10 月26 日(水)に発売される『ウルトラマンVS仮面ライダー』Blu-ray & DVD の発売記念記者会見が、6 月24 日(金)、バンダイ本社3階ホールB にて行なわれました。
1993 年にビデオ・LDが発売されてから、長らく幻の作品とされていた本作が、ついに奇跡のBlu-ray & DVD 化。そして当時ですら実現しなかったウルトラマン=ハヤタ隊員役の黒部進さんと、仮面ライダー1号=本郷猛役の藤岡弘、さんによる初のツーショット公式記者会見とあって、会場には多数の取材陣が詰めかけました。

──『ウルトラマン』は、現実世界にはない巨大ヒーローでした。初めてご覧になった時の、ご自身の感想はいかがでしたか?
黒部●藤岡さんとも話をしていたんですけど、『ウルトラマン』の場合、本編と特撮は別々に撮っているため、我々はアフレコの時まで特撮の映像を見ることができないんですよ。ですから、それを初めて見た時の感激、「へえ! これがウルトラマンか!」「身長40mってこんなに大きいのか!」という驚きは、強く記憶に残っていますね。

──『仮面ライダー』は、斬新な映像でアクションを見せましたが、初めてご覧になった時の印象はどうでしたか?
藤岡●そうですね。当時は私自身が仮面をかぶり、スーツも着ていたものですから、実際に動き始めると窮屈で、仮面もまだ顔に馴染んでおらず、また視野も非常に狭い。しかもレザースーツですから、アクションなどで汗をかくと、だんだん締まってくるんですよ。想像以上のプレッシャーがありましたね。不安と恐怖と苦痛。そこから始まった記憶があります。ただ、鏡に映った自分の姿の中でひとつ嬉しかったのは、あの赤いマフラーです。それが非常に象徴的で印象深く、「ああ、カッコいいな」と、「これを自分が演じるのか」と感じた。それが強く思い出として残っていますね。

──『ウルトラマン』も『仮面ライダー』も、空前の人気番組となったわけですが、当時の印象はどのようなものだったのでしょうか?
黒部●子供たちを対象にした当時の番組としては、しっかりしたストーリー性があり、誠意を持って作られた作品だなという印象を持ちました。特に実相寺昭雄さんの作品群の中に多いような気がしますが、大変社会性のあるテーマが組み込まれた脚本が、結構あるんですね。『ウルトラマン』ばかりじゃなく後のシリーズも含め、そういうところが45 年間、子供たちにも、また大人にも支持され続けている要因ではないかなと思います。
藤岡●私の場合は、改造されて逃げてきた、痛みと悲しみを背負った孤独なヒーロー。スタート当初はそうした暗い部分が強かったんですが、私はむしろそこが好きでした。自分自身も、これから人生に立ち向かう不安と恐怖を感じておりましたし、そんな自分にとっては、社会全体がショッカーのようなものです。大都会・東京の恐ろしさに立ち向かってゆく当時の自分の心情と、ショッカーという巨大な存在に対して孤独な戦いを挑む仮面ライダーのヒーロー像とに、相通じるところがあった。仮面ライダーをやりながらも、不安で仕方がなかったものです。今でもあの頃の自分の気持ちを思い出しますね。

──そんな『仮面ライダー』をご覧になって、黒部さんはどう思われましたか?
黒部●後に見せていただいて、藤岡さんの身体能力に驚かされました。これだけのアクションができるなんて、藤岡さんというのはすごい方だなという印象が強かったですよ。

──藤岡さんは『ウルトラマン』をご覧になってどういう印象をお持ちですか?
藤岡●私が『仮面ライダー』をやった頃、『ウルトラマン』は既に子供たちに大人気でしたから、拝見するたびにそのヒーロー像に圧倒されそうになりましたね。巨大な姿に変身し、爆発の中や、ビルを壊して格闘する姿を、「失敗したら大変だろうな」と思いながら見ていました。失敗したら二度と同じものは作れない。大変なプレッシャーだろうなと。先輩の雄姿から、どこか自分も学ばなければいけないなと感じていたものです。
黒部●先輩はやめなって(笑)。
藤岡●いえいえ(笑)。僕もいっそう頑張って、早くヒーローとしての責任を果たしたいなという思いで見ておりました。
黒部●あれはだけど、僕は変身するまでだからね。変身した後は、ウルトラマンのスーツに入っていた古谷(敏)さんの力です。彼の作り上げたイメージっていうものが相当強いと、僕は思うんですよ。
彼あってこそ、ウルトラマンのイメージがここまで定着したんじゃないのかな。
藤岡●私も撮影では、本当に自分の体力の限界まで出し切っていましたね。自分が連日、あんなに過酷なアクションで追い詰められていくとは思っていなかったですから。
黒部●スタントマンの方々も含めて、『仮面ライダー』にしても『ウルトラマン』にしても、製作に携わっている人たちの努力と、真摯にものを作るという姿勢があってこそ、こうして40 年以上生き続けているんじゃないでしょうか。
藤岡●当時は現場も、決して完成された環境はありませんでしたからね。機材も今のような行き届いたものはなくてね。小道具にしても何にしても、スタッフの皆さんが本当に苦労しながら、こつこつと努力を重ねて撮影していた。
黒部●徹夜、徹夜でね。
藤岡●そうですね。予算もないし、何から何まで切り詰めてやっていた。『ウルトラマン』の皆さんもそうでしたか?
黒部●だと思いますよ。ですから、その努力が実って、40 年、45 年と続いている。それは当時のスタッフが残したある種の遺産だと思うんですよ。素晴らしいメンバーと一緒に仕事をさせてもらったんだなと、今でも思います。
藤岡●本当に皆さん苦労しましたね。CGもないし、すべて生でやらなきゃならない。様々な面で、まさしく手探りな状況が多かった。その分、知恵を使っていましたね。皆さん非常に真剣で、あの現場の空気を思い出すと、今でもちょっと身体が震えますね。

──両作品とも、先輩役として小林昭二さんが出演されていますが、お二人にとって小林さんはどんな方だったんでしょうか?
黒部●新劇の出身で、芝居に対する取り組み方は非常に厳しい人でしたね。とても真面目で、芝居の中でもムラマツ「キャップ」って呼ばれてましたけど、僕らのチームの間では撮影が終わった後でも「キャップ、キャップ」と慕われていましたよ。芝居でわからないところがあったら、そのイロハをそっと教えてくれたりする。そして仕事を離れれば、けっこうお酒も呑みましたし、とても懐かしく、思い出深い方です。こうして小林さんの話をしていると、きっと天国で聞いてるんじゃないかなって、さっきも二人で話していたんですよ。僕らにとってはよき先輩であり、よき先生であり、よき親父さんでした。
藤岡●まったく同感ですね。『仮面ライダー』で立花藤兵衛を演じてらした時も、役名ではなくて、本当の「オヤっさん」でしたね。我々のような未熟な者に対しても、本当に優しくアドバイスや助言を与えてくれて、皆をまとめてくれる。非常に貴重な存在でした。素晴らしい大先輩で、スタントマンの皆さんの苦労も非常によくわかっていて、いたわっておられた。当時、スタントマンの皆さんは大変でしたからね。いちばん苦労されていたショッカーの皆さんに対しても、「皆で一緒に作っているんだ」という思いやりや気配り、気遣いが非常にできた方でした。私なんかは最初、「怖い先輩なんじゃないかな」なんて思っていたんですが、まったく逆。本当に優しい方で、皆も「小林さん」じゃなくて「オヤっさん、オヤっさん」と呼んでいましたね。黒部さんたちと同じです。