感じる人もいます。
そんな人を支えるシステムや家族が必要になります。
ストレスは誰もが受ける事です。そこから生まれる色々な症状、時にはおかしくなってしまったのではないかと思うような症状もありますが、それですら当たり前の症状、異常な事に対する正常な反応なのだという事と、罪悪感を感じたり、取り残されたように感じるのも当たり前の反応なのだと、自分で言い聞かせる事が大事です。
その中でそこから抜け出していく努力が必要になってくると思います。

大谷さん:
今東日本で一番必要な事はなんでしょう?

槙島さん:
震災の直接的なストレスの影響と仮設住宅暮らしのような生活からくるストレスの両方に対応しなくてはいけません。
一人一人をサポートするという事ではなく、お互いに助け合って、自分で立ち上がる為の持続的なサポートが必要になってくると思います。

大谷さん:
マリアさんから日本の皆さんへメッセージをお願いします。

マリアさん:
私は被災後、何故私たちが生き残ったのかずっと問い続けていました。
でもある日、息子のサイモンに「何故そんな答えのない質問を繰り返しているの?」と言われ、「考えても意味がない」と気づき心が楽になりました。息子の答えが一番の答えでした。
どうでもいい事に時間を費やすのは嫌ですし、これからベストを尽くして、皆さんに経験を伝えていく事が重要だと思っています。

【登壇者プロフィール】
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■マリア・ベロン(本作主人公のモデル)

1965年10月11日、スペイン・マドリッド生まれ。現在47歳。
バルセロナ自治大学・一般診療科を卒業し、メキシコシティで3年間
心理療法士として活躍。夫キケの仕事の都合で日本・横浜に住んでおり、
被災時は子育てのため休職していた。

自身の体験が映画化されるにあたり、マリア・ベロンは家族とともに脚本に
全面協力。心的外傷後ストレス障害に悩みながらも、「この映画は私たちの
物語ではない。多くの、本当に多くの人々の物語なの」と本人が語るとおり、
その使命感を持って、撮影現場にも立ち会った。
また、ナオミ・ワッツとは撮影前・撮影中に渡り多くの時間を過ごすことで、
その体験をまさに身をもって伝えた。ナオミ・ワッツは後に
本年度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるに至る。

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■大谷昭宏 おおたに あきひろ(ジャーナリスト)

1945年東京都生まれ。
教育、少年問題、事件など、現場に足を運ぶ社会派ジャーナリスト。

1968年 早稲田大学政経学部卒業後、読売新聞大阪本社入社。
社会部記者として、朝刊社会面コラム「窓」欄を7年にわたって担当。
1987年、大阪に個人事務所を設立し、ジャーナリズム活動を展開する。

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■浅野史郎 あさの しろう(神奈川大学教授・前宮城県知事)

1948年生まれ。宮城県仙台市出身。
東京大学法学部卒業後1970年厚生省に入り、社会局老人福祉課課長補佐、
在米日本大使館一等書記官、年金局企画課課長補佐を経て、
1985年北海道庁福祉課長。ここで障害福祉の仕事に初めて出会う。1
987年9月厚生省障害福祉課長。たくさんの仲間と出会い、「障害福祉の仕事は
ライフワーク」と思い定める。

1993年11月、厚生省生活衛生局企画課長で23年7ヶ月務めた厚生省を退職し、
宮城県知事選挙に出馬、当選。1997年10月、再選(第二期)。
2001年11月、再選(第三期)。
2005年11月20日、任期終了にて知事職 を勇退。

3期12年の知事職退任後は、宮城県社会福祉協議会会長(2005年4月〜
2007年3月)、東北大学客員教授(2005年12月〜2007年3月)、
社団法人日本フィランソロピー協会会長(2005年12月〜)を務める。

慶応義塾大学総合政策学部教授(2006年4月〜2013年3月)として
教鞭をとるが、在職中の2009年5月にATL(成人T細胞白血病)を発症し、
造血幹細胞移植を受け、2011年5月に復帰。慶應義塾大学を定年退職後、
2013年4月から、神奈川大学教授として現在に至る。

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■槙島敏治 まきしま としはる
(日本赤十字社医療センター国際医療救援部長)

1950東京生まれ、東京大学医学部卒、医学博士
日本赤十字社医療センター国際医療救援部長、 室蘭工業大学客員教授

一般社団法人心の絆プロジェクト理事、岡山赤十字医療救護奉仕団顧問、
NPO法人SAVE AFRICA理事、国際保健医療学会評議員、日本臨床外科学会評議員
国際赤十字・赤新月社連盟:ERUチーム・リーダー、FACTメンバー、
PSP-ロースター・メンバー、ARTマネージメントメンバー

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