平成24年12月15日(土)、岩手県釜石市内にある釜石高等学校にて、映画『遺体 〜明日への十日間』の上映会が行われました。映画製作にあたり取材や撮影でご協力いただいた釜石市民の皆様にいち早くご覧いただこうと、来年2月23日の全国公開に先駆け本上映会を実施。生憎の雨の中、1000人近い応募の中から当選した約500人にご来場いただきました。来場者の中には仮設住宅から参加された方や実際に安置所を支えた登場人物のモデルになった方々の姿もありました。

■日程:12月15日(土) 場所:釜石高校石楠花ホール(250席)

本作の監督・脚本をつとめた君塚良一氏から「『決して震災のことを忘れてはならない、風化させてはならない』ということを胸に製作いたしました。日本、そして世界に向けて伝えていきたいと思っております。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。本当に感謝を申し上げます。」と挨拶があった後、上映会は開始。
上映中の場内にはすすり泣く声が響き、エンドロールが流れ終わると同時に拍手が沸き起こりました。会場を後にする際には、「作ってくれてありがとう」と監督の手を取る方や、「怖かったけれど見て良かった」と感想を述べられる方の姿も見られました。

上映を終えた君塚監督からのコメント
■上映を終えてのお気持ち
「ご遺族の方々にもご覧いただきましたが、率直に誠実に作った作品ですので、それに対して『ありがとう』という言葉をいただき、感無量でした。製作にあたり悩むことも多くありましたがやはり『作ってよかった』と思います。」

■映画化の経緯
「震災が起きた時は東京にいて仕事をしていましたが、僕が東京にいた間に釜石の遺体安置所であのような事実があったということをこの映画の原作である石井光太さんの本を読んで知り、びっくりしたんです。この事実をもっと沢山の人に伝えなければならない、と思い映画化することを決めました。震災の日に起きたこと、そこで一生懸命働いた人たちのこと、日本人の良心を伝えたい、と思い映画にしました。」

■キャスティングについて
「登場人物にはそれぞれモデルの方がいらっしゃいますが、遺体安置所の中心人物であるモデルの方の心の強さを表現してくださるのは、西田敏行さんしかいないと思いお願いいたしました。」

■映画化に当たり
「この作品をつくるということ自体が、被災者のご遺族の傷口を広げるに過ぎないのではないかととても悩みました。それでも僕はやり過ごすことはできなかったんです。誰かを傷つけるかもしれないからこの作品をつくらない、ということよりも『伝えたい』という気持ちと、批判をされても立ち向かう覚悟が勝り、映画化する決意をしました。」

ご覧になられた市民の皆様から寄せられた感想 (一部抜粋)
「母が遺体安置所でお世話になっておりました。当時の事実が思い出され、火葬するまでの間毎日安置所に通い話かけました。西田さんの言葉が心にしみわたり涙が止まりません。感謝の気持ちでいっぱいです。」(49歳女性)

「私も棺作りを致しました。思い出し苦しくなりましたが。体育館が穴だらけで、雪が溶け、遺体や棺が雨に当たらぬよう移動したことも思い出しました。辛いけど、忘れてはならぬ経験だと思います。」(65歳男性)

「改めて東日本大震災を風化させてはいけないと感じました。自分の子ども、そして孫にも語り継がなければいけないと思います。二度とこのような被害を出さないためにも。」(45歳女性)

「テレビでは報道されない津波被害の本当の姿だと思いました。」(25歳女性)

「私も助けられた一人です。これから頑張って生きていきます。」(65歳女性)

「私は家も無事で大丈夫でしたが、この映画を見てとてもとても悲しい気持ちになりました。本も読みましたが、あらためて命の大切さを知りました。この映画の途中に、泣き叫ぶ女性がいました。とってもかわいそうでした。娘を亡くした悲しみがどんなにつらいものか・・・と思いました。この映画をとおして、命を大切にすることを学びました。」(10歳女の子)

「知り合いにもまだ見つかっていない人がいて、改めて生かされていることに感謝してあの日を忘れないようにと思いました。」(62歳女性)

「身につまされて、言葉が出てきません。」(78歳女性)

「忘れたい記憶、でも忘れられない、わすれたくない気持ちでとても悩みました。この映画に救われたように思います。ありがとうございました。」(24歳女性)

「向き合うことが出来なかった。向き合わないまま1年と9カ月が過ぎてしまった今、この事実に向き合う時間を与えてもらいました。ありがとうございます。」(49歳男性)

「時々震災前の日々はなんだったんだろう・・・幻だったんだろうか・・・と思うことがあります。だけど、亡くなった友達も恩師も皆私の心の中にずっとずっと大切に生きています。そんなことを深く感じられた映画でした。」(37歳女性)

「私は生き残った。釜石人として、この映画を観なければと思った。奇しくも遺体安置所となったのは昔勤めていた中学校の体育館だった。命の尊厳がそこにはあった。残された者の役目として命の大切さを後世に伝えていかなければと深く思った。」(59歳女性)

「いつも『なんで彼女がなくなって自分は生きているんだろう』とずっと思っていました。でも今日観終わった後『次にもし津波が来てもまた生きたい。生きていて出来ることをやりたい。生かされたのだから』と思いました。」(36歳女性)