岩井俊二監督8年ぶりの長編劇映画となる最新作『ヴァンパイア』が、いよいよ9月15日(土)よりシネマライズ他にて全国順次公開となります。

“岩井俊二が熱い!”の盛り上がりを受け、人気スポット“代官山蔦屋書店”では現在、岩井監督が描いた貴重なストーリーボードやポスターなどを展示する“岩井俊二祭り”を展開中、9月5日(水)には、同店で岩井俊二トークショー&サイン会が開催されました。

トークゲストとして著述家の湯山玲子さん(著書「女ひとり寿司」ほか)を招き、新作映画『ヴァンパイア』や、岩井監督自身の著作である原作「ヴァンパイア」(幻冬舎刊)についてなど、小説と映画でそれぞれ描くことの違い、お二人のクリエイティブの秘密についても語っていただきました。

■日程:9月5日(水)
■場所:代官山蔦屋書店 1号館 2階映像フロアイベントスペース
(渋谷区猿楽町17−5)
■登壇者  岩井俊二  ■ゲスト:湯山玲子(著述家)

【トークショーの模様】

●湯山玲子(以下湯山)
映画『ヴァンパイア』に関してですが。岩井さんが、ロサンゼルスにいる時、遊びにいっていて、その時に「次は何を撮るの?」と聞いたら、「ヴァンパイア」という答えが返って来たので、意外だというのと同時に、意外でもない気がしたんです。アメリカの俳優をつかって、アメリカで撮影されたということで、西洋文化でいう“鬼”でもありカトリックのメタファーが強いヴァンパイアをネタとしてとりあげたのはなぜですか?

●岩井俊二(以下岩井)
アメリカでゾンビを含めて、ヴァンパイアというジャンルは巨大です。
日本だと中々ないですが、“ドラキュラ、吸血鬼、ゾンビ、ヴァンパイア”という巨大なジャンルがあります。テレビシリーズも含めると「ヴァンパイア・ダイアリーズ」とか、映画だと『トワイライト』シリーズとかちょうど今アメリカでは、良いか悪いかは別として、ヴァンパイアブームと重なってしまって、あれはどちらかと言うと、ヴァンパイアロマンスという形で、自分の作品と遠くはないですが、そんな中で、そのジャンルを自分でやるとは思っていなかったです。
でも、似て非なるもので。これだけたくさんあるヴァンパイアというジャンルの中で、誰も作っていないものをみつけたんです。
それを見つけたのは10年くらい前で、『リリイ・シュシュのすべて』を書く前だったんですが、今年出た「番犬は庭を守る」という作品の前に取り組んでいたのが、この原型にある企画で、これは多分誰もやっていないなと思いました。
吸血鬼の話だけど、吸血鬼ルールがほとんど適用されない、ニンニクも十字架も怖くないし、それは要するに、設定は人間で、吸血衝動だけがあるという。
まぁ、説明のつかないものです。
そのスパイラルに入ってしまった、人にもわからない「なぜ?」という、人間でも解けない謎で、なかなか難しいものがあるんです。
下着泥棒は極端だとしても、人間誰しも似たり寄ったりなところで、オブセッションというか、つじつまのあわないことにはまっていってしまうことがあります。「わかっているけどやめられない」、というところに作品を持っていければと思っています。自分の描きたいジャンルが、このテーマなら描けると思いました。
やりたかったジャンルで言うと、ヴァンパイアのジャンルではなくとも、太宰治の「人間失格」だったり、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、三島由紀夫でいう「仮面の告白」だとか、ある異端な男の肖像です。それは、自分のなかでは、1つの大きなジャンルです。
必ず何年かに1回出てくる、避けられない、文学上でいう命題というやつです。

・湯山
死ぬまでやり続けるんじゃない?

・岩井
そうですね。今回、自分がそれをやるうえで、ヴァンパイアという題材は、いろいろな抽象化というか、それが最初に出たテーマでした。

・湯山
この映画は、性的衝動の話しと言ってしまっていいと思います。
ヴァンパイアの話しというのは、間接的な表現というか、西洋文化における血は、キリスト教やマルキ・ド・サドをとっても、禁止事項でもあり、性的オブセッションであると捉えたりすると、男性は大変だなと思います。
キリスト教でいう正しい生き方として、全ての男性は、子孫を残すために、生身の女性を見てちゃんと欲情してほしいというのがあって、しかし、人間には大脳というのがあって、想像力がある。
この主人公のように、血を吸うということが、自分の中のあるコンバーターに反応してしまって、そっちにいってしまうという、収集のつかなさが大変だなと思います。
そういう意味で岩井さんは、この主人公のよう。サイモンに同感しましたか?

・岩井
例えば、下着泥棒とか、もう対象が女性じゃないですからね。
このインフォメーション社会で、いつの間にか意識のピントがズレていて、近眼だったり、遠視になったり、本人にはわからないけれども、この映画の場合の主人公は、血にいってしまうんです。