2012 年12 月5 日、生誕100 年を迎える木下惠介監督。この度、<木下惠介生誕100 年プロジェクト>の一環として、2012 年11 月23 日(金・祝)〜12 月7 日(金)の15 日間、「木下惠介生誕100 年祭」と題し、『楢山節考』、『カルメン故郷に帰る』デジタルリマスター版の凱旋上映を含む、木下惠介監督の革新的な傑作映画24作品を東劇(東銀座)にて上映。

本日12月1日(土)に、「木下惠介生誕100年シンポジウム」を開催致しました。第1 部では、「今、甦る木下恵介〜日本から見たキノシタ、世界から見たキノシタ」と題し、日本最高のヒットメーカー、黒澤明最大のライバル、叙情、コメディ、芸術、社会派等、世界から見たキノシタはどういう映画作家かについて、第2 部は、「しなやかな挑戦者〜時代とともに映像の可能性に挑戦し続けた信念の人」と題し、革新的アイディアと技術、初カラー、テレビ界での挑戦など常に時代の最先端を走り続けた木下監督の魅力について、豪華ゲストを招き、これまで語られてこなかった木下惠介の多才なクリエイターとしての側面が掘り下げられました。

第1 部のゲストには、脚本家の山田太一氏、映画監督の橋口亮輔氏、映画史家でありベルリン国際映画祭フォーラム部門創設者でもあるウルリッヒ・グレゴール氏が登壇し、司会進行は小説家・長部日出雄氏がつとめ、
戦後、黒澤監督と人気を二分した木下監督だが、いったい木下作品とはどんなものなのか、またどんな人物だったのかをテーマにシンポジウムが始まった。グレゴール氏が、木下作品に初めて出会ったのは1958 年ヴェネチア国際映画祭出品作『楢山節考』。「長唄などの音楽、セットなどその構成にとても興味をひかれた。外国人から見ると馴染みのない部分も含め未知の世界日本映画の新たな世界を開いた作品」と賞賛した。また、「すべての木下作品から伝わるのは、人が日常生活を生きる勇気だ。」とまとめた。木下監督の助監督を務めた山田氏は、「『楢山節考』は木下さんのNo.1の作品だけれど、『日本の悲劇』もNo.1だと思う。それくらい、いろんな作品を撮っているので、ぜひ、ひとつだけ観て、みたつもりにならないでほしい。」と呼びかけた。橋口監督は、「高校生のとき『衝動殺人 息子よ』をみて、こんなに泣いたことはないというくらい大泣きした。が、その頃は黒澤明、溝口健二、今村昌平、大島渚などについて語ることがかっこいいとされており、木下監督は古いと思っていた」と始めた。「今年『二十四の瞳』のオリジナル予告編を制作することになり、作品を見直してみると若い時には感じられなかったメッセージを感じた。

いい映画は、人生のすべてを描いている。だから、観る人の年によっても新たな気づきがあり、発見がある。今、また様々な困難が多くあるこの日本、この時代、木下作品が描く子作品は人の心に届く。」と語った。司会の長部氏は、最後に「日本映画は、確かに世界のトップだった時期があった。その頃に比べて、映画をつくる環境はまずしく、厳しくなっているけれど、かつての日本映画がこれほどレベルが高く、これほど豊かで、これほどの深みを持っていることを感じて欲しい。つまり、“木下惠介再発見”が日本映画の復活につながるんだ」と締めくくった。

第2 部は引き続き司会進行を長部氏、ゲストに山田氏、映像ディレクターで昨年『モテキ』で映画監督デビューした大根仁氏、テレビと映画の両方から映像文化論を研究する早稲田大学文学学術院教授・長谷正人氏が登壇。長部氏から「『モテキ』などミュージカル的な娯楽映画の最先端でご活躍の大根監督ですが、木下作品をみて衝撃をうけたとか?」との問いに、大根氏は、「木下作品には教科書的なイメージを持っていて、これまで観ていなかった。ある雑誌の企画で木下監督の『お嬢さん乾杯』を見て衝撃を受けた。撮影、セリフのテンポ、編集のモダンさ、音楽の活かし方、どれも素晴らしい。原節子さんもとてもチャーミングで。木下さんはどの作品でも、女優をクールな視点で見つめながらも、チャーミングに撮っている。自分も『モテキ』で女優をどう撮るかに拘った。音楽のセレクションや使い方も素晴らしく、自分の作品も音楽と切り離せないので、こんな事を言うのはおこがましいけれど、共通点があると思った。」と話した。また「木下監督の作品は、こんなにも素晴らしいのに、作品からは、よくある監督の“ドヤ顔”が見えてこない。俺ってこんなにスゴイんだぜ!って押し付けてくるシーンがないのはスゴイ」と話すと、山田氏より「いや、撮影しているときは、けっこう“ドヤ顔”でしたよ(笑)」と当時を振り返り、会場を沸かせた。長谷氏が、「日本もハリウッドも、テレビの台頭により70年代、映画産業が斜陽になった。80年代、アメリカではスピルバーグ、コッポラ、ルーカスらがプロデューサーに転向し、映画産業は復活を遂げた。木下は、60年代後半から70年代にテレビ界でプロデューサーとして活躍し、テレビドラマの礎をつくった。時代が早すぎた。」と分析すると、山田氏は「「木下恵介・人間の歌シリーズ」で、質のよいテレビドラマの礎を作ったのは木下さん。僕だけでなく、向田邦子さんや倉本聰さんもここで脚本を書いた。」と振り返った。最後に大根氏から、自身も、テレビドラマと映画の両方を手掛ける身として、「今後はよりいっそう、僕等の盛大やその下の世代の若者たちに、木下作品をレコメンドする使命を果たしたい」と語った。