日本屈指の“ヒッチコキアン”大林宣彦さんがヒートアップ!
若い人にこそ、偉大さを知って欲しいと熱弁!
大林監督がAKB48の映像を撮ったのは、ヒッチコックの影響!?
「ヒッチコックを愛する若い人が増えれば、映画は不滅!」

 “サスペンスの神”とうたわれた男アルフレッド・ヒッチコックと、彼を支えた妻アルマ・レヴィルとの知られざる物語を描いた『ヒッチコック』(原題:HITCHCOCK)を4月5日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ 他にて全国公開いたします。
 ヒッチコックと、彼を支え続けた優れた映画編集者にして、脚本家であり、生涯ただ一人の妻アルマ。映画『ヒッチコック』は『サイコ』の製作から成功に至るまでの道のり、そして二人の天才の知られざる物語を描いた感動作です。
 
 映画『ヒッチコック』の公開と、日本記念日協会により3月15日が正式に「サイコの日」として登録されたことを記念し、本日3月14日(木)にスペースFS汐留にて「サイコの日」前日祭を開催いたしました。
 会場には映画『サイコ』(1960)日本公開時にヒッチコックと妻アルマがキャンペーンで来日した時の貴重な写真が特別展示され、公開前の新作『ヒッチコック』と、ヒッチコック最大のヒット作にして後世の映画に多大なる影響を与えた不朽の名作『サイコ』の2作を特別上映しました。そして、日本屈指の“ヒッチコキアン”大林宣彦さん(映画作家・75歳)、1960年にヒッチコックと妻アルマが来日した時に本人と会った細越麟太郎さん(映画評論家・75)、さらにホスト役として滝本誠さん(評論家・64歳)が登壇し、スペシャルトークイベントを行いました。はじめに大林さんが映画『ヒッチコック』の感想を語り始めると、三人から次々とヒッチコックに関するエピソードが披露され、終始熱いトークが繰り広げられました。観客として会場に詰めかけた多くのヒッチコキアンやクリエイターたちも真剣に聞き入る様子で、時に感嘆の声があがるほど貴重なお話も飛び出しました。最後に、大林さんが「サイコの日」記念日登録証を持ってフォトセッションを行い、大盛況のうちに「サイコの日」前日祭は終了しました。

■映画『ヒッチコック』の感想
大林さん:まず、アンソニー・ホプキンスがヒッチコックを演じているから、成功している。似てはいないけど、ヒッチコックが内に持っているコンプレックスや複雑さをうまく表現しているよね。今の時代に、こういった映画を作るのは勇気が必要だったはず。当時、落ち目だと言われていたヒッチコックの姿が、妻との関係を通して描かれているし、若い世代にヒッチコックを知ってもらう機会にもなるといいね。

それにヒッチコックには、女優のグレース・ケリーとの失恋などたくさんの逸話、彼のダークサイド(笑)があるから、それもぜひ映画で見てみたい。そのためにも、まずは映画『ヒッチコック』をみんな一緒に映画館で見て、成功させましょうよ!

■後世に多大なる影響を与えた人物「ヒッチコック」のすごさや、大林さんが影響を受けたこと
大林さん:たとえ、うまくいかなかったシーンがあっても、(ストーリーに沿って)順撮りすることで、うまく転がるように“逆利用”するところですね。それに今の映画のように、すべてを見せ切るのではなく、だまし絵のように心理的な恐怖をあぶり出し、観客の想像力を駆り立てる点も、ヒッチコックの演出力だと思う。
ヒッチコックを愛してくれる若い人が増えてくれれば、映画は不滅だね。

■低予算ながら、ヒッチコック最大のヒット作となった『サイコ』について
大林さん:当時はテレビが浸透し始めた時期で、ヒッチコック自身も「ヒッチコック劇場」という番組をもっていた。だから、テレビスタッフたちと、テレビのやり方で撮ろうとしたのが『サイコ』だった。ちょうど僕がAKB48を起用して、プロモーションビデオを撮ったみたいにね(※大林監督はAKB48の新曲「so long」のプロモーションビデオを監督。64分間の長編で話題に)。

それに俳優の演技や監督の演出力、音楽といった特定の要素だけではなく、あらゆる要素がスリリングに重なり合ったことで、世に残る傑作になった。そんな“奇跡”が起こった作品だと思います。映画史上初めて、トイレが登場するのもこの映画。これもテレビ番組の感覚があったからこそかもしれないね。

■ヒッチコックを支えた妻アルマの存在
大林さん:当時から、僕ら世代はアルマさんの存在は知っていた。けれど、「ブロンド美女を愛している」というヒッチコックのイメージが壊れてしまいそうで、(髪がブロンドではない)アルマさんのことは、ファンとして見て見ぬふりしていたよね。

でも『サイコ』での音楽演出は、アルマさんの提案ですもんね。当初、ヒッチコック本人は音楽なんて使いたくなかったと思うけど、あの神経をこすられるような音があるとないとでは、全然違う。うちのアルマさん(大林恭子こさん)は、あの音を聞くだけで怖いって言うけど(笑)

■1960年、ヒッチコック夫妻が来日した時の様子
細越さん:映画『ヒッチコック』を見ると、当時『サイコ』の公開が遅れた理由が分かりますね。要は編集をやり直したんですね。私がヒッチコックに会ったのは1960年4月の頃。その時「すぐに『サイコ』は公開される」とみんな思っていたけど、結局半年くらい遅れたんですよね。

パーティなどでも、主役はあくまでヒッチコック。アルマさんはつつましく“影の存在”といった印象でした。ただ、来日する際に、アルマさんの希望でわざわざ船に乗ってやって来たんですよ。次回作の構想を練るためもあったでしょうし、奥さんに休暇を与えてあげるヒッチコックの優しさも垣間見えますね。

いよいよ日本で公開、という時も事前の試写会は公開前日のたった1回だったと記憶しています。劇場公開が始まると、途中から見せないように、日比谷映画なんかはドアに鍵をかけてしまった。