ショートショートフィルムフェスティバル & アジア2011 セミナー(ゲスト:映画監督・犬童一心)
今年で13回目となる「ショートショートフィルムフェスティバル & アジア2011」が6月16日から華々しく開幕した。
今年も表参道・原宿・みなとみらいの3ヶ所で、世界中から厳選された「ショートムービー」を見ることができ、日本では貴重な場として根強いファンもさることながら、幅広い層で支持されている映画祭である。
その中のイベントとして18日『ジョゼと虎と魚たち』(2003)・『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)で注目を集め『ゼロの焦点』では
日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞も受賞された犬童一心監督の講義(セミナー)が行われ、未来の映像クリエイターへ自身の貴重な経験も踏まえながら映画ビジネスについて語ってくれた。
日時:6月18日
場所:表参道ヒルズ スペース オー特設会場
ゲスト:犬童一心監督
○監督が映画界に入るキッカケとは?
犬童監督:
幼い頃には実家の周りには映画館は無くて、小学生になりテレビで映画を見るようになったのが映画との出会いでした。
決定的に興味をもった作品がビリー・ワイルダー監督の『ワン・ツー・スリー』(1961年/アメリカ)という作品で、それを見たときにあまりにも面白いので監督の名前を覚えるということを初めてしました。この作品を通して映画はストーリーだけが面白いのではなく、もっと複雑で奥深いものなんじゃないかという事がわかった。それからは監督や主役の名前など確認するようになり、ちゃんと映画を見るようになりました。
中学になると名画座に通いましたね。邦画だと深作監督の「仁義なき戦い」や洋画ではアメリカン・ニューシネマ全盛だったのでサム・ペキンパーなんかはハマりましたね。
この頃からは、映画館にいくと最前列に座ってみるようになりました。誰も前に座ってほしくなかったですね。
○映画ファンから映画制作に興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?
犬童監督:
今でも映画制作というものは僕の中では、映画という存在があってそこに近づいていくという感じなんです。当時もそれに近い感じを持っていて、「撮る」ことで映画に近づけるんじゃないかと思ったのと、映画で表現するということをやっておかなきゃいけないんじゃないかと思った。
その感覚というのは「はっぴーえんど」や「荒井由美」などの当時聴いていた音楽の存在が大きかった事と少女マンガを読んだことが大きかった。
当時聴いていた音楽も、少女マンガも、ありふれた風景や日常を描きつつドラマを作るという感じが、自分が見ている風景や日常はすぐなくなるものだと気づかせてくれた。それらが「撮る」ということに繋がっていきましたね。
まず、最初に映画を撮ろうと思って撮ったのが1978年のキャンディーズ解散の日です。
なんでキャンディーズ解散を題材に選んだかというと、芸能人が普通の女の子になるというだけで、日本中が熱狂していたことが面白かった。僕自身もそれを指示していたので当時の僕の気持ちが一番撮れると思ったからです。何を撮ったらいいかわからない高校生が主人公でそんな高校生がキャンディーズ解散の日を過ごすという物語が一番最初に撮った作品です。
○大学ではそれが本格的になっていったんですか?
犬童監督:
ぴあフィルムフェスティバルで入選したことがキッカケで黒澤 清さんや手塚 眞くん、『黄泉がえり』(2003年)という作品の脚本を一緒にやった塩田 明彦くんなどと知り合った時代ですね。あとは普通に作品撮ったり黒澤 清さんの作品に出演したりして4年間を過ごしました。
○卒業後の進路はどのように決めたのですか?
犬童監督:
今と違って自主映画を撮ってる人たちが、映画監督になるというプロセスが確立していないので
映画監督になるということはありえないっていう感じでしたね。現場に入り助監督として働き、その一部が監督なるというのがほとんどでした。
2000年代に入ってから日本映画も女性に注目されるようになり、世間に認知されるようになりましたが、進路を決める80年代前半は日本映画というのは全く認知されていなかったと思います。
貧乏をしながら映画を作り上げていくということはしたくなかったので、現在も働いているCMの会社(ADKアーツ)に就職をしました。
○CMの世界とはどういった世界ですか?
犬童監督:
CMの世界にはいってよかったことは、「やらされる」ということ。つまり、自主映画を作るとか脚本を書くということは自分の趣味嗜好でやっていることになるが、CMの場合コレをやれというのがあってそれを演出していくので、自分の知らない自分に出会えるということです。
お菓子やおもちゃのCMを任せられたときアニメーションを多用しますが、そこでアニメーションというものはディレクションできるということが知れました。
音楽的思考を持てたことも大きいですね。音楽に合わせていくということが映画的にも使えるということも学べました。
あと映像をスチールで表現できるということ。スチール写真を撮るということではなくて、例えば演出をする際に役者には「何かさせる」というのが監督の仕事だが、役者に何もさせない方が魅力的に撮れる場合があると学べたということが大きかったです。
○『二人が喋ってる。』 という作品で長編デビューを果しますが
そのことをお聞かせください。
犬童監督:
この作品を撮るキッカケとなった『金魚の一生』(1993年)というアニメーション作品が評価され、その受賞式が行われる大阪に行ったことがキッカケです。僕にとって大阪は身近にある異国で、すごく魅力的に見えて大阪を舞台にした映画を作りたいと思いました。
ありがたいことに『二人が喋ってる。』(1995年)という作品も評価していただいて、だんだんと映画の世界に近づくことができました。
○いろんな業界に通じますが、映画業界で成功していくには何が必要なんでしょうか?
犬童監督:
僕自身が映画業界に入っていく具体的なキッカケを与えてくださったのは市川準さんです。『二人が喋ってる。』は自主映画で映画館では上映される予定は無かったんですが、市川準さんが偶然にも『二人が喋ってる。』を見てくれて僕にわざわざ連絡をくれて、この作品は公開しなきゃダメだと言ってくれたことで評価され、上映されることになったのです。
また、市川さんと出会ったことで『大阪物語』(1999年)や『黄泉がえり』の脚本を任されるようになっていきましたし、商業映画デビュー作の『金髪の草原』(2000年)に繋がっていったんですよ。
具体的に成功していくには何が必要かというと、実績も何もない人に大きな仕事を任せる人は勇気がある人だと思うんですよ。僕でいえば市川さんのような人ですね。そういう勇気のある人に出会えた時に、躊躇せずにそれを引き受ける能力を持つ事と、それを真摯に感謝する気持ちを持つことが、成功していく秘訣かもしれませんね。
○今後の日本映画界はどう思いますか?
犬童監督:
今後はどうなるかわかりませんが、日本の映画界は変わってると思うんです。
僕はよく韓国へ行くんですが、韓国の方々からよく聞かれるのが、日本はテレビドラマの映画化をなんであんなにやっているんだ?ということです。考えたら世界を見たときに、こんなにドラマからの映画化が多いのは日本だけだなということに気づきました。また、日本映画界を見ると原作モノの映画がほとんどです。良い悪いの話ではないですが、変わっているということは間違いないです。
講義中盤には長編デビュー作品『二人が喋ってる。』を作るキッカケになった『金魚の一生』も上映され、視覚的にも楽しめる講義となっていた。また、講義終了後には犬童監督のサイン会も開かれ、参加者は皆満足した表情で会場を後にしていた。
「ショートショートフィルムフェスティバル & アジア2011」は最終日である26日まで、このような企画も含めて、なかなか梅雨の明けないこの季節を彩ってくれる。
(Report:有城裕一郎)