ドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』(7/28(土)より、配給:マコトヤ)が、公開2週目となる8月5日(日)、銀座シネパトスで、被写体となった杉井ギサブロー監督と本作の監督・石岡正人によるトークショーが行われた。杉井、石岡ふたり揃っての登壇は、京都ではあったものの、関東圏では初。
「ひとつは、絵を動かすということをドキュメントしてみたいと思った、もうひとつは、杉井さんと雑談していて面白い話がたくさんあって撮りたいなと思った。しかし実際には、カメラが回りはじめると『僕はしゃべらないよ』って感じで大変だった」という石岡監督が杉井ギサブロー氏から話を引き出していく、映画の延長さながらのトーク。カメラが回っていないこの日、杉井ギサブロー監督は、手塚治虫と大川博と宮崎駿についても語り、つめかけた20〜40代の男女を中心とした観客は、ときに笑い、感嘆し、身を乗出さんばかりに熱心に耳を傾け、杉井ギサブローの魅力を満喫した。トークの模様。

被写体となることについて
◉僕は自分の事とか自分がやってきた事とかあんまり興味がないんですよ。今日とか、ここから先は興味あるんですけど。作っている間は本気でやりますけど作り終えた瞬間に映画は自分から離れていきます。

アニメーションについて言うと
◉ディズニーを見てからずっとやりたくてやってきたのに、もうアニメーションやらなくていい、つまらないもの作ったってしょうがないじゃないかって、東映動画をやめちゃったんだから、そこで一回精神的にはアニメーションを捨てているんです。

手塚治虫のところで「鉄腕アトム」を作って
◉「鉄腕アトム」はショックでしたよね。アニメーションやらなくていいんだということで、すごく自分の中で広がったんです。それまではアニメーションという技法に合った企画をやってきたわけですが、絵を動かさなくていい、アニメーションをやらなくていいなら、アニメーションという技法を使って何でもできると感じたんです。自分が仕事をする時にはアニメーションにこだわらない方が面白い、こだわっている間はたいした事できない。

石岡監督から、東映動画からいまの宮崎アニメに繋がっていく流れ、宮崎駿さんの作品とかを杉井さんはどう見ているか
◉いまの日本アニメの父は、大川博さん(東映の創業者)。大川さんは日本にアニメーションという映像表現を広め、手塚治虫はテレビという媒体でアニメというものを一般化した。文化というのはいかに普遍的に広げるかに価値を置いているので、ひとりの作家の芸術性は別として、その作家性は人間社会の価値としてはあまり重要だと思っていない。宮崎さんの一番の貢献は、作家性というより、アニメーション映画をきちっと作ったときに回収できるんだという実績。1話30分のアニメを1000万円以下で製作され、劇場用アニメの予算は3000万〜5000万円となってもおかしくはない時代。宮崎駿監督が初めて劇場用アニメを作った時には1億円以上という予算がかけられたが、それが成功した今、アニメーション映画には3億から5億円の製作費を提示したとしても投資家は、事業として、投資としてもあり得ると思わせたのが宮崎さんじゃないですか。

石岡監督から、自分で会社をやったりプロデューサー的役割をやったりする事もあるが、自分の作品を作るときにプロデューサーとしての杉井ギサブローというのはどう考えているか
◉原正人さんを通して、プロデューサーというのはこういう仕事とこういう思考をする人かととても勉強になりました。『銀河鉄道の夜』の初号(最終版より7-8分長い)を見て「誰がこの映画を見るんだ!」と取り囲まれて「宮沢賢治がいるから大丈夫ですよ」みたいな事を言っていた時に、原プロデューサーが「編集しようよ、ぎっちゃん。あれだけみんな騒いでいるんだから何かやらないとダメだよ」と。そして「ぎっちゃんね、我々がやっている仕事は虚実皮膜の間を縫うんだよ、非常に薄い皮膜の間を縫って繋いでいったものが仕事なんだ」と言って、僕を説得した。まさにそういう仕事ですよね。
監督の仕事というのは、作品世界を作るのは1/5くらい、残りの4/5はプロデュースをしていると思っています。僕の映画はワガママに作っているように誤解されているのですけれど、自分の好きなように映画を作れるなんて、そんな事は商業映画ではあり得ない。アニメーションというのは、作品というより商品なんです。商品である限り売れなければ何の価値もないわけで、回収しなければ意味がないと思う。僕の映画世界を作る作業そのものはそんなに大変だと思っていない、残りの5分の4の方がめちゃくちゃ大変です。つまり時代を読むといっても、作家じゃなくてプロデューサー感覚で考えなくちゃならない。

石岡監督が、アニメーションがその中で閉じてしまうと、アニメーションという文化は広がらないんじゃないかという危機感を杉井さんが持っているからだろうと、京都精華大学アニメーション学科で教えることになった感謝とともに語ったことに対して
◉映画を知らないでアニメーションを撮るのはナンセンスですね。たとえばオーバーラップという手法が、映像言語としてどういう力を持っているのかみたいな事を分からずに、みんながやっているから使うというのでは言葉でも何でもない、と僕は思います。

締めの一言として、杉井監督は
◉本当は恥ずかしいんだよねぇ。雨の中、しかも歩きながら話をするから、つい本当のことを話しちゃう。カメラ持っていた助手の人なんか手と足と動かなくなっちゃった。僕も、雨は降ってて傘を持ってて面倒くさいし、その時になんか言われるわけだから、つい言っちゃうじゃない。普段あんな顔をして生きているわけじゃないんですけど(笑)。ほとんどあの寒さのなかで、意味ありげに撮られているんじゃないかなという、あの辺が石岡さんの巧いところですよね。石岡監督のドキュメンタリストとしての真髄を見せてもらいました。